記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

劇場版モノノ怪 -唐傘-の考察・解釈

劇場版モノノ怪 -唐傘- の考察・解釈
(大ネタバレあり)

"恨み"がないモノノ怪とは?________
何故、唐傘は人を襲う?_______
形・真・理とは?_______

映画が公開されて3週目に差し掛かり、上映期間もそろそろ折り返し時期になった今日。
見事に中毒性のある映像音楽にのめり込んで、日々せっせと劇場へ足を運び、未だに各シーンの考察を、あぁでもないこうでもない、と考え込んで無限ループにハマっています。(助けてください)

前置きはこれくらいで。
自分の考察はもちろん、ネットで沢山の考察・解釈を拝見した上で、なるほどと腑に落ちたものをここにまとめて文字起こしします。
ただし、完全に物語の全容を理解できてる訳ではないので悪しからず。

▼それぞれの考察項目は以下のようになります▼
◼︎唐傘について◼︎
◼︎なぜ唐傘に襲われる◼︎
◼︎歌山の大切なモノ◼︎
◼︎"渇き"とは◼︎
◼︎襲ったのは誰◼︎
◼︎井戸へ落ちていたモノ◼︎
◼︎北川について◼︎
◼︎アサとカメ◼︎
◼︎アサがカメへ暇をだした理由◼︎
◼︎御水様とは◼︎
◼︎形・真・理◼︎
◼︎感想と雑談◼︎

かなり長い文書いてますが、どうぞ最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

*ここから先はネタバレがあるのでご注意ください*

◼︎唐傘について◼︎

唐傘は、付喪神であり長年人間に大切にされてきたモノに精霊が宿った妖怪とされています。
この事から、井戸の奥底で眠る大切にされてきた"モノ"達に情念が宿り、それが積み重なって唐傘が生まれたと推測できます。
特番放送でも、監督がこの事については言及しており、ほぼこの解釈で一致するようです。

唐傘が姿を現すきっかけとなったのは、カメが投げ入れたクシです。クシを井戸へ投げ入れたことにより、長年積み重なってきた女中達の情念が現世へ溢れて出てきてしまったと考えられます。

そのことから
唐傘=北川自身、という訳ではなく、
唐傘=女中達が井戸に落としてきた多くの情念の積み上げ、であると解釈しています。

唐傘を作り上げたのは、"情念"であり"恨み"ではない。
『北川様はどなたのことも恨んでいないと思います。』というアサの言葉は、この解釈で腑に落ちました。

北川がアサの前に化けて現れたのは、アサとカメの関係性が過去の自分と重なり、もう一度同じ悲劇を起こして欲しく無いという強い信念からではないのでしょうか。

ところで、化けて出た北川がアサの前で一瞬、寝巻きの姿に変わったり元に戻ったりする姿がありますね。

この描写はすごく考えたのですが、お着物の姿は北川の本心であり、寝巻きの姿は唐傘が行き来してる状態ではないかと。
アサが『渇かないように、捨てなければならないのです』と、取り憑かれる1歩手前みたいな表情をする後ろで、嬉しそうに笑う北川は唐傘そのものでした。
何故、嬉しそうに笑ったのか。それはアサが大切にしている"カメ"を捨てれば、唐傘が取り憑く余地ができるからです。

北川は唐傘の本体ではない解釈であるが故、着物姿の北川は一時的に制限付きで現世に出ていただけで、本体である唐傘はあくまで妖怪だったということでしょうか。

◼︎なぜ唐傘に襲われる◼︎

恨みがないのに、何故唐傘は人を襲った。
個人的に、ここの解釈が1番難しいなと思いました。
簡潔に要約すると、襲われる標的となる条件は、大切な"モノ"を捨てた"渇いた"人物です。

まず、唐傘に襲われた人物は御次の麦谷と表使いの淡島、そして最高職員の御年寄である歌山の3人。
この3人に共通することは、アサとカメの上司であることと、井戸に大切な"モノ"を捨てた過去がある。と考えていましたが、歌山は何も捨てた過去が無かったので私は頭を捻りました。
麦谷は鞠、淡島は万華鏡そして歌山は、、、

◼︎歌山の大切なモノ◼︎

まず歌山の大切な"モノ"は何なのか考えてみます。
恐らく彼女は、井戸へ大切な"モノ"を直接捨ててはいませんが、就任した後に歌山の大切な"モノ"ができた。それは"大奥"自体ではないのでしょうか。
歌山の手の皺を映す描写が多かったのも、長い年月を大奥で過ごし、その過ごした時間は全部大奥へ充ててきた事を示す為ではないのかと考えます。歌山にとって"大奥"は自分の人生を賭ける程、大事な"モノ"だった。

歌山は女中達の能力を見込み、よく考えてくれる良い上司です。唐傘に襲われる事を分かった後も逃げ出さず、最後まで大奥を守るという強い意志を感じました。歌山に少し足りなかったものを強いて言うならば、人の気持ちをケアするチカラでしょうか。
結果的に、部下である淡島は歌山からの期待がすごく重荷になっていた様子でした。
それはそうと、歌山がとんでもないモラハラ上司だったら、いつまでも長いこと大奥で就ける筈がないですし。女中達も上司として歌山様のことを認めていたと受け取れます。

では、歌山は"大奥"をどう捨てた?
もちろん場所を捨てるという意味ではなく、大奥に欠けてはいけない"女中"を捨てていったのではと考えています。

歌山が唐傘に取り込まれた後、北川の回想のシーンで彼女が井戸へ飛び込む姿を目の当たりにします。
その姿を見た歌山はハッとし、初めて気付かされたかのような何とも切ない表情になりました。ここでようやく、今まで自分が捨ててきた"モノ"に気づいたんだと思います。

◼︎"渇き"とは◼︎

北川が身投げをした時や麦谷が唐傘に襲われた時も、歌山は『死んではおらん。』と人死にを隠蔽し続けていました。普通の人間であれば、人死にが出て隠すはずがないのですが、歌山は隠し続けました。
この描写は歌山の"渇き"であり、大奥に染まりすぎた結果、何が良くて何が悪いのか、もう分からなくなってしまっていたのではないのでしょうか。

麦谷と淡島の"渇き"の描写は、嫉妬心、妬み、期待からのプレッシャーによって、他人を陥れているシーンだと考えられます。

麦谷はカメへの嫉妬心が溢れた途端、何かに乗り移られたかのように変貌し、カメを襲いました。
淡島はカメへの嫉妬というより、逃げ惑うカメとアサが重なって淡島の目に見えていることから、短期間で歌山様に認められていくアサへの妬みと、歌山様からの期待とプレッシャーが溢れ出た途端に変貌したと考えられます。

その様はまるで、心を無くし、理性を無くした怪物。これが彼女達の"渇いた"状態なのではないのでしょうか。

◼︎襲ったのは誰◼︎

凄くざっくりした考えですが、"自分"で自分を殺してしまっていたのではないのかと。

一生をかけて大奥で御勤めする覚悟を持ち、やって来る女の子達の荷物の中には、必ず自分の心の拠り所となる物を入れています。
その中から1番大切なものを自分で捨てさせているのが、自分で”捨てた”という自覚を持たせるための大きなポイントです。
捨てる時は自分では整理できているつもりでも、後から実はそうではなかったと気づくのです。
もし、ここで自分で捨てさせるのではなく他人から奪われていたら、また違ったアクションになっていたでしょう。
と監督からの言及があり、なるほどと思いました。

麦谷、淡島、歌山が襲われる際に目の前に必ず現れていたもの、それは過去に自分達が捨てた大切な"モノ"です。

捨てたはずの"モノ"が迫ってくるかのように目の前に現れる描写は、捨てた自分自身への恨みであり、一生元に戻せないという無念の様にも見てとれます。
『捨てたくなかった情念』
『捨ててしまった情念』
これこそ自分を苦しめたモノノ怪でもあり、自分を殺したモノノ怪でもある。

唐傘が現世に顕現する少し前の場面中で、淡島は井戸淵から、麦谷は三角鳥居の上から、井戸の中へと飛び込むシーンが写りました。ほんの一瞬でしたがその様子は、自らの手で人生を終えてしまったかのように捉えることもできますし、自分の欠けた"モノ"を取り戻しに向かう姿のようにも見えました。

襲われた後の淡島の姿を見た平基は『即身仏(そくしんぶつ)の様であった』と表現します。
即身仏とは、平穏を祈り自らの命と引き換えに仏に成った姿を指します。
この表現は少なくとも、欠けた"モノ"が元の主に戻ったという、唐傘からの救いを意味してたのではないのでしょうか。

◼︎井戸へ落ちていたモノ◼︎

三郎丸は女中からの手紙を読み、何かに気づいたかのように走り出します。そして、自ら井戸へ飛び込み確かめに行きました。
恐らく、井戸の中のことを知る女中が三郎丸へ密告したものと思われます。

突然の上司の帰省にも関わらず、誰1人として表情1つ乱さない様子から、きっと他にも、井戸の中にある秘密を知る女中は沢山いるはずです。口外することは暗黙の了解で御法度とされていたのか、みんな見て見ぬフリをしていたと考える事もできます。

井戸に捨てられていたのは、
大量の"モノ"と"人間"。

自分の欠けた"モノ"を井戸へ取り戻しに行った女中は、1人2人ではなかった。

大奥の全貌に気づいた三郎丸は、声を上げて叫びます。
その叫びの中には、無念に死を遂げた女中達の悲しみに泣く声も混ざっていました。
言葉はないものの、顔を覆って泣く女中達の様子からはとても切ない悲しみを感じました。

あの叫びは、悲しみと後悔と絶望と怒りが入り混じった"本当の自分"の叫びでした。

◼︎北川について◼︎

北川は元御祐筆の身分であった者で、大奥の最高職位である歌山から一目置かれていた人物です。しかし、彼女は大餅曳の祭事の前に井戸へ身を投げ命を断ってしまいました。

彼女は大奥へ来た時、大切な"モノ"として傘を持った人形を井戸へ捨てています。
今回、アサの前に現れていた北川はその人形が化けて出た姿であり、傘の方は妖怪唐傘へと変貌しました。

薬売り達が唐傘へ取り込まれた際、回想で無邪気に傘を追いかけ井戸へ向かうシーンがあります。その場面は、自分の欠けた"モノ"を埋めに行くため、大切な"モノ"を落とした井戸へと取戻しに行った。だから、北川の表情は苦悶ではなくとても晴れやかであった。と監督から特番でヒントが出されていました。

北川が井戸へ身を投げた理由は、大切な人形を捨て同期を捨て、大切な"モノ"を自らの手で捨て過ぎてしまい"自分"が何も残らない"渇いた"状態に陥いりました。そして思い立った北川は、自分に欠けた"モノ"を取り戻しに井戸へ行ったからだと考えます。

この状態は、現代で言う鬱に近い描写であり、自分を見失ったまま働き続けた果てだと受け取ることもできます。働く現代人であれば、北川と自分と重ねて見えてしまう人もいるのではないでしょうか。

井戸へ落ちる北川の手をアサが取った時、彼女は微笑み、手がすり抜けて井戸へ落ちていきます。その笑顔は、『救われた』かのような、気づいてくれて『ありがとう』とアサへ言ってるかのような、何とも言い難い表情が印象的でした。
この表情からは、本当に彼女は"恨み"が無かったのだろうと悟ることもできました。

最後、北川は傘を持つ本来の人形の姿へと戻ります。これは、やっと"本当の自分"になれた北川を意味していたのだと思います。

◼︎アサとカメ◼︎

アサとカメの関係は、アサにあってカメにないもの、カメにあってアサには無いもの、をお互い羨ましいと思っている。親友でもありライバルでもあり、お互いがお互いを尊重しています。

アサはカメの正直者で愛想の良い人柄を羨ましく思っているし、カメはアサの仕事の手際の良さと他人を庇える強さを羨ましく思っている。
そんな感じだと思います。
もし、最初に『捨てろ』と言われ、アサとカメ両者とも井戸へ大事な"モノ"を捨てていれば、この2人の関係性もまた違っていたことでしょう。

ここから自前の妄想が入った解釈になりますが、アサとカメはそれぞれ育ってきた環境が違うので、感受性もそれぞれ違うと思います。
アサには手習いに励むよう言い聞かせる家族がいて、カメにはおにぎりを持たせてくれるような優しい家族がいる。

今まで褒められる事が少なかったかもしれないアサは、『字ぃ上手〜』と認めて褒めてくれるカメの存在は心地良いものだったのではないでしょうか。
一方、不器用をネガティブに思っているカメは『大丈夫だよ、頑張ろう』と庇い励ましてくれるアサの存在が心の支えになっていたのではないでしょうか。

日を重ねお互いを知る毎に、2人は自分の心の拠り所として大事な"モノ"に気づけたようでした。


◼︎アサがカメへ暇をだした理由◼︎

では何故、アサはカメに暇を出したのか。
考えられる理由は2つ、

1つは、カメは新しい舞台へ行くべき人間だと判断したから。
見て分かる様、カメは大奥で長く働き続けるには容量が足りなかった。
アサはそんなカメに対して、彼女がもっと輝ける"新しい舞台"を用意したかったのではないでしょうか。

2つ目は、御水様からカメを守る為だった。
アサは御水様の正体に薄々勘付いており、唯一、御水様に渦巻かれなかったカメが、この先渦巻かれて苦しまないようにと大奥から出してあげたのではないでしょうか。

カメは暇を拝領する際、綺麗な簪を身に付け、にこやかに大奥の門を出ていきます。そして、大奥で空を見上げるアサの元には、カメが大切にしていた簪がありました。

交換という契りの様な儀式は、お互いが信用し合ってないとできない事です。一瞬だけれども、この描写はとても素敵だと思いました。

アサちゃんはきっと自分のことを大切に思ってくれている、とカメも理解しているので笑顔で大奥を去ります。

◼︎御水様とは◼︎

謎が多いままではありますが、御水様についても少し考察してみます。

御水様とは大奥を見守ってくださる有難い神様のような存在です。
そんな有難い御水様を、女中達は毎朝体内へ取り込み、彼女達の一部へと成ります。

恐らく、女中達を御水様で満たしていくことが目的の1つであり、御水様は自分を失った"空っぽ"の"渇いた"人間に侵食していくものだと考えています。
この大奥の中に、女中達に大切な"モノ"を捨てさせ"渇いた"人間に成るように仕向けた張本人がいるはずです。

御水が美味しいと感じる="渇いた"状態の人間を指しており、アサが途中から御水が美味しいと感じる描写は、アサが"渇き"始めていることを示しています。
遺体が井戸に浮かんでいるので、とんでもなく生臭い水であることでは間違いないです。
それか、もっと違う意味の生臭い水なのか。。。

アサは御水が美味しく感じた事で、御水様の正体に薄々勘付いており、カメだけでも守りたいという思いがありました。
寝る前、お布団の中でアサがカメに『大事な話があるの。』と持ちかけた会話の内容は恐らく『カメちゃんは御水様を飲むことを舐めて欲しい』旨を伝えたのではと思います。それか、『これからも正直に生きて欲しい』というような会話をしたのではと考えられます。彼女なら、臭い水は正直に拒否するでしょうし。
現に、会話があった次の日の朝、御水様の儀式でカメは御水を床に捨てていました。

また、最後まで"臭い水"を嗅ぎ分けられていたのはカメだけであり、"臭い"が分からなくなってしまった人達は既に御水様に侵食されかけていたと考えられます。

憶測でしかないのですが、何者かが大奥全体を使い、御水様を利用して何かを生み出そうと企てている、もしくは何かを得ようと計画しているのではないのでしょうか。
どちらにせよ、今作だけでは御水様の事について全てを理解することはできません。
仮に誰かが、女中達を御水様の糧にする為だけの材料にしているのであれば、相当罪は重いです。

正体を知っている者は大奥に何人いて、どういう目的で動いているのか。御水様については、今後の章にて正体が明かされることでしょう。
少なくとも、溝呂木家は御水様と親密な関係がありそうですが。

◼︎形・真・理◼︎

形とはモノノ怪の名・・・妖怪唐傘

真とは事の有様・・・北川

理とは情念の正体・・・捨てたくなかった、捨ててしまったという女中達の後悔と悲しみから芽生えた、大切な"モノ"に気づいてほしいという強い思い

三様が揃い、退魔の剣は解き放たれました。

◼︎感想と雑談◼︎

あなたの退魔の剣は何回鳴りましたでしょうか。_____

すっっっっごくたらたら長く書いた文章を、ここまで読んでいただきありがとうございます。
本当は薬売りと坂下殿?についても書きたかったのですが、文が長すぎて読む人達を混乱させると思い、唐傘に纏わる情報だけを中心に書きました。(私が薬売りについて書き始めると3日3晩話し続けてしまうので、泣く泣くカットしました。)

解釈抜きで自分が初見で映画を観た感想をお伝えすると、『えぇ薬売りカッコ良。足はっや。めっちゃ跳び回るじゃん。カメとアサちゃんの関係スコ。歌山さまぁ(泣)北川ぁ(泣)映像美の暴力。何これすっっっごく面白い。ハイパァァ‼︎薬売り大好きぴ。待って‼︎最後‼︎ぁぁぁぁぁぁ‼︎昇天。。。。おかわり‼︎‼︎‼︎』︎
です。なんかペラペラの感想で申し訳ない。
もちろん初見の時は、真と理が全く分からず『えっ!!?ちょ、もう変身するの!?本当に真と理揃った??!!でも薬売りが分かってるならOKか!!!!!わぁ!!ハイパーかっけぇ!!!!』って感じで雰囲気で楽しんでました(笑)

自分は先行上映も合わせて現時点で7回観たのですが、それでも足りないと思うくらい中毒性がある映画ですこれは。はい。
先行上映の話ですが、先行上映の時は続編があると出てこなかったので、続編が作られることは本当に全く知らないまま公開日を迎えました。劇場で『つづく』の文字が出た時には軽くパニック(?)でしたよ。
監督ずりぃよ、、、、ありがとう(泣)の気持ちでいっぱいなので、3章を見届けるまで私は強く生きます。すげぇ楽しみぃ、、、、、
ちなみに、監督が井戸へ投げる大事な"モノ"はスマホらしいです。私もスマホ。

最後になりますが、この『モノノ怪-唐傘-』という作品は、現代人へのメッセージであり、誰もが通ったことのあるリアルを描いたドラマであり、集団社会で生きる私たちへのエールだと受け取りました。
何を残して何を捨てるか、私たちは毎日、選択をしながら生きていかなくてはいけません。
これを踏まえて、もう一度鑑賞すればまた別の見え方に変わると思います。

作品を盛り上げるお手伝いを、少しでもできていましたら幸いです。
それでは、明日も薬売りに会いに行ってきます。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?