父とわたし ③

 そして、日曜日の午後になると決まって競馬の中継を見る父。他に見ているテレビ番組があっても、時間になると必ずチャンネルを変える。車で移動中の時はたとえCDを聴いていたとしても、時間になるとラジオに切り替え、競馬中継を聞いていた。また、スポーツ新聞を買って競馬のページを熟読しているのに、父は馬券は決まって家族の誕生日の数字を買う。だから、毎回同じ数字の組み合わせを選んでいた。当然ながら、あまり当たった記憶はない。数少ない当たったときは、家族全員にお小遣いをくれたがほんの数えるほどのことである。きっと、父は当たることを目的としていなかったのだろう。

 父と2人での外出はあの日以来ない。しかし、外出とは少しちがうけれど、わたしが高校生になると父は毎日、最寄りの駅まで車で送ってくれた。その時だけは2人の時間だった。あの日と同じく会話はあまりなかった。社会人になってからはわたしがどこの職場になっても、仕事帰りの父は迎えにきてくれていた。わたしが近くの職場でもどんなに遠くの職場になっても。それが不器用な父なりの娘のわたしへの愛情表現なんだと思う。

 大人になってからの2人の時間は、相変わらず会話が弾まなかったけれど、それも平気になっていた。今は同じ大人として対等な立場で話をしているが、決して会話は弾んではいない。会話は弾まなくてもいいのだと思えるようになった。同じ時間を共有していることがわたしにとって大事なことなのかもしれない。

 わたしももうすぐ40代となり、人生折り返しにさしかかってきて、子どもの頃のことを懐かしく思い出す。あとどれだけ父と同じ時間を過ごせるのかとふと考えてしまう。時が経ち、過去を美化しているところがあるかもしれないが、今、こうして彩り豊かな人生をわたしが生きられているのは父のおかげである。

 周囲からわたしは父によく似ていると言われる。確かに顔も性格も物事の考え方も、不器用な生き方までも似ていると思う。がむしゃらに仕事をして、休日はマイペースに自分の好きなことに没頭して過ごすところまで恐ろしいほどそっくりだ。子どもの頃はそのマイペースさをうとましく思っていたけれど、今はそう思わない。マイペースな父に対して、変わらずにいて欲しいと願ってしまっている。父のその姿が将来の自分の姿なような気がしているからだ。

④につづく


明日は終戦の日ですね。
平和を願って。

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