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母親がくも膜下出血。試練の一か月間。

「もう少し年齢が高かったら、手術はしません。」

 「手術をしない」ということは、手術というリスクを冒すだけの治療効果が見込めないということらしいです。その言葉から、手術のリスクの高さが感じられました。

 仮に手術が無事に終了しても、その後の2週間は危険な状態が続く。そう説明を受けていました。母親は心筋梗塞の病歴があり、しかも高齢です。手術中に心不全で死亡する。そのリスクもあると聞いていました。

 一通りの説明を聞いた後、私はほぼ絶望的だと感じました。

救急搬送から2日後の手術

 手術が終了したら、結果を連絡します。そう言われました。しかし、前々日まで普通に生活していたので、私は死亡の連絡を受ける心の準備ができていませんでした。そこで、手術結果を知らせる電話に出ないことを決め、伊勢神宮に向かいました。その辺の経緯は、以前の記事(https://note.com/good_phlox494/n/ne7f827b6c291)に書いた通りです。

 結局、手術の2日後に鳥羽からフェリーに乗り、自宅に戻りました。意を決して連絡を取ると、手術は成功したと。しかし、その後の2週間は危険な状態が続くと言われていましたから、気持ちは落ち着きません。

 その2週間が過ぎましたが、さらに1週間が経過しても意識が回復しません。そして今日、病状の説明を伺ってきました。

4月20日に再手術

 意識はありませんが、画像からは脳の状態は悪くないようなのです。でも、なかなか意識が回復しないので、カテーテルを通して検査すると説明を受けていました。意識が戻らないのだから、検査の結果も悪いかもしれない。もう2度と話せないかもしれない。ここでも覚悟を決めました。

 もう何度、覚悟したでしょうか。電話が鳴れば死亡の連絡かと思います。今度こそ死亡かな。何度も何度も覚悟しました。

しかし、希望が出てきました。

 20日に再手術ですが、希望が出てきました。もう一度、話せる可能性が出てきたのです。

 まず、死を覚悟しました。それは七転八倒の苦しみでした。次に、二度と意思疎通ができないことを覚悟しました。息苦しくなり、気が遠くなって倒れそうになる。そんなことも何度となくありました。

 そんな中で、ふと楽になる瞬間がありました。それは祈っているときです。伊勢神宮に行った後、地元の事任八幡宮、岩水寺、井伊谷宮に行きました。なぜか心が落ち着きます。どうしてなのでしょうか。時間が許す限り、他の神社も参拝してみようと思います。

 

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