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とにかく現実から逃げたかった。サービスエリアで食べた牛鮭定食

救急搬送の翌日に受けた説明


 「くも膜下出血では、30%の人がそのまま亡くなります。お母さんの場合は、高齢です。そして、心筋梗塞の既往歴があり、動脈硬化も進んでいます。しかも、見たこともないような大きな動脈瘤です。お母さんがもう少し高齢だったら、手術はしません」。手術前に受けた説明だ。
 五分五分でさえなかった。ほぼ絶望という感じだった。

「手術が終わったら連絡します。必ず出てください。」


 その翌日が手術だった。救急搬送の2日後だ。手術前に説明があるということだった。しかし、約束の時間である14時に行ったら、手術はすでに始まっていた。手術開始が早まったらしい。くも膜下出血の手術は、発症後72時間以内にしなければならないらしい。やはり一刻を争うのだ。手術開始が早まるという電話を入れたが、出なかったと言われた。
 「手術が終わったら連絡します。必ず出てください」。私は返事ができなかった。

死亡するという事実を受け入れられない

 「残念ですが、お亡くなりになりました」。そんな連絡を受け入れることはできなかった。前々日まで普通に生活していたのだから。
 救急搬送される前、母は嘔吐していた。そして、それを一生懸命片付けようとしていた。それが最後で、もう二度と話せない。そんなことは、絶対に受け入れられなかった。

伊勢神宮へ

 病院を出ると、私は即座に伊勢神宮に行く決心をした。ガソリンを満タンにして、タイヤに空気を入れた。家に帰り、最低限の着替えと持ち物を車に入れると、もうすでに辺りは真っ暗になっていた。
 東名高速に乗ると、病院から電話が入った。第二順位の通知先である親戚からも電話が入った。手術が終わったのだ。この時点で、1つの事実として生死は確定した。
 しかし、私の受け止め方は違った。生死が確定したとしても、私はその事実を知らない。知らないのだから、私にとっては、未だにどちらの可能性もあるのだ。そのことに間違いはない。不思議な感じがした。しかし、どちらの可能性もあるのであれば、伊勢神宮へ行って祈るのは当然だ。自分の力の及ばないことについては、祈るしかないのだから。

不思議な安堵感と希望

 私は不思議な安堵感、希望に包まれていた。生きている可能性があるのだから。電話に出て死を告げられたら、その時点で死が確定してしまう。しかし、電話に出なければ、生の可能性に希望を持つことができる。
 私は意気揚々として、サービスエリアで食事をすることにした。なぜか本当に嬉しく、楽しかった。これから伊勢神宮に行くために、食事をして力を蓄えることができるのだから。

生命をいただく

 私たちは、多くの生命をいただいている。その多くは、おそらくもっと生きたかった生命である。その大切な生命から、私たちは生きていくための力をもらっている。
 「たくさん食べて力をつけて、伊勢神宮に行きなよ」。もっと生きたかった生命から、そう言ってもらえた気がした。

#元気をもらったあの食事

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