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なぜ統失 第8部「寛解後&非言語 催眠編」(14)統合失調症患者の生い立ち✨(青年期)

統合失調症を発症する要因として、

遺伝的要素以外に、

その人の生い立ちが深く関係して居るのではないかと語る人がいます。

僕の親族に、精神的な病を患っている人は一人も居ません。

今回も、前回に続いて、
僕の生い立ち、青年期について語って見たいと思います。

前回のお話⬇️

中学では、英語の成績は壊滅状態でしたが、

学年の総合成績では、

なんとか真ん中あたりを維持して居ました。

中学3年の進路説明の時間、

担任の先生から、

「まぁ、なんとか◯◯高校なら入れるでしょう」

(地元の真ん中くらいの成績の人が行く進学校)

と言われました。

しかし、勉強が大っ嫌いな僕は、

『進学校なんか行って勉強漬けになりたくないぞ』

『高校に行っても面白おかしく遊んで暮らしたいっ!!』

てな感じで、

隣の地区にある、

工業高校に進学する事に決めました。


中学を卒業し、

いざ、工業高校に通い出すと、

面白おかしく過ごせる程、
甘っちょろい所では無い事に気が付きました。

そこは超体育系の高校で、

運動部は、県内各地からスポーツ推薦で集めて来た
ガチで全国優勝を目指している様な奴らばかり、

校則もめちゃくちゃ厳しく、
暴力的な事もいとわない、
ヤクザまがいの鬼教師が勢揃い。

まぁ、中学では部活でしごかれていたので、

暫くすると、厳しい事には普通に慣れてしまいました。

共学なのに、何故か女子が一人も居ません。

”女子と関わり合う事が無いので、ますます奥手になりました。”

運動部に入ると、地獄を見る事は明らかだったので、

『アマチュア無線部』

と言う名の”ほぼ帰宅部”に入部しました。

世間では、オウム真理教の話題で賑わい、

校内でオウムソングが大流行しました😄



成績の方は、

中学で英語が壊滅状態だった事もあり、

一年の一学期に赤点を取ってしまいました。

『留年だけは絶対勘弁…』

と思い、

英語だけは少し真面目に勉強しました。

その甲斐もあり、

2年に上がる頃には、

むしろ、平均点をだいぶ上回る様になっていました。

理数系の科目はかなり得意。

暗記系の科目が大の苦手です。


この頃の工業高校では、『ポケコン』と言う、

手のひらサイズのミニパソコンが、
生徒全員に支給されていました。

一応、コンピューターなので、

自作のプログラムを走らせる事が出来ます。

と言う事は、

なんとっ!!、自分でゲームと作って学校内で合法的にゲームで遊ぶ事が出来るのです!!

当時の僕たちにとっては衝撃的な事でした。

生徒たちの間でゲームのプログラミングが大流行!!

僕もゲームのプログラミングにのめり込む様になりました。

(BASICです)

僕が作ったゲームは結構評判が良く、

休み時間には、机に人だかりが出来る事もありました。

僕は調子に乗り、

ますます凝ったゲームを作る様になりました。

プログラミングの腕前だけはクラスで一番でした。

ある所で、ポケコンの性能に限界を感じ、
ゲームを作るのは辞めにしました。


高校3年の二学期となり、

いよいよ就職活動の時期となりました。

時はノストラダムスの大予言(ハルマゲドン)間近の、就職氷河期真っ盛り、

しかし、ここは一応名門の工業高校、

就職率は100%です。

でも、氷河期なので、

一部の成績上位者以外、

地元には、ほぼ中小企業しか就職先が無い状態です。

※県外の大企業に就職すると言う選択肢も有った。

プログラミングには自信があったので、

なんとかコンピューター関連の会社に入りたい気持ちが有りましたが、

ポケコンのBASICしか出来ないし、

”どうせ馬鹿だしこれ以上は出来ないだろ”

それに高卒だし、
当時コンピューター関連で雇ってくれる所など、
学校の求人票を見ても見当らないので、

適当に従業員が多くて、
どんな仕事をしているのかも良く分からない、

地元の中小企業に就職を決めてしまいました。

当時はネットが無いので、

何処がいい会社なのか全く情報が入ってこないんです!!

この頃には既に、

親と殆ど口を聞かない様にしていたので、

自分の事は自分で決め、
出来る事は自分でやる様にしていました。

{親に話すと僕のやりたい事はなんでも反対します}

就職先が何処なのか、
どんな仕事をしているのかも、

今の今まで、一切親には話した事は有りません!

なので、

親は、僕がどんな仕事をして居たか知らない筈なんです。

精神科の診断書に書かれていた、

『元、製造ライン作業員』

という文字。

恐らく、母親が想像で主治医に話したのではないでしょうか?

"本人に聞けよ…"

ついでに言うと、

僕の資産がいくら有るかも親は知らないと思います。


次回は、社会人以降について語りたいと思います。


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