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【日記】山盛りのチーズをパスタにかけたい

 行っちまうか……海外。

 私は20代にして3社目に就いたはぐれものー別名・社会不適合者ーだ。
 次こそ企業様に永遠を誓おうと覚悟を決め、それに準じた資格を取得した。なんとか報われて安定を手にしたはずの私だったが、このタイミングでとうとう気づいた。社会生活向いてないな。
 社会に向いてない気質は自覚していたつもりだったが、このところようやく実感が湧いてきた。
 今までは自らの実力不足とか、環境が合っていなかったとか理由をつけて社不克服を試みてきた。だが、これは克服がどうこうという話じゃない。
 社会生活マジで向いてない。性格がそう言ってる。

 ところで社会ってなんだろう。私は個の集まりだと思っていたのだが、「特有の文化・秩序を共有している集団」を指すらしい。個々人に共通認識があって初めて社会と呼べるのだ。
 つまり、今の私は社会不適合者だけど、日本以外の社会に飛び込んだら馴染めるってことじゃない?

 なるほどね……。しばし考えてふと気づく。

 あれ、ワーホリに行けなくなるまで残り数年じゃない?

 ワーキングホリデービザといえば、働きながら1年間海外で暮らせるという、猫型ロボットもびっくりのひみつ道具だ。
 さまざまな理由から糾弾されることもあるが、合法的に国外で暮らせる便利アイテムに違いない。
 そんな便利アイテムを温存したまま、三十路ゲートは私に近づいてきている。

 え、そんなん……仕事辞めて使いてー!!!!

 そもそも若さの希少性を語りながら、「履歴書に穴が開いたら死ぬぞ」といわんばかりのこの社会はなんなんだ。若さが財産というなら思い切り使わせてください。お願いします。
 日々へなちょこになっていく体力から、おばあちゃんになった時点の私を予想する。うん、間違いなく引きこもりだ。
 体力があるからこそ外へ行きたいと思うのだし、体力があるからこそ一度立ち止まって自分の今後について考えたい。

 もちろん、時間がある学生時代に人生の一時停止をできるのが1番なのだろう。でも、学生にはさまざまな制約がある。金銭的な面であったり、人間関係であったり、単位だったりなんなり。私も学生時代、立ち止まって人生を考える余裕はなかった。
 物事を思い切り楽しめる今じゃないとダメだ。

 ……てか1年くらい好き勝手してもいいじゃん! 
 数年後の貯金額と、社会と自分の行く末を思って叫ぶ。
 日々の自分がちまちま頑張って、40年後にまとまったお金が貯まったとて、今後も物価は緩やかに上がる。今の1,000万円と将来の1,000万円はまるで価値が違うだろう。
 私は今が1番若いし、日本銀行券だって今が1番高いのだ。今が1番高いなんてかわいいね、諭吉。

 さて、私はたまたま海外とのやりとりが発生する部署で働いている。
 ある日、日本の外へメールを投げると自動返信が瞬時に戻ってきた。

 「休暇貰ってるお。3週間後に戻るお^o^」
 耐えられん。なんで母国はこうならん。

 ワーホリはただのホリデーで逃げ道だと誰かは言う。
 本気で勉強をしたくて海外渡航をする人もいる。さまざまな生活を知るために利用する人もいる。つまり、ワーホリビザは使う人次第で価値が変わるひみつ道具だ。
 私はすっげえ休みたいからここでいっちょ使いたい。誰がなんと言おうと、こちとら人生の逃げ道として切り札を切らせてもらう。

 社会であくせく働いても報われないこのご時世、社会不適合者なくらいが気楽でいい気がしてきた。
 私は社会に適していない自分を熟知しているので、仮に海外へ飛ぶとしてノープランで行くような無謀もしない。社会に適していなくても食いっぱぐれないよう計画を立てて、いっそのことえいやと外へ行ってしまいたい。

 「休みが欲しいからワーホリビザを使いたい」と社会人にあるまじき本音を語ってしまったが、海外渡航をしたい気持ちだって本物だ。
 海外渡航したいからといって、別段好きな国があるわけではない。国擬人化マンガとして一世を風靡したヘタリアは大好きだったし、今でもミュージカル版を見に行ったりするが特定の国に惹かれたことはなかった。ただ、生活や文化の違いを愛しく思う。全ての国にルーツと、それを基盤とした暗黙のルールがあるのが愛しい。
 アメリカとか、スペインとか、イギリスとか、オーストリアとかフィンランドとか……ある1つの国が好きすぎて海外移住すら考えてしまう人を見かけるたびに、その胆力を羨ましく思う。私はたった1つを愛することはできないが、ミーハー的な性質を活かして日本以外の生活を覗きたい。

 学生時代に好きだった曲の1つに「Firework/Katy Perry」がある。多感な年頃だったので悩みが尽きず、日本語を耳にしたくなさすぎて洋楽に逃げた時期があった。いつも社会の片隅に追いやられたような気持ちでいた私は、この曲の新しさと寛容さに心を奪われた。

 それからというものの、私にとって海外は異世界に近いのかもしれない。
 もちろん、夢は見ていない。海外にも差別はある。むしろ日本よりあるかもしれない。海の向こうは夢の世界ではない。ただ、他人の生活があるだけだと海外旅行をした際に思い知った。
 しかし、この「自分たちについて考えよう」という、外の人々の姿勢に常々憧れている。そろそろ"異世界"に飛び込んで己の現実としたい。現実を見るために外へ行きたい。

 例えば、オーストラリアとかどうだろう。物価は日本より高いだろうが、日本ではお目にかかれない大きなチーズの塊などが売っているだろう。チーズおろし器を日本円にして400円くらいで買って、たっぷりの湯で茹でたパスタにめいっぱいかける。外で食べると高くつくから、家で思い切り贅沢なご飯を食べる。
 思いの外質素な生活に嫌気が差すこともあって、「母国に戻りたい」と恋しく思うかもしれない。それでいい。質素で落ち着いた生活をして、自分にとっての最適な生活とはなにかを考えつつ、誰かとパスタなどを食べたい。

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