12歩 「嫌われる勇気」自分を苦しめる劣等感の正体
昨日に引き続き、アドラーの哲学論をまとめた
「嫌われる勇気」に対して感じたことを。
第二夜
すべての悩みは
対人関係
第ニ夜は自分のありのままを認め、そこから一歩踏み出すための心のあり方を教えてくれた。
他者から嫌われることを過剰に恐れる。
それを仕方のないことなんだと、嫌われることを正当化するために
自分の嫌なところ、劣っているところばかりに目がいってしまうのだと、哲人はいう。正直、耳が痛い。
私は小学生低学年のとき
かなりのぽっちゃり体型だった。食べることが大好きで、レストランに行っても大人と同じものを頼んでいた。
当時ダンススクールに通っていて、親子で一緒にご飯会をした際に、その様子をみたレッスン仲間の母親からは呆れるような笑い方をされたのを覚えている。(小さな子供でも、そういうことは感じられるし記憶に残るんだなと、大人になってから思う。)
太っていることが原因で、いじめのような扱いをされたこともある。身体測定のあと私の体重を盗み見た同級生が、他の人にそれをバラして、皆の前で太っていることを馬鹿にされた。その光景を私は今も覚えている。
その記憶を原因にして、私も本の中の青年と同じように
短所のある「こんな自分」でいることを、嫌われるための原因にしているのだと、明確に突きつけられたような気持ちになった。
しかし、アドラーはトラウマの存在を否定していると哲人はいう。
我々は人生において目的を定め、その目的にかなうのもを経験のなかから見つけて、経験によって与えられる意味を自ら決定しているのだと。
それを選択し、そのライフスタイルを選んだのは
ほかでもない自分自身だ。
だからこそ、そこから一歩踏み出せるのもまた自分以外にいないのだと。
心がハッとするような部分があった。
哲人は自身の劣等感について話している。
身長が155cmという哲人は若いころはそれに劣等感を感じ、「もし人並みに身長があれば」と思い悩んできたときがあったという。そしてそれを友人に話すと、「くだらない」と一蹴したのだと。
友人は哲人の背が低いことは
人をくつろがせることができる才能なのだと言った。155cmという身長は短所ではない、劣等感ではなかったと、哲人は友人の言葉から知ったのだ。
他者と比較したら、哲人の身長は低いほうに分類される。それは事実だけれども、劣等感にするかどうかは本人の心のあり方によって決まり、どんな価値を持たせるかによって如何様にも変わるのだ。
すべての悩みは、他人との比較において生まれる。私も完璧には理解しきれていないかもしれないが、腑に落ちるところは多い。
私は女性のなかでは声が低いほうで、可愛らしい声でないことに劣等感を感じてしまうときがあった。しかし社会に出て仕事をしていくうえで、低い声が短所ではない側面に気づく。
会議で報告をしたあとに、あなたは発表をするときも堂々として冷静だね、伝わりやすいよ、と言っていただけることが今まで何回もあった。
低く、落ち着いた声は、聞く人に安心感や信頼感をつくることができるかも、と思うようになり
それからは自分の声に少し自信が持てるのようになっている。
英国初の女性首相であるマーガレット・サッチャーさんは首相を目指すに当たって、声を変えたそうだ。
もともと彼女は甲高いまくしたてるようなキンキンとした声だったのを、訓練によって低く大きくゆったりとした話し方に変えている。
日本人は世界的にみても女性の声が高い民族だというが、それには社会的価値観の影響を受けた「作り声」かもしれない、という意見も多いらしい。
母親が電話に出るときに声のトーンが上がるのを思い出す。
私も知らぬうちに、そういった社会がつくる見えない価値に左右されて、他の人と比較して低い自分の声に劣等感を覚えてしまったのかもしれない。
哲人は、劣等感は決していけないものではない、のだと。ただしそれは、他人との比較ではなく「理想の自分」との比較によるものであるべきなのだ。
私もいまでは報告を褒められるようになったが、入社して間もない頃は全くそんなことはなかった。
当時の上司は、管理職のなかでも一際話し方に魅力があり、憧れを持っていた。とにかく、内容が分かりやすいのだ。
上司と私の報告はどこが違うのか、客観的に見なくてはいけないと思い、あるとき報告資料を読むのを録音したことがある。そのとき、自分の話し方に愕然とした。
間のとり方
「えーと」というつなぎ言葉の多さ
自信のない声色
これでは周りの人にきちんと伝わらないわけだ。
これをきっかけに、私は自分の声の出し方をより意識して、自分の理想の話し方になるよう努力した。
報告のときには原稿なんて要らないくらいに自分の頭に内容を叩き込み、自信のある声で遠くの席まで届くようにと、下ではなく前を向いて話すように心がけた。
「理想の自分」との追いかけっこができた
そんな出来ごとだったんだなと、この本を読んで思った。
大好きな漫画のひと場面を思い出した。
オペラ歌手を目指す二人の女性の話だが
その近くで彼女たちを支える銀座でクラブを経営する奈津子ママの言葉だ。
息子である蘭丸が、憧れのピアニストのもとで学ぶためにNYへ渡ることを決めたときに
彼の母親である奈津子ママはこの言葉で送り出した。憧れを妬みにするのではなく、自分で前に進む力にしよう、そう思える台詞だ。
自分の弱さに気付かさせる本は
読み進めるのが少し怖くなる。
だけど、変わりたいとも思う。
この本との出会いは、今ままでの自分を受け入れて、一歩進むきっかけになると信じたいなと思う。
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