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49 私の長期投資 事例紹介6

<はじめに>

住宅を購入した時のことを書いてみる。

実際に住むために購入したので株式投資の話とは趣旨も経緯も異なるが、今回も長期投資の事例として紹介したい。

不動産全般について語っている部分は私の個人的知見、体験によるもので、専門家からみれば素人の範疇。その点ご了承いただきたい。

また、随所、特に最後に非科学的な視点、体験も述べているが、その手の話が好きでない方はその部分は読み飛ばしていただいてかまわない。

<賃貸暮らし>

私は上京して以来ずっと賃貸暮らしだった。

学生時代のアパートは6畳一間の和室。
トイレは付いていたが風呂はなく銭湯に通っていた。

私大の学生はもっと良いマンションに住んでいたと思うが、私の同級生はみんな私と同じレベルであった。
中には四畳半共同トイレで賄い付きという、まるで松本零士の男おいどんの世界観で生きている同期もいたので、私はまだましな方だった。

社会人になってもバブル期が続いていたので不動産の価格は高く、私は一生賃貸だと思った。

そもそも奨学金という名の借金があってそれを10年以上かけて返済していく予定だったから、不動産所有なんて夢もまた夢であった。

バブル期でラッキーだったのは就職活動においては完全に売り手市場であったこと。
成績が底辺だった私でも内定をもらえた。

私が入社した会社はそこそこの一部上場企業であったから、先輩たちは皆30代半ばくらいでマンションを購入していた。

<バブル期の不動産とローン>

バブルが弾ける直前まで、営業マンは土地や家はこれからも価格が上がる一方で今買うのがお得ですよ! と言い続けていた。

当時は空前の好景気ゆえに金利も高く、住宅ローンの金利も7%とか8%という時期もあった。

私の先輩たちはそれなりに収入があったものの、物件価格が高いから35年のローンを組んでいた。

頭金の割合にもよるが、利息を含めると返済総額は購入価格の倍くらいとよく言われた。

私の先輩たちの購入物件は概ね3千万円台。
堅実な価格帯だが、それでも利息を含めて7千万円ほど支払っていたことになる。

購入価格の倍の金額を一生かけて払い続けるのが当たり前の社会。

当時、多様性という言葉はまだなく、結婚して家庭をもち家を買って一人前、そんな昭和の価値観がまだ残っていた。

持ち家は男の城、なんて今聞けば噴飯ものだが、当時は真面目に語られていた。

私も先輩から、ヌートピアン君も仕事を頑張れば家を買えるからね! と激励(?)された。

<不動産に翻弄される人々>

億ションという言葉が出始めたのもこの頃。

大手証券会社や総合商社などの社員は元々年収が高い上に、銀行もどんどんお金を貸していたから、この価格帯の不動産にも手を出せたようだ。

だがその後、バブルが弾けて億ションは億ションでなくなった。

今でも条件の良いマンションはいくら年数が経とうとビンテージマンションとして価格は落ちないが、バブル期に乱造された億ションの大半は価格を落とした。

一億円以上する住宅を高金利の住宅ローンで購入したとたん、その価値が半分以下になってしまったわけだから目も当てられない。当時の購入者たちは集団で不動産会社を裁判に訴える事例も出た。

だが正式な売買契約に判子を押した以上は後の祭り。当時の購入価格に合意して買ったことになる。
その訴えは却られたと後のニュースで知った。

バブル崩壊後のマンションは購入者も激減し、空き部屋も目立つようになった。そこで本来分譲マンションでありながら賃貸で入れるようになった物件もあった。

今では分譲賃貸物件として認知されているようだが、当時購入した住人たちは、一部の空き部屋を賃貸し始めたことがマンション価値の下落の原因だと主張して、不動産会社を集団で訴訟に持ち込んだ。

賃貸組の若い夫婦たちが引っ越してきても敷地内に入れさせまいと、エントランスを封鎖する事例も起きた。

賃貸で入居する人に罪はない。購入組もそのことは十分に分かっているはずだが、彼らは彼らで自己の資産の価値を下げまいと必死だったわけだ。

人は誰もが性根は悪人だとする性悪説

または、

人は誰もが愛や思いやりを持つとする性善説

これらの他に性弱説というものがある。

人は満たされていれば誰にでも親切に振る舞うが、追い詰められ窮すれば盗みもするし暴力も振う。

この性弱説が人間の本質をよくとらえている。

普段、高収入で社会的地位もあり穏やかな人々も、所有資産の価値が失われるとなったら豹変する。この事例は性弱説の正しさを裏付けているように思える。

不動産一つで人生を狂わされるなんて罪深い話だ。

株式投資であればスマホがあれば取引できるが、不動産はそうはいかない。

売主とその仲介不動産会社、さらにローンを組む金融機関、これらのプロを相手にしなければならない。私は見聞きした上述したようなトラブルから、不動産業界は悪鬼の巣窟だと思ったものだ。

実際、営業マンが上司からもっと売れ!と叱責を受けたら、買い手にはいい事しか言わず金をむしりとる悪鬼になり得る。そして被害者である買い手も借金に追われればまた彼ら自身も悪鬼になり得る。

エゴイズムが人を支配する世の中ではこのようなマイナスエネルギーの連鎖が起こり得る。

この負の連鎖を断ち切る、またはもともとこのような連鎖に巻き込まれないようにするには、愛のエネルギーが必要だが、それは別テーマなのでここでは割愛する。

<一生賃貸住宅のリスク>

不動産購入にはこのような資産価値の下落のリスクが伴う一方で、高齢化社会が進んだ現在、還暦を過ぎてもなお賃貸物件に住んでいる人々は、借り続けられなくなるというリスクを抱えている。

貸主側にとっても、一人暮らしの高齢者に住居を貸すのは大きなリスクである。

孤独死されれば、その後始末に追われた挙句に物件価値が毀損し、新しい借り手が現れず収入減に苦しむ。
身寄りのない高齢者に貸し渋るのは当然のことである。

なぜ貸してくれないんだと憤る高齢者も、貸す立場であったら他の高齢者に貸すのを拒むであろう。これも性弱説、エゴイズムに基づく行動基準からすれば当然の帰着である。

それでは身寄りのない高齢者はどうすればよいのだろうか?

他人に迷惑をかけずに住むところを確保するには、賃貸よりは持ち家を検討すべきである。

その意味では、バブル期に無理をしてでも持ち家を手に入れた当時のサラリーマンは正しかったとも言える。

ただしその反面、給与賞与の大半を重い住宅ローンの支払いに充ててきたため投資の資金は残らなかったはずだ。

若い頃から働き盛りの時期までは賃貸生活を続けてできるだけ金融資産を増やすべく株式投資に励み、一定の財を築いてから家を購入するのも一つの選択肢ではないかと思う。

<新しい住居との出会い>

一応、私なりに住居の購入には以下の基準があった。

1)近隣住人からは干渉されない適度の距離感が保てること
これは気ままな性格の私にとっては最も譲れない重要ポイントである

2)中古で十分であること
価格が安いだけでなく、人が長く住んでくれたところはそれなりに棲家としては悪くなかった証拠である。

3)買い物には不便でも良いから閑静なところ
瞑想を欠かせない私にとっては大切なポイントである。

4)日当たりがよく緑が多いところ。

5)地震に耐えられる強い地盤に建てられた物件であること。
地震が多い日本に住む以上、気休めに過ぎないが。

早速、中古マンションを幾つか覗いてみた。
価格は予算内であったが、一階の物件の庭は雑草で荒れ放題、陽が当たらない北側の壁はカビで覆われていた。
リフォームすれば見違えるようになりますよ、と不動産屋の営業マンは言うが、私の直観はそれを否定した。

比較のため新築のマンションも調べたが、同じ地域、同じ間取りでも倍近い価格で話にならない。

郊外に行けば良い物件もあると思って散歩がてら見に行ったが、子育て世代の若い夫婦が集うエリアが多い。

近隣の家族が庭や玄関先でバーベキューを楽しんだり子どもたちがビニールのプールで水遊びをしているような環境は明るくて活気に満ちているが、一人暮らしの私は浮くこと間違いない。

そこでやや高齢者の多い住宅地の物件も見ることにした。

探してみると、予算を少々オーバーするものの、気になる物件が一つだけ見つかった。

小高い丘の上にある2階建ての中古の戸建て。坂が多い上に駐車場がないせいか買い手がいないようだ。
だが敷地内に様々な木があり、緑が豊富である。

前回(記事48)、神気の話をしたが、この家の樹々から放たれる気から、守り神のような存在がいるように思えた。

人間の社会ではお金を払う私に住宅購入の選択権があるわけだが、家屋の守り神や周辺の樹木たちもまた住む人を値踏みしている。

後で知ったが、敷地内で一番高く聳える木は樹齢100年を超えているとのこと。

自然界のデーヴァ、精霊たちのネットワーク、神気の流れのラインが確かにある。

良い家だと思ったものの一人暮らしの私には広すぎる。
それに長年のアパート、マンション暮らし。庭の手入れなどしたことがないしそんなことできる性格でもない。

そういうわけで敢えて1カ月ほど保留することにした。その間に別の買い手がついたらそれはそれで縁がなかったと思うことにし、営業マンに足元を見られないためにもその家には興味がないふりをしておいた。

1カ月後、店舗に行ってみたが、その家はまだ売れておらず、それどころか値段が下がっていて私の予算の範囲に収まっていた。

どれだけ人気ないんだ笑

私にとっては結果オーライだが、良いと思った私の感性はどこまで世間の感性と乖離しているんだと、複雑な気持ちにもなった。

まあその家を司る見えない世界の方々が私を受け入れてくれたと思うことにしよう。

私はこの物件を初めてみるような振りをして購入を検討したいと、営業マンに伝えた。

<住宅ローンの4つのメリット>

購入にあたっては現金で全額払えるが、ローンを組むことにした。

なぜか?

交渉の途中で、ローンを組むことには4つのメリットがあるとわかったからである。

(メリット1)金銭的な恩恵

現在のローン金利は上がりつつあるとはいえ、変動金利であればまだ1%未満の低金利である。

株式の配当利回りの方がずっと高く、JTや武田薬品などの配当利回りは4%を超える。

たとえば住宅ローンを借りてそれを全額株に投資したらどうだろうか。

住宅金利が多く見積もって1%としても、4000万円の融資をもらったら、住宅ローンの年利は40万円だが、配当利回りが4%なら配当収入は160万円。分離課税(20.315%)の源泉徴収分を差し引いても127万円が手に入る。

127万円ー40万円=87万円 この金額が毎年、利息を払っても収入になる。

従ってローンは悪くない判断である。

(メリット2)不動産屋との関係の良好化

不動産屋はローンを前提に営業している。
全額現金で払える客など普通いないということもあるが、不動産屋もローンの事務手数料が得られるからである。

現金で払おうとしたら、それだけ資金に余裕があるならローンを組んでもっと良い高額物件にしませんか、などと営業マンは営業を始める。
こういうのは煩わしいだけである。

ローンを組んだ方が不動産屋も気持ちよく働いてくれるし、こちらとしても交渉が捗りやすいのである。

(メリット3)金融機関の見識が学べる

ローンを組む人は誰もが審査に通ることを願っているから審査が甘いほどいい、むしろ審査なんてない方が良いと思うかもしれないが、視点を変えれば、金融機関の審査はメリットになる。

ローンの審査は借り手の返済能力だけでなく、購入物件の資産価値も審査する。

借り手に対する審査は案外緩い。
支払いが滞っても、ローン対象の土地・家屋を差し押さえればよいからである。

従って、ローン金額は購入物件の担保価値までしか認めないし、担保に値しない物件には融資しない。

そのためローン審査では、物件の広告内容に記載された築年数や敷地面積等に偽りがないかどうか、または変な抵当権がついてないか確認のため登記簿謄本の提出を求められる。さらに建築法違反物件でないことの検証のため、建築確認済証、検査済証の提示が必要になる。

借り手もローン契約の手続きを通じて、営業マンのトークを鵜呑みにせず、自分自身で資産価値があるかどうか判断できるようになるし、ローン審査が通るということはプロの銀行が資産価値を認めたわけでそれ自体が安心材料になる。

(メリット4)税務署を刺激しない

一軒家を全額現金で買う人は富裕層か、相続などで巨額の一時金が入った人であるので税務署に目をつけられやすい。

別に脱税していなければ堂々としていればよいが、対応のために有給休暇を取らなければならないし何かと手間である。

しかも、税務署員もお仕事だから手ぶらで帰るわけにはいかず、何らかの追徴金を引っ張りたがるので説明に労力がいる。

なお家をローンなしで買ったと親戚、友人に言おうものなら、彼らは税務署以上にざわつき目の色が変わる。
彼らからお金持ち認定されて営業の勧誘や借金の申し込みの連打に合うこと間違いなしである。

取り巻きも増えて女性にももてるようになるかもしれないが、お金に集まる連中は碌な者がいないことくらいは容易に判別できるだろう。

<売主さんのこと>

契約に至るまでは色々あったが、この物件は無事、我が手中に収まった。

毎朝、専用の部屋で瞑想し、在宅勤務の日は二階の書斎で仕事をし、休みの日は家の周りの木々や草花を眺めながらコーヒーを飲んだり、時には小鳥のさえずりを聴きながらうたた寝をしている。

家の周辺の雑草をとったり、どこからともなくやってくるノラネコの相手をしたりと戸建て特有の手間はあるが、それも趣味に昇華したいと思っている。

売主さんもようやく売買が成立してホッとしたはずである。

今回私が購入した物件の売主さんは不動産業を営む方、つまり不動産売買のプロだから、こちらがいいようにやられるかもと最初は警戒していた。
だが会ってみればピュアな人であった。

あまり言うと身バレがするから具体的には書かないが、契約に書かれていないところまで自腹を切って世話を焼いてくれたりした。

契約書の締結のときだった。
売主さん曰く、
ヌートピアンさん、私はこれまで数え切れないほど契約書を書いて押印してきたから言うけど、住所や日付は一度紙に書いてそれを見ながら書いたほうがいいですよ、案外間違うものですからね、
と私に注意喚起した数分後に、あー!!年号まちがえたーと叫ばれ、私も契約締結者として連帯で訂正印を押すハメになった。

また私が購入した家はその売主さんが自ら建てて住んでいた時期があったので、売買契約成立後はまだ引越し前なのに近隣の方へのご挨拶に同行してくれて私のことを紹介していただいた。

そそっかしくはあったが誠実な人であった。不動産屋の営業マンもこの業界では珍しいほど真っ直ぐな方ですねと語っていた。

<新居で別次元の存在と交流>

家には別次元の存在がいることが多い。

私の家も例外ではなかった。

さて、ここからは別領域で体験したことにも触れてみよう。

その家は緑に囲まれ、大木を中心に意思を持っているように感じられたが、何から何まで良しということではない。

引越したら、神社に依頼して家祓いをする人も多いが、私は家の守り神への挨拶のつもりで、神棚を設置した部屋で大祓を唱えて大幣を軽く振っただけであった。

その後の体験をいくつか紹介する

(体験1)寝室ー不審な男性

引越した初日は荷開け作業でくたくたになって寝室に入って寝た。

それが新居での最初の夜だった。

明け方、寝室に一人の中年男性の顔が現れ、よろしくお願いします、と私に語りかけてきた。

気味が悪く、よろしくしたくなかったので、起床後、自分でお祓いを行った。

一般に祓い清めるには塩盛りが有効と言われているが、私の場合、小型ではあるが神社で使われる大幣を入手していたので、寝室でそれを数回振って神棚の部屋同様に大祓詞を唱えた。

それ以降は出ていない。

(体験2)和室ー守護の男性の援助

もう少し経った別の日のこと。

和室はお客さん用と思って使用していなかったが、それがよくなかったようで、やはり気が荒れたまま、というメッセージを明け方に頂いた。

また祓うつもりでいたが、まだ眠気が続いてすぐに起きれなかった。

ところがその和室に徐々に気が整っていきポジティブな空間になっていくビジョンを見せられた。

これは目に見えない次元の誰かの援助だなと直観したので感謝の念を放ったら、一人の男性がその和室の天井のさらに上、ほぼ屋根の位置に現れて、私に向かって微笑みながら手を振って消えていった。

この男性は私の守護霊というよりはこの家に関係する方なのだろう。

マンガやアニメだとそのような存在は大体、古い時代の着物を着ているが、私が邂逅したその方は現代風の白いワイシャツを着ていた。

(体験3)その後の寝室に守り神の女性?

寝室を祓い清めた後、その後不審な存在は見かけなかくなっていたが、ある日の深夜、ふと突然目覚めた。

と、そのとき襖がささっと閉じられる音が目の前で鳴った。

私の寝室は洋間だから襖などない。

まるで私をじっと見つめていたが私が目覚めたので襖?を閉じて去っていったかのようであった。

直観的にはその方は女性と思われたが、いつも見守ってくれている私の守護霊の方(記事6記事36)とは気配が違う。

守護霊の女性はもっと親しい関係だが、その存在はさっと立ち去るくらいだからもっと距離を置いている。新しく居住者となった私を見定めていたのかもしれない。

和室を清めてくれた前述の男性は天高い位置にいたので格の高い方であることがわかったが、
この女性はさらに格が上である。

霊格が高すぎると姿が見えないからである。
もしかしたらこの方こそ家の守り神なのかもしれない。

家の守り神についてはもう少し交流すればわかるかもしれないが、私は自分から滅多にはお願いしないことにしている。
先方からまた降臨いただいたとき、交流の機会としたい。

(体験4)神棚のある瞑想用の部屋

以前、紹介した別次元の子どもたち(記事13記事30)は女の子2人、男の子1人だったが、その内、少なくとも男の子が私と一緒に新居に移ってくれた。

最初、瞑想中にその子のヴィジョンが現れた。

その男の子は勝手についてきたわけではなく、高次元からの命で来たとのこと。

座敷わらしは幸運をもたらすというので来てくれるのはありがたいが、なんだか監視されてるみたいでいささかプレッシャーである。

まあどれもちょっとしたエピソードに過ぎないが、このように初めての住処ではいろいろな存在に出会う。

一般世間は、見えない存在というと、幽霊、悪霊など、怖い存在と思いがちである。

だが余程の因業を背負っていない限り、悪霊の類に出会うことなどない。殆どが守護系の方か無害のニュートラルな存在である。

恐怖話として語られがちなのは、聞き手もエンターテイメント性を求め、またマンガやエッセイのプロ達も売りたいがために読者の目を引き寄せたいからそのような事象ばかり誇張するのであろう。

ふと思ったが、重要な気づきかもしれないので以下記しておく。

引っ越した日に、前述した大幣で祓いをしたところは神棚を設置した部屋とリビング。

そこは何も起きず、祓っていなかった寝室と和室にネガティブな気が残されていた。

(上記体験には含めなかったが)廊下も祓っていなかったが、そこの気も乱れているとメッセージで知らされたので大幣で祓ったところ、その後、警告は消えた。

もしかしたら大幣って凄い?

塩盛りより即効性があるし、神社に頼むと費用がかかるが自分で祓えば無料だ。

最近の大幣は紙の紙垂のものが大半だが、私が使用した大幣は純粋に100%大麻のものである。

大幣自体の効果、その素材である国産大麻のパワー、大祓詞の浄化力、高次元の援助、またはそれらの相乗効果-----研究のテーマは尽きない。

上述の家の守り神が残した襖の閉める音は、もしかしたら大幣を振った音だったのかも....
そんな気もしてきた。

<最後に>

私は長きに渡り賃貸生活を過ごしてきたが、住処を購入しようと決意してから契約締結まではあっという間で、新居との出会いから入居まで3ヶ月しかかからなかった。

不動産の知識も経験もない私一人の力では、このようなスムーズな取引はとうてい成し遂げられなかった。

今回縁あった不動産の営業の方、売主さん、銀行のローン担当の方全てに感謝を捧げたい。

性弱説を掲げて人は悪鬼になり得ると語った私だが、実際には皆さん良心的で私もいろいろ教わり勉強になった。

入居した家を司っている守り神様をはじめ、援助してくれる別次元の方々にも感謝したい。

ちなみに、別次元の存在が見えたり聴こえたりするのはサイキック能力があるというだけで、それ自体は霊格や人格、運・不運とは全く関係がない。

そのような能力の有無よりは、守り神と出会う縁があるか、悪霊と縁が生じているか、そちらの方が重要である。

神々に愛されればエスカレーターに乗りながら歩くように人生はスムーズに展開する。

逆に悪鬼や悪霊と縁ができれば下りのエスカレーターを歩むことになる。
スピードは早くなっても行き先は奈落だ。
または、下りのエスカレーターゆえに逆らって登ろうとしても一向に前に進まないという、悪戦苦闘の努力が実らない人生となる。

現実社会で詐欺師に騙されるなどいつもトラブルが多いか、いつも会う人が皆良心的な人か、いつも努力が報われないか、とんとん拍子に物事が捗るか、それらを振り返ってみれば、悪霊か守り神、どちらと縁が生じているかがわかる。

もし気になるならば、この記事だけでなく、これまでの私の過去の記事も読んでほしい。

皆さんが良き縁を得る鍵、ヒントが随所に散りばめられていることに気づくはずだ。
しかも全ての記事が無償で提供されている。

以上、読んでくれてありがとう。

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