課長、思い立つ
人類は何故戦争を行うのか。
その理由は天使の持つ力を得るため。
魔の力、物の力、人の力、知の力、自然の力、繋ぐ力。これらは神の意思を具現化するために天使に与えられ、100億年以上もの間バランス良く、正しく使われてきた。それが人類に与えられ、天使の助言に基づき使えるようになったのは2700年前。
それ以来、天使の愛ともいえるこれらの力は人を惹きつけ発展させ続けてきた。一方で、その力を巡って殺し奪い合う血塗られた歴史が繰り返され、多くの種族が人類の手によって滅亡を余儀なくされてきた。とりわけ魔の力は人類を強く魅了し、その欲望は制御不能に陥りつつある。
それでもなお、人類は自らの行為を省みることなく暗い軽蔑の眼差しで見下ろす存在に気づくこともない。
「今日はバイクの教習だったな」すでに30代後半で管理職となっている俺にとって、自分一人の力だけで挑むバイクの教習は新鮮なものがある。管理職が負う責任は組織にかかる責任そのものであり、個人の責任となる場面はほぼない。それに比べ、教習場というものは立場も組織も関係なく、失敗すればその責任は完全に自分個人のものである。当然ながら、誰も私のことを課長とは呼ばない。
結婚していれば家族に対する責任が発生したのかもしれないが、早くに両親を亡くし、10年間も付き合っていた彼女には35歳にして突然フラれ、会社では敵が多すぎて頼れるのは腹心ともいえる部下たちのみというこの状況。幸いにも部下は優秀で信頼してくれているおかげで、社内に敵が多い割には手を出してくる政敵もおらず、気楽な独身ライフを送れている。
先日の検定試験ではまさかの一本橋落下で不合格。二段階目に入ってから一本橋の落下なんて一度もなかったのに、である。苦手としていたクランクをクリアして気が抜けたのかもしてない。自分でもびっくりしたが、不思議と悔しさはない。むしろ試験における緊張感、失敗した時の感覚、自身の実力不足で不合格。久しぶりの感触であり、また挑戦できると思うとワクワクする、補講と検定料がもったいないのだが、まぁ気にするまい。組織で動く会社の中ではそんな感覚を味わうことはできない、管理職ともなればなおさらだ。そんな楽しみをまた味わえるのだから、趣味の一環として十分だろう。
偉い人がゴルフをするのは似たような感覚なのだろう。自分1人の責任で結果が決まる感覚を共有して楽しむ物なのだろう。緊張体質の私には、あんな周囲の視線がある中でそんな境地に至ることはできそうにないわけだが。
彼女と別れてから1年、ようやく傷も癒えてきた。会社の同期とは疎遠だし、週末に上司と出かけるようなことは嫌だし、そういう自分が、たとえ腹心だとしても自分の部下を誘うのは明らかに間違っていると思うし、そんな訳でこの1年間、休みの日は午前3時までゲーム、朝9時に起きたらパチンコ屋、負けたら夜7時まで満喫で過ごしラーメンを食べて帰るルーティーン、給料の大半はパチンコ代に消えていった。そんな自堕落な生活に終止符を打つべく、バイクで出かけようと一大決心をしたのは2月のこと。
決算業務は部下がやってくれるし、社内が決算でバタついているからこそ経営層から面倒な宿題も降りてこない。そんなわけでこの時期の課長は意外と暇なのである(諸説あり)。まだ期末を迎えない3月、休日出勤のないこのタイミングならバイクの免許を取りに行くのに絶好のタイミングではないか。そんな風に思い立って教習場に通っているのだが、一つ見落としがあったことに愕然とする。この時期は高校であれば卒業、大学であればテスト休みになっており、バイクの免許を取りにくる若者で教習場が溢れていたのである。その結果、5月になるまで教習予約が全然取れず、とうとう検定が梅雨にかかり、あげく一本橋で落下して再度検定を受ける羽目になった。もう台風が来るシーズンだ。
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