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中延記念湯の前のぶらり
なかなか足を運べないエリアに来たのだから散策をしてみよう。
用事まで時間あるし、お天気もいいからね。
散策したのは洗足池。
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スワンボートにも乗れるなんて素敵‼︎
なんという気持ちよさ‼︎
1周約1.2キロをのんびりふらふら楽しんできました。
●洗足池
武蔵野台地の湧き水をせき止めた池で、かつては「千束郷の大池」と呼ばれ、灌漑用水としても利用されていた。清水窪弁財天の湧水(東京の名湧水57選の一つ)が源泉のひとつとされている。
「洗足池」と呼ばれるようになったのは、日蓮聖人が病気療養のため身延山久遠寺から常陸に向かう途中に立ち寄った際に、池で足を洗ったことが由来。
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三連の太鼓橋。
この橋のおかげで趣がぐっと深くなる。
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御祭神:市杵島姫命いちきしまひめのみこと
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福徳財宝授けの神
音楽、舞踊、芸能上達の神
水神、水路、海上安全の神
交通安全の神
商売繁盛の神
水に囲まれた場所には弁財天様を祀る寺社が非常に多い。
もともと弁財天様はインドのサラスバティー河の神様であり、日本に伝わってからも水の神様として川や湖、池に祀られた経緯がある。
…とは言え、湖や池に島がある場合はその島に、ない場合はこちらのように築島してまで弁天様を祀るのは非常に興味深い。
さて散歩は続く。
洗足池は江戸末期の幕臣勝海舟ゆかりの地だそう。
てくてく歩いているとひらかれた場所にでる。
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墓所だけど気持ちいい場所だったな。
石塔「海舟」の文字は
江戸幕府最後の将軍徳川慶喜が記したもの。
勝海舟は、江戸城の明け渡しについて話し合うため、中原街道を経由して、新政府軍の本陣がおかれた池上本門寺へ向かう途中、洗足池付近で休息をとったといわれている。そのときに、洗足池周辺の風景を気に入り、明治24年「洗足軒」といわれる別荘を構えたという。
生前より墓は洗足池の畔にと決めており、明治32年1月19日に亡くなると「富士を見ながら土に入りたい」という遺言のとおり洗足軒の近くに葬られた。
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西郷隆盛の直筆が石碑となっています。
この漢詩を詠んだ気持ちが
字体にあらわされており感慨深い。
裏には勝海舟による撰文も記されています。
西郷隆盛は明治10年の西南戦争により、故郷鹿児島において子弟三千余と共に逝去される。その死を悼んだ勝海舟は、西郷隆盛の漢詩とその筆跡を遺すため、三回忌にあたる明治12年に自費で建てたのがこの留魂詩碑。
内容は西郷隆盛が沖永良部島の獄中(鹿児島藩主 島津久光の怒りをかい流刑)で作った七言律詩で、天皇に対する忠誠心が詠まれている。
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明治16年西郷隆盛の七回忌に際し、
勝海舟からの詩碑の存在を知らされた有志が
西郷隆盛の霊を祀った社
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休館日で見学できず。
もともと勝海舟関係の図書の収集・閲覧
や講演を行っていた清明文庫だったところ。
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戦後焼失してしまったが、
洗足軒は茅葺きの農家風建物だったそう。
あっという間に洗足池1周まわってきた。
最後は日蓮上人ゆかりの地。
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日蓮聖人が身延山から常陸国に向かう途中、老松に袈裟をかけて池の水で手足を洗った
ことから創始したといわれているお寺。
ここも非常に気持ちがいいところ。
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その日蓮上人が袈裟を掛けた
といわれている松がこちら。
3代目の松。
ん?わたし、ここ知ってるかも?
いそいそと調べてみるとやっぱりそうだった。
歌川広重「名所江戸百景」の「千束の池袈裟懸松」の場所だ。
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左奥に見える神社は千束八幡神社か。
中原街道沿いには茶屋があったこともわかる。
あ。茶屋だった場所に現在もカフェ(ハワイアンカフェ)があった‼︎
古地図や浮世絵をもとに現在の姿を照らし合わせるのは萌える。
さてさてさて。
今回このエリアを訪ねたのは、東急池上線長原駅近くにあるwagashi asobiさんのドライフルーツの羊羹を購入するため。
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相性よくいただける羊羹。
イチジク、くるみ、いちごのそれぞれ違う
食感が楽しめるのもまたよし。
ラム酒の香りもまたよし。
いい天気の中のぶらぶらのんびりはやっぱり気持ちいい。
そしてその土地の歴史を学ぶと、脈々とわたしたちはつながってきていることがわかっておもしろい。
今日もいい1日だったな。明日もいい1日になりますように。
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