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エッセイ:夏の記憶

私は今、玄関の前で呆然と立ち尽くしている。家の鍵が無くて中に入れないのだ。遡ること数分前、よく物をなくす私は鍵が見当たらなくて焦っていた。だからまだ寝ている旦那に声をかけ、内側から鍵をかけてもらったのだ。そのまま急いで家を出て、全速力で自転車を漕いだ。

無事娘を幼稚園に預け帰宅しいつものポケットにそれを探したが何の感触もなかった。そうだ、旦那に鍵を閉めてもらったんだ。開けてもらおうと思いインターホンを鳴らすもの返答はない。玄関のドアを叩いてみた。しかしドアの向こう側にはなんの気配も感じられない。数回繰り返してみたが、近所の手前早々に諦めた。きっと2階の寝室で寝てしまったのだろう。あと2時間もすれば仕事のため再び起きてこの事態に気づいてくれるだろう。2時間か・・・と思いながら、駐車場に置いてある車のドアを開けた。

今日は曇り空だった。お日様がさんさんと照っていては干からびてしまう。助かった。一人つぶやくと、車のドアを全て開けて助手席のシートを倒した。2匹の蝉が向かいの家と我が家の木を行ったり来たりしている。ミンミンと大きな声で力の限り鳴いている。シートに横たわり目を閉じると、ずっと忘れていた記憶が、ふと蘇ってきた。

 

その時私は埃を被った家の中で小銭を探していた。窓のサッシの隙間から見つかったのは10円玉一枚だった。ああこれで何が買えるだろう、小さな5円玉チョコを2枚買ったのだろうか。その後の記憶はない。

「お腹が空いた」それが子供の頃の口癖だった。仕事人間で全てにおいて厳しかった父はほとんど家におらず、病気の母と3人の子供は狭い家でいつも空腹と共に過ごしていた。母は精神を病んでおり、家事ができない日も多かった。大量の服と本の間でいつも横になっていた。一体どうやって育ち盛りの小学生3人が暮らしていたのか思い出せないが、アルコールと煙草の匂い、何度も呼んだ救急車の音だけが鮮明に蘇ってきた。


学校が唯一の救いだった子供はどのように育つのか。兄と姉は成績優秀で特に問題を起こすことなく県内の進学校へと進んだ。末っ子だった私はとにかく目立ちたがりだった。学級委員長や係を買って出て、誰かのために動くこと、感謝や羨望の眼差しを向けられる事が何よりご褒美だった。家に帰れば子供が子供でいることが許されず、時に家政婦であり、時にカウンセラーであり、介護者でもあったからだ。他者から贈られる「ありがとう」の言葉は、真っ黒に塗りつぶされた私の心に唯一灯してくれる線香花火のような存在で、蜂蜜のように甘かった。しかし、その小さな幸せに持続性はなく、いつも自分の背後に薄暗い影を感じていた。


幼いころの記憶が一気に蘇ってきて、私は混乱した。そんなことが本当にあったのだろうか。遠い日の自分を思い、心が痛んだ。


母がアルコールに溺れいよいよ日常生活が送れなくなると、閉鎖病棟に入院した。私が高校生の頃だった。あの日も確か暑い夏の日で、汗を流しながら長い坂を自転車で登った記憶がある。インターホンを鳴らすと、2重に鍵のかかった扉を看護師さんが開けてくれた。閉鎖病棟は独特の匂いがする。みんな宇宙のような言葉を喋り、同じように上の方をぼおっと見ていた。あの空間が怖かった。でも母に会いたかった。そして会うとすぐ家に帰りたくなった。母もここにいる人達のようになってしまうのではないか、退院するとまた自殺未遂をし二度と会えなくなってしまうのではないか。そんな不安がいつも付きまとっていた。

何故かそこから家族の記憶があまりない。そうだ、私は逃げたのだ。

当時専門学校を卒業し晴れて国家試験に合格したものの、在学中に摂食障害とパニック障害になった私は到底病院へと就職する勇気も気力も体力もなかった。当時付き合っていた彼氏の元へ転がり込むように家を出て、家族という重くて苦しかった物から目を反らしたのだ。だがそんな不健全で縋る思いで寄り掛かったような関係は、新たな問題を引き起こしただけで。数か月後には彼氏からのDVと束縛に怯える日々が始まったのだった。結局2年後にはまた逃げるように実家に帰った。
そこにはなぜか可愛いプードルがいて、家族みんなで穏やかに暮らしていた。病院を変えアルコールを絶った母は嘘のように普通に暮らしていた。私は不思議だった。人間は変わるのだろうか。いやどうせまたお酒を飲んでODするんだろうと信用できなった。しかし、母は飲まなかった。不安定で宇宙の言葉が出る日もあったが、毎日決まった時間に起き、朝食を食べて、新聞を読んでいた。犬と遊び、買い物に一人で行き、夕食を作り、夜になると薬を飲んで眠った。大声で叫ぶこともお皿を割ることもなくなった。

人間は変わるんだ、と私は初めて知った。

実家には幼いころの写真がたくさん残っている。少し色褪せているそれには、子どもと母の4人で大きな芝生公園に行き、サンドイッチを食べている姿が映っていた。みんな整った髪型で、健康的にふくふくとした体で、シワのない服を着ている。幸せそうに笑っていた。

習い事も沢山していた。ピアノ、水泳、硬筆、くもん。全て私が自らやりたいと言ったものだった。誰が送迎してくれたんだろう。誰が月謝を払ってくれたんだろう。誰がご飯を作ってくれたんだろう。凄惨な記憶と共に、確かに愛されていた事も思い出した。

夏の日、蝉の声、10円玉、サンドイッチ。

旦那が鍵を開けてくれるまでの30分間、走馬灯のように様々な記憶が蘇り走り去っていった。何が本当の記憶で真実なのか、実のところ私にも自信はない。でもひとつだけ思ったことがある。娘が帰ってきたら、思い切り抱きしめてあげよう、と。

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