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首都圏に生まれた特権性ってなんだろうか

東京にいるとさまざまな文化的機会を享受でき、しかも首都圏生まれの人間はそれに無自覚である。というのはよく言われることだ。
私も都内ではないが首都圏と呼ばれる範囲の生まれ、でも寂れた住宅街や畑、広い駐車場に囲まれた土地でそんなに都会ではなかった。
私は18年東京に隣接した他県のその市で育ち、4年間札幌で暮らし、就職して東京で4年になるのだが、もちろん一番価値観が広がったのは札幌での4年間だった。知らない土地で、知らない人たちに出会い、大切な記憶をたくさん産んでくれた時間。自分が何を愛しく思うのか、何を美しいと思うのか、あの4年でかなりわかったような気がする。

一方、全国のみんながこぞって言うところの「東京の特権性」これが正直よくわからないので年末に少し考えた。まぁ、他県に暮らしていた18年で東京まで行く機会はそれほど多くなかったし、就職してからの4年はほとんどがコロナ禍での時間だったから、本来の東京を知らないだけなのかもしれないとは思いつつ...。

首都圏に生まれて良かったことはなんだろうと考えてみる。ジブリが大好きな子供だったので、親に頼み込んで三鷹の森ジブリ美術館に簡単に行けた。ディズニーランドにもよく行った。上野にパンダがいることを特に特別とも思わない環境にいた。スカイツリーができていくのが学校の教室から見えた...他にもきっと無意識で体験していることはあるのだろう。しかし、だからなんだろう。
私は18になるまでゲレンデに行ったこともなかったし、氷柱を見たこともなかった。というよりは雪を見るのが珍しかったので視覚的に冬を感じる機会はほぼなかった。今でもスケートは上手にできないし、スキーもスノボもなかなかできるようにはならない。キツネにもリスにも18になるまで会ったことはなかった。
首都圏と札幌圏で確かに体験できることは違うけれど、その差がそんなにあるとは思えないと思っていた。

しかしそういえば就活の時、感じの悪いどこかの何かの講師に「北海道の学生はダメだ」みたいなことを口うるさく言われたことを思い出した。曰く、「東京の学生でこんなにのんびりしている人はいない!お前たちはやばい!」。
それでも私が普通に東京の学生に混じって一応は希望の職場に内定をもらったのは、もしかしたら高校までの友人が、早稲田や慶應や東大や一橋や、ガンガン情報の入る東京にたくさんいたことも関係があるのかもしれない。彼らがどんなかを知っていたから、講師の言うことを必要以上に気にすることはないと自分で判断できた。そうして彼らといろんな話をしながら就活を乗り切った気がする。就活の拠点も、首都圏にある実家におけば良かったのだから、北海道出身の学生より経済的アドバンテージがあったことも間違いない。
だから私は、札幌が心から好きだけど、札幌に生まれ育った人たちに比べたらやはりちょっと有利な立場にいるのかもしれない。そのことに無自覚なままで、東京は人が多くて汚くて嫌で、北海道が羨ましいなどというのは不誠実だ、ということにこれまで思い至らなかった。

年末、実家のある、その首都圏の地元で中学高校の友達と飲んだり遊んだりして過ごした。かつて同じクラスで授業を受けていた彼らの中には公務員がいて、仕事を辞めた無職の人がいて、医者がいて、トラック運転手がいる。編集者になった私は彼らとお酒を飲んだり歌を歌ったりする。皆が皆、希望の仕事に就いているわけではないし、それは北海道でも首都圏でも変わらない。同じ土地にいても同じだけの機会があるとも限らない。けれど、自分でもよくわからないどこかで私は首都圏生まれの特権を享受しながら、北海道の良さを受け取っているのだろう。

今日のところの結論は、東京には東京の特権が、北海道には北海道の、そしておそらく大阪にも名古屋にも福岡にも仙台にも広島にもその土地なりの特権がある。けれど、東京の特権性はきっと他の地域よりも代替しづらいものなのだろうということだ。首都だから、首都の空気を自覚せずともわかるということがあらゆる場面で有利に働くということだろうか。本当の意味でどういう権利を得ているのかはまだわからない。でもおそらくは一生自覚できないだろうこの特権性の存在は、忘れてはいけない。年末の東京に射す陽はやわらかく、極寒の北海道の空を思い浮かべてそう思う。

読んでくださった方々、ありがとうございました。来年も、どうぞよろしくお願いします。

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