5:除霊では去らないレビー小体の幻視

要介護がついたので、ケアマネージャーを決めなければならないと言われた。ケアマネージャーとは何をしてくれる人なのか?介護支援とは何をしてくれるのか?印刷物はあれど、自分がどう利用できるのか、さっぱり頭に入らない。
包括支援課では、各介護施設の一覧表をくれた。あとは自分で好きなところに電話をかけろと言う。好きなところに、と言われてもピンとこない。そこで、疲れ切った映子の頭は、回転を止めてしまった。何を基準に、どこを選べばいいのか、さっぱり見当がつかなかった。  
しばらくして、包括支援課から電話があり、認知症の家族会の集まりと、デイサービスの見学を提案された。家族会って何をする場所なんだろう?とにかく、介護にかかわるいろいろな活動を知る必要があったので、映子は、とりあえず行ってみることにした。
会場には、認知症本人と家族が4~5組、介護者が一人での参加が7~8人、会場担当者が5人ぐらい控えていた。コロナが猛威を振るう少し前で、まだ、人が集まる事ができる状況だった。
家族会というのは、お互いの状況や困っていることなどを相談したり、息抜きのために小さなイベントが組まれたり、講演会があったりするようだった。大吉がレビー小体型認知症だと聞いた主催者の女性はレビー小体型の人はこの会には少ないんだけれどと言いながら、
「だったら、石台さんがいいわ。石台さんのご主人はレビー小体だから」
主催者の女性が連れてきたのは、小柄だがテキパキした感じの女性で、分厚いノートを3冊くらい手にしていた。それは、介護日誌のようだった。
映子も介護日誌はつけている。毎日の症状や、出来事を記載することの重要性は計り知れない。介護者は、忙しすぎて、全て覚えていられないほど疲労しているからだ。熟睡できる時間もない。しかし、色々書類を書くときや人に説明するとき、あれはいつだったかとか、確認できると非常に助かる。それに、症状の移り変わりも確認できる。
石台さんは、映子に名刺を差し出す。名刺を持っているのは、なにか仕事でもしているのかと思ったが、住所と名前と電話番号しかなかった。個人名刺だった。
「ご主人?私も以前は今のあなた方のように、二人でこの会に来ていたのよ。なつかしいわ。同じ〇〇市ですものお電話くださいね。うちにもいらしてね。」
「ありがとうございます。今、ご主人はどちらに?」
「1ヶ月前に、施設に入所したんです。空きができたっていうのでね。本来は、違うところを希望していたのだけれど、空きがなくて。私が入院したりしたものだから、施設に入れないともう、一人で介護しきれなくて。今は、半分寝たきりですよ。」
「介護は何年目になりますか?」
「8年になります。施設に入っても、蛇がいるとか幻視があってね。」
「蛇、うちもありましたよ」
「私は一度も主人の幻視を否定したことはないのよ。否定しないほうが良いって言うから」
「それは、すごいですね」
石台さんは、誰かに呼ばれて、忙しそうにそのまま行ってしまった。
幻視を否定しない。これはとても難しいことだ。映子は、なるべく否定しないようにはしていたが、現実でないものを否定しないということがこれほどきもちの悪いことだとは、経験するまでわからないことだった。
大吉の幻視は、大まかに分ければ、職業の延長で大勢の利用者が来る、昔の仲間が来る、親戚や亡くなったお父さんが来ているというものと、人間以外のもの(蛇や毒虫、怪物、かわいい犬や猫、得体の知れない黒いもの~マックロクロスケのようなものかも)とに分けられる。
ある日、大吉が幻視について間違った感覚を持っているのを知った。
「俺にも霊が見えるようになったんだ」
レビー小体の幻視は、すごく克明に本物のように見えるのだと言う。実際にレビー小体型認知症にかかった本人がそう本にも書いている。人が、何をどう見えているかなんて、誰にもわからない。赤い色が、マゼンダなのかスカーレットなのかその中間なのかもまったく証明不可能だ。それぞれの人が、学習によって、人がスカーレットと呼ぶ色を、そうだと認識しているだけで、同じ色で見えているのかは不明なように、その人が見ている映像を他の人が特定することはできない。SF映画のように、人の思い描く映像がホログラムに投影される機械でもあれば、人それぞれの見え方の違いに、驚愕することになるかもしれない。
「霊ではありませんよ。あなたの頭が作り出している映像ですよ。」
「それはつまらないな。俺にも霊能力がついたのかと思ったよ」

映子には、小さいときからちょっとした霊的な能力があった。しかし、それは決して楽しいものではなかった。神社に行けば、そこで集まっている不成仏な霊に生気を吸い取られ、翌日高熱を出す。お墓の前を通れば、腕を掴まれる。映子の場合、見えるというより感じるというのが正しいのだが、その話を聞いた大吉が、まさか羨ましいと思っていたとは。映子にしてみれば、くだらない能力でしか無い。この能力が無ければ、どれほど人生が楽になることか。だから、大吉の見ているものが、霊なんかではないことは、映子が一番良くわかっているのだ。もし霊であれば、映子自身で、除霊はできる。霊は、大抵は地縛霊としてその場所に縛られているので、長い間には、成仏したい、霊界に帰りたいと思っている。生きている身体があるからこそ、人の思いは、変化させることができる。どんなにつらくても、変わることは可能なのだが、肉体がないとその瞬間、その場所に留まらざるを得なくなる。憎い、悲しい、辛い感情のままとどまることになる。何年も、何百年も。だから自殺はしないほうがいいのだ。その霊を光の世界に戻らせることが、映子にはできる。どうやってとか、そういうことはうまく説明できないが、何度かそういうことを経験して、自分の役目の一部だとは思っている。
レビー小体で幻視が見え始めると、お払いに行ったり、除霊を頼んだりする人もいるとは聞いていたが、ここにもいたのかと、映子は内心うんざりする。何回もこの話題は繰り返され、大吉の頭の中では、幻視は確実に現実なのだと思い知らされる。逆に、霊であったなら物事は簡単だ。映子には解決のつく問題だった。
ふと、大吉の視力はどのくらいなのだろうと思う。もし、視力が悪くなっていて、現実がしっかり見えていないのに、幻視だけくっきり見えたとしたら、現実より現実らしく思えるではないか。
映子は、大吉を眼科に連れて行った。通常の健康診断では、目の検査はしない。結果は、視力0.3で、白内障の初期と言われた。医師は、白内障は初期なので手術をしてもしなくてもいいけれど、どうしますかと大吉に訊ねた。大吉は、手術は怖いのでしたくないという。そこで、眼科は終了した。映子の観は当たっていたわけだ。ではメガネをしたら状況は変わるのか。試してみたかったが、大吉は面倒がって、メガネを生活の中でかけようとしない。認知症の人間に新しい生活習慣をつけるのは、ほとんど無理だ。彼らはいつも通りが好き。変化を好まぬ超頑固者揃いなのだ。体の状況はわかったが、それだけに終わった。

認知症の残酷は頼れるお父さんや優しいお母さんが、壊れていくことを見続けなければならないことだ。
普通の老化とは違い、人格の崩壊は目を覆いたくなる。怒りっぽくなり、頑固になり、コミュニケーションが取れなくなる。怒り出したらなかなか収まらず、いつまでも同じことを言い続ける。人によっては暴力にまで発展することもある。怒り出す理由は、理不尽なもので、理論や常識は全く無意味だ。介護者は辛い心境をたえなければならない。

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