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【小説】松田とマユ #2

 擦れて血が滲んだ足が、じくじくと痛む。

 悪竜アジ・ダハ―カの姿に変じたマユは、遠く大気圏外にまで飛翔した。
 私もアフラ・マヅダとして、教師の松田として彼女を追いかける。

 そして彼女と出会ったときのことを思い出す。
 神として、私の被造物に彼女が攻撃をはじめたときのことではない。

 今生において人間に生まれた私が、中学進学を前にした小学生だったころ。
 私に家の隣に、一組の家族が引っ越してきた。

 仲の良さそうな若い夫婦、新築の一軒家。
 幸福の絶頂にあるだろう夫婦の間には、一人の若い娘がいた。

 幼稚園に通う、くりくりとした瞳がとっても可愛らしい女の子。
 その子の名前を、マユと言った。

 私も私の家族もすぐにマユの家族と仲良くなり、互いの家を行き来するほど親密になった。
 特にマユの両親がどうしても遅くまで外出しなければいけないときなどは、私の家でマユを預かることが多かった。

 マユは実の家族同然に私へ懐き、私もマユを実の妹同様に愛した。

 自分がアフラ・マヅダで、マユがアンラ・マンユだと気づくまでそれから数年の月日が必要だったのだが、そのときの互いの表情は、決して聖典にも描写してはいけない変顔だった。
 驚きより、照れが強かったのだ。
 それもそうだろう、それまでの私達と来たら、周囲の友人が引くほどのべったり具合だったのだから。

 だってマユのやつったら、あの可愛さは私の被造物にも比肩する相手を見つけられぬほどだった。

 私のお母さんが作ったご飯を一緒に食べて、そのまま一緒にお風呂に入ったときなどは、それはもう幸せだった。
 浴槽に浸り、私の胸に背中を預けてくるマユをそっと抱き締めてやると、マユは恥ずかしそうに言った。

「マユ、お姉ちゃんのお嫁さんになる」

 と。

 感動すると同時に彼女の中で私は夫ポジなのかと疑ったけれど、どうもマユはそのときすでに同性婚のパートナーシップを想定していたらしい。
 早熟というか、しっかり者で前進的な子だった。
 全身暗黒神なのに。

 それで私はと言うと、

「いいよ。お姉ちゃんも、一生マユと暮らしたいから」

 と、即答でマユのプロポーズにOKを出した。
 なかなか無責任であると今は反省もするが、しかしこんないたいけで可愛いマユが必死に腕の中で愛を伝えてくるこの状況、性別関係なしにパンチが強すぎる。
 無数の善なる霊を送り出し、地上の人間に愛を与えた私の過去を思い出しても、ここまでアガる経験はなかった。

 それからというもの、私は出かけるときも家にいるときも常にマユのことが頭から離れなくなった。
 服もたくさん買ってあげた。
 私の趣味でフリフリのリボンがたくさん着いたドレスのようなファッションをいっぱい強要して、数万枚という画像を撮影させてもらったけれどマユにとっては黒歴史らしい。

 暗黒神の黒歴史。

 そんなダークネスな思春期ヒストリーを与えてしまったのが光の神たる私、というのもなかなか皮肉が効いている。
 いや皮肉も何も、私が全力で趣味に走っただけなのだけど。
 薄いそばかすに悩みながらも、フリフリスカートの裾を抑えて私の手を握ってくるマユの魅力に勝てる神などいるだろうかいやいない。

 そんなこんなでスマホのリール画面をクラスメイトに覗き見られたときは、しばらく誰も私の周りに寄り付かなくなった。
 けどそれを全然ストレスと感じないほどに私はマユを愛していた。

 一方マユは、小学校の時点で料理の腕が上達しまくっていた。
 私のお母さんが作るオムライスの味に衝撃を受けたらしいマユは、我が家に通いつめてお母さんの料理技術をたくさん学んだらしい。

 やがてマユは高校に通う私に手作りのお弁当も作ってくれるようになり、私はそれをクラスメイトに毎日自慢してそれはウザがられるようになった。

 人に距離を取られるKY光明神。

 これも聖典に載せられない。ツァラトゥストラさん本当にごめん。

 だって冷凍食品でも全然私は構わないのに、一品一品きちんと自分で作るのだもの、マユは。
 味噌味の肉巻きおにぎり、れんこんの挟み焼き、ソーセージといんげんのごま和え、大葉と鶏むね肉の塩からあげ。

 どれもこれも、そのひと手間に創意工夫が見え隠れする。
 愛情が溢れて漏れまくっている。

「お姉ちゃんが食べるものは、全部私が作ってあげる!」

 マユは家族の前でそう宣言していた。

 彼女が言う通り、マユの料理は栄養バランスもばっちりで、私は大した運動もしていないのにどんどん健康になり、スタイルも抜群に良くなった。
 そのせいで無駄にモテるのだから、これも皮肉なものなんだけど。

 人を美しくする暗黒神。

 なんとも官能的な響きではないだろうか。
 当時小学生の女子を形容するには、少々コンプラ違反な気はするけれど。
 美しいのは絶対マユ本人なのだけど。

 あとは映画館へもたくさん一緒に行った。
 私は基本オールジャンル好きで、海外のヒーローものからジャパニーズホラーまで楽しめる得な性格。
 女性の霊が出てくるとマユの部下を思い出して苦い気持ちになることもあるけれど、そこはご愛嬌。
 創作に神話は持ち込まない。

 一方マユは青春映画や恋愛映画に目がないみたいで、特に重病で若くして別れることになる男女が出てこようものなら号泣して私の胸にすがりつく。
 そしてその夜は必ず一緒に寝てあげなければいけない。
 苦しくないのかとも思ったが、たくさん泣くと気分がスッキリするらしく、

「私達は大丈夫だよね」

 と現実を把握して、安心するそうだ。

 恋に恋する暗黒神。
 これもなかなか強烈な字面だと思う。
 暗黒神って言いたいだけだろってそろそろ思われてそうだけど、事実そうである。

 口にしたい悪。
 それがマユだ。

 そんなマユを見ていて、誰かを愛する喜びが染みついた私はこども達を守るべく、教員の道を選んだ。
 その上でなんとマユの学校で教員として働くことになるという、運命的なシチュエーションにも恵まれた。

 なんだかんだで、幸せには違いなかった。
 だからある日、自分の正体が光明神アフラ・マヅダだと気づいたときは、はっきり言って絶望した。

 過去の記憶が一気に戻ってくる。
 創造の歴史も、闘争の歴史も、滅びた文明も、変わりゆく信仰も、積み重ねられた死の数も。

 そして私がアフラ・マヅダで、マユがアンラ・マンユである限り、私達は必ずぶつかり合う宿命にある。
 こんなに相思相愛なのに、神だからというだけで。

 だから私は、ほんの少しでもその未来を遠ざけようと抗ってみたのだけど、その努力は無駄なものとなった。
 こともあろうか、先に動いたのはマユだった。

 悪しき霊達を扇動し、マユはこの世界に宣戦布告した。

 突然アジアの小国に住む女子高生に煽られる意味がわからず、世界は当然その言葉を無視したが、すぐに兆候は訪れた。
 局地的な台風、連続する大地震、建築物を破壊する巨大な雹、蔓延する疫病、灼熱のように上がる気温。
 あらゆる災厄が、人間達を襲った。

 後の様々な神話や宗教にも影響を与えた最終戦争、終末の兆し。
 全てはアンラ・マンユに従う悪の霊が、この世界に干渉した結果だ。

 私に従う善き霊、アムシャ・スプンタもこれに対抗したが、その交戦こそが地上にダメージを与える。
 結局、世界はあっさり滅びた。

 いつものことではあるけれど、やるとなったら徹底的にやる性格は女子高生のマユと言うより暗黒神アンラ・マンユ本来の性質を思い出させる。
 かくして人類の大半が霊となったこの世界で、私とマユにとっての重要な聖地、学校の校舎と教室だけが残された。

 しかしそんな重要な場所をも破壊して、マユは外の世界に飛び出してしまった。

 何がマユの逆鱗に触れたのか、あるいは逆鱗など関係なく自分の宿命にただ従ったのか、私にはわからない。
 わからないけれど、アフラ・マヅダとして私は挑発される以上付き合うしかない。

 ――ものすごく、悲しいけれど。

 マユに嫌われるだなんて、今ここで私という存在が雲散霧消するよりも苦しいけれど。
 マユの意思を無視することは、どうしてもできない。

 覚悟を決めて弾丸を装填し、マユの背中を追う。
 音速を楽々と越え、気圧を無視し、真空に満ちた大気圏外へ。

 瞬く星々を背に、羽根を生やした女子高生が腕組みで立っている。
 大気なき真の暗黒空間を、力で統べる未成年の暗黒神。

 その瞳にはドス黒い憎しみが宿り、歪んだ唇には私への侮蔑が浮かんでいる。
 やっぱり、悲しい。
 何度も繰り返し見てきた光景なのに、今が一番悲しい。

 するとマユの羽根から、無数の羽毛が超高速で放たれた。
 そのひとつひとつが私の周囲に浮かぶ小惑星を掠り、瞬間に爆発させては消滅する。

 まるで核ミサイルのような――人間が作ったそれの威力を遥かにしのぐ――羽毛を使って、マユは本気の攻撃を私にしかけてきた。

 私も応戦するしかない。
 小さな拳銃のように見える『ウォフ・マナフ』の弾丸に込められた、私の正義たる顕現。

「やるというなら、私もとことんやってあげる。お姉ちゃんとして教師として、アフラ・マヅダとして!」

 太陽系も巻き込む、光と闇の直接対決がここにはじまった。


続く


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