【小説】松田とマユ #3
月はすでに粉みじんに砕かれ、太陽系から姿を消した。
私が吐き出した冷凍光線は、恒星単位の天体を数秒で消滅させるほどの威力を持っていた。
太古における月と地球の出会い、ファーストインパクトの謎はもう永遠に解くことができない。
次に破壊されたのは、火星だった。
私の波状攻撃と松田が持つウォフ・マナフの激突で生じた暴虐的で無秩序な嵐が、火星を中心核ごと分解する。
火星にあるとも噂されていた生命の痕跡は、二度と発見不可能になった。
火星と木星の間に存在する小惑星帯は私が通り過ぎただけで砂粒と化す。
土星はその環ごとフリスビーのように投げつけてやったけど、松田のウォフ・マナフに撃ち落された。
平均密度が地球の1/8程度とはいえ、半径が地球の8倍に達する土星を迎撃なんて、どう考えても拳銃の威力じゃない。
太陽系のダメージはすでに修復不可能な域に達しているけど、私と松田の勢いは止まるどころか、加速度的に増している。
お互い、この美しいはずの太陽系を消滅させることにためらいがない。
それぐらい、マジでムカつく。
それぐらいマジ殺したいから。
クソクソクソクソクソクソクソクソッ。
下品だけど何回言っても言い足りない。
クソ正義。
クソアフラ・マヅダ。
クソ松田。
昔はあんなに優しいお姉ちゃんだったのに、いきなり教師なんかになりやがって。
私だけのお姉ちゃんじゃなくて、みんなのお姉ちゃんになりがって。
お嫁さんになるの、本気だったのに。
思春期に入っても、真剣だったのに。
毎日お弁当作って、夕食も一緒に食べて、二人でお風呂入って、ベッドでぎゅーしながら寝て、差し込む朝陽で起きて。
そうやって暮らすの、夢だったのに。
自分がアンラ・マンユだって気づいても、それだけは変わらなかったのに。
私の担任になったあの日。
「今日からこのクラスを担当することになった松田です。よろしくお願いいたします」
松田は、深々と頭を下げた。
私は見慣れない姿にビックリしたけど、すぐポジティブに切り替えて声を張った。
「よろしくお願いします、お姉ちゃん!」
「ここは学校です。お姉ちゃんはやめてください」
「え……」
絶句する私に、松田は続けた。
「教室では松田先生と呼ぶように。それでは、授業をはじめましょう」
そんな風にあいつはあっさり私を裏切って、私をただの生徒その1として扱った。
それでも私はある日、松田が好きそうな髪型と髪色にして登校した。
昔ならたくさん撫で撫でしてくれて、いっぱい誉めてくれたのに。
「ねえ、どうどうお姉ちゃん? こういう色好きだったでしょ? 似合うかな?」
「その髪色は校則違反です。明日までに染め直してください」
松田は下らない校則で私を縛って、真顔で注意してきた。
私は何も返せなかった。せめてもの抵抗でメッシュは入れたけど、暗黒感ある赤系で。
他にも私の頭じゃこなせるわけのない、大量の宿題を出してきた。
抗議のつもりでわざと忘れたら、みんなの前で怒った。
「どうして言われたことができないんですか? 他のみんなはしっかり提出していますよ」
「う……マユがあんまり成績良くないこと知ってるじゃんッ。いきなりこんな難しいの出されても無理だよ!」
「ええ、知っています。だからこそ成長の機会を与えているんですよ」
「な……」
優しくない、大人の理屈ばっかり。
そーいうの、私達の間には必要なかったのに。
大好きな映画も一緒に行ってくれなくなった。
残業が多くて土日も仕事があるって言いわけされたけど、なんで私がいるのにそんな時間の余裕がない職業選ぶの?
「たまには付き合ってよー。お姉ちゃんの好きな映画でいいからさ」
勇気を出してお願いしても、
「映画だったら一人で行きなさい。もう子どもじゃないんだから」
そう冷たく言い捨てられる。
信じられなかった。
少なくとも、私を叱るときだからってこんな言いかたをする人じゃなかったのに。
意地を張ってそのときの映画は一人で見に行った。
だけど今はもう、本当に別れのシーンが自分の未来に起こることのように思えて、見終わると苦しくてまとめに息もできなくなっていた。
私は過呼吸を引き起こしていたらしく、救急車を呼ばれて病院に連れていかれた。
もう映画館には行きたくない。
大切な趣味を一つ、私は失ってしまった。
極めつけは、松田と同僚の男性教師がデートしているところを目撃してしまったことだ。
ご飯だったら私が美味しいのいっぱい作ってあげるのに、名前もよくわからないフランス料理を食べながら、松田は見たことのない爽やかな顔で笑っていた。
そりゃ相手は、私が見てもびっくりするほどイケメンだけど。
女子生徒にも一番人気な、面倒見のいい先生かもしれないけど。
二人っきりで、私以外の人間の前でそんな顔になるなんて、絶対どうしてもマジで許せない。
私はアフラ・マヅダとアンラ・マンユの宿命なんて、鼻からどーでもよくて、今、このときを楽しく生きてやろうと思ったのに。
あいつは、松田は、裏切った。
アンラ・マンユではなく、マユの気持ちを無視した。
だから私は、乗ってやることにした。
暗黒神の、悪の道を行く宿命に。
だって一番得意な手料理で気を惹けないのなら、私にはもうそれしかない。
世界を悪に満たす神アンラ・マンユとして、部下のダエーワ達、悪の霊を携えて、戦いを挑む。
そうすることでしか、松田の心を私に向けられない。
一抹の希望は、あった。
私との約束を松田が覚えてくれているはずだ、という綿雪のように淡い想い。
その想いが届いているなら、松田もアフラ・マヅダとしての宿命を越えてでも、私に向き直ってくれると。
しかし、松田が放ったのはアムシャ・スプンタ、すなわちアンラ・マンユの殲滅を目的とする善の霊達だった。
光の神として目覚めた松田は、私に容赦しなかった。
ひとこと、「ごめんね」って言ってくれたらそれだけでよかったのに。
そしたら一番得意なオムライスを作って、二人で仲直りするつもりだったのに。
よりによって拳銃なんかを私に向けて、あいつはマジにケンカを買いやがった。
私を追いかけて無様に転んで、綺麗な足に血を滲ませて。
バカ。
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ。
私が昔から、自分で怪我をするよりお姉ちゃんの怪我が悲しくて大泣きしてたことも、忘れやがって。
怪我をしても辛いことがあっても泣かないお姉ちゃんの強さが、誇らしくも心配で。
だから私はお嫁さんになってずっとこの人を守ろうって誓ったのに。
全部全部、ぶち壊しだ。
もう許さない。
謝ったって許してやらない。
最後の戦いをはじめてしまい、人類を滅ぼした以上、この戦いが終われば私もアフラ・マヅダも次の世界で生まれ治す。
その世界は勝者が望む、たとえばあいつが勝てば正義の世界になるのだろうけど、もうマユとしての私も、松田としてのお姉ちゃんもそこにはいない。
永遠は存在しないから、私達は戦い、次の世界を定義する。
そのルールで相争うのが、私達の宿命。
それでも、この時しか一緒にいられないから、私は必死だったのに。
いいよもう。
バカ。
私もバカ。
こんなやりかたでしか生きられない、悪そのもの。
変わりたかったのに、変えてみたかったのに、駄目だっていうなら、もういい。
諦める。
全力、出してやる。
私の目から発せられる閃光が、木星を蒸発させる。
私の渾身の手刀によって、金星が真っ二つに割れる。
私の怒声から発生した波動で、海王星が四散する。
私の正拳突きが、天王星を吹き飛ばす。
最後に、私の涙が太陽を氷漬けにした。
続く
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