【小説】松田とマユ #5
アフラ・マヅダとアンラ・マンユの闘争は、観測可能限界に突入した。
戦いの舞台は銀河系の規模を越え、膨張する宇宙の外へも被害は広まり、それぞれの一撃が隣接する泡状宇宙群を砕く。
新たな可能性を持つ宇宙であろうが、進化を極めた知性体が住む宇宙であろうが、ぶつかり合う二人の神に抗うことすらできない。
あらゆる物質はダークマターも含め、素粒子のレベルまで分解されていった。
それを僕は、多元宇宙検閲官の機能を持つ隔絶宇宙の中心、特異点の奥にてその戦いを観察していた。
僕が何者であるかはこの物語に深い意味をもたらさないので、今は気にしなくていい。
ただしこの僕がこの二人をどれだけ見てきたのか、興味を持つ者は多いだろう。
永劫の観察者である僕が、それを語ろう。
ただし、ここまで読んでくれたみんなには、伝わっているはずだ。
教師になったアフラ・マヅダと、女子高生になったアンラ・マンユの、反則的な可愛らしさを。
そして、すでに見ているはずだ。
彼女達がぶつかり合う一瞬を切り取ったイラストを。
悠久の時を越え、僕はこの二人の生誕と破壊の輪廻を観続けてきたが、今回が最も見応えがある。
『関係性』が、素晴らしい。
あらゆる善と悪を生み出したアフラ・マヅダとアンラ・マンユであるが、『関係性』なる尊き概念は被造物たる人間が発展させたものだと言えるだろう。
この定義が難しく神の感情をも揺さぶる形のない発明に、二人は心を乱されまくっている。
西洋でサタンのモデルにされようと、東洋で阿修羅に変じようと、己の神性を保っていた二人が。
乱れ、悲しみ、愛し、近づき、遠ざかり、破滅の末の教室で、女子高生と女性教師が睨み合うシーンが、世界の終わりを象徴する。
こんなにも美しく惹かれる情景が、他にあるだろうか。
観察し甲斐があるというものだ。
そしてこのようにドラマティックなシーンも良いのだが、日常の彼女達も見ていて癒やされる。
ひとつ、エピソードを紹介しよう。
アフラ・マヅダとアンラ・マンユが出会ってばかりのことだ。
まだ神性に目覚めていない二人は、女児向け魔法少女アニメに夢中だった。
アフラ・マヅダのほうは卒業していても当たり前の時期だったはずだが、アンラ・マンユに引っ張られる形で視聴を継続していた。
特にオールスターが同じ舞台に登場する、劇場版がアンラ・マンユは大好きだった。
ソファーで体を預け合け、テレビを見ながら二人は語り合う。
「この子達って、お姉ちゃんより年上なんだよね?」
「そうね。14歳だから、私より少しお姉さんかな」
「そっかぁ、偉いね。私だったら、悪者と戦うなんて怖くて絶対できないもん」
「ふふ、怖くていいんだよ。子どもが無理して戦わなきゃいけないなんて、世界のほうが間違ってるんだから」
「ほんと? じゃあお姉ちゃんも怖い?」
「うん、怖い。けどマユが危ない目に遭ったら、誰とでも戦うよ」
「えへへへ……嬉しい。でも、お姉ちゃんが無理して戦うのはマユもヤだよ。悪者が来たら、一緒に戦おうね!」
「うん、一緒に」
一緒に、いつまでも。
似たような会話を、ルーチンのように交わす。
世界の終わりを求めて抗争を続けていた二人が、この関係に落ち着いたのは決して偶然ではない、と僕は思う。
言っておくが、僕が積極的に干渉したわけではない。
二人はきっと昔から、ずっとこれを探していた。
異なる根源でありながら、同じ方向を向ける時代の到来を。
健気なものだと僕は感心する。
神と呼べる存在は他の認識宇宙にも数あれど、諦めずこの道を求め続けたのは彼女達だけだった。
光が闇を打ち倒す、それだけでは終わらない。
無限の可能性を秘めた、『関係性』。
熱的死を目前とした宇宙の中心で、今も二人は燃えている。
二人の衣装は異世界の素材で作られていたが、それも崩れ去りいまやどちらも生まれたままの姿。
全裸だった。
だから故か、二人はお互いの体を直視できずにいる。
昔は入浴も一緒だった二人は、成長し、大人の体となり、ある意味健全に。
互いの体に、興味を持っていた。
どう触れたら、相手が喜ぶのか。どう触れてもらったら、嬉しいのか。
毎日毎晩、寝る前に必ず妄想していた。
それを知っていることを知られてしまったら、僕は二人に消滅させられてしまうだろう。
君達も秘密にしておいてほしいが、僕は二人がしていることは忌避すべきことではないと思う。
二人の愛は決して穢れたものではなく、純愛であって、永遠の愛にも繋がる。
だが未だ二人は、意地を張り合っている。
アンラ・マンユが、相手の体を見ないようにして拳を突き出す。
アフラ・マヅダが、相手の体を見ないようにして拳を受け止める。
それから二人は互いに視線を向けないようにしつつ、シンプルな殴り合いを続けた。
当たり前だが、なかなか命中しない。
その上で二人が動く度にすさまじい衝撃波が発生するため、都度、隣接する宇宙群が巻き添えを食って消滅する。
膠着状態に不安を憶えたのか、アンラ・マンユとアフラ・マヅダは辺りの星雲を圧縮して固め、胸や腰に巻きつけた。淡く光るそれはどちらもウェディングドレスのように見える。
宇宙を着こなす、女子高生と女性教師。
僕が天体の一部であれば、星ごと美女の服になれるのならば感無量だったかもしれない。
ま、近づくことすらできないのが僕なのだけど。
そう。
近づくのはよくない。
成長する『関係性』に近づくのは禁止だ。
それが僕と君達の最低限のルールだ。
そうこうしている間に、二人が口論をはじめた。
「いいかげん降伏しなよ、松田! このバカ教師ッ」
「それはこっちの台詞よ、マユ。貴方に他人の知能を揶揄する資格はないわ」
「うー! 気にしてることを……しょーがないじゃん、暗黒神なんだから!」
アンラ・マンユは頬を膨らませる。
「悪の神の成績が悪い、という道理はないわ。他の悪神に怒られるわよ」
「私ぐらい悪な悪神なんてそーそーいないし。私に影響受けた悪神ならいっぱい知ってるけど!」
「じゃあ後輩達に知性で負けてるっていうことになるけれど、それでもいいのかしら」
「ぐ……あ、あんただって、知性ってより戦いのほうが得意な化身ばっかじゃん!」
「……それは、受け入れた国の都合よ。日本では奈良の大仏として、知的な存在としても定着している」
アフラ・マヅダが言っているのは、奈良の大本山に座する毘盧遮那仏のことだろう。
毘盧遮那、インドにおけるヴァイローチャナの起源こそがアスラ王であり、それはアフラ・マヅダと同一とされる。
「あれは座っているけれど、もし立ったとしたら機動戦士ぐらいあるのよ」
アフラ・マヅダは自慢するように言う。マウントするポイントがそこでいいのかとは思うが。
「あんなくるくるパーマ、全然知的じゃないしっ! 笑顔がなんか怖いし、可愛くないし!」
奈良県民が聞いたら泣いちゃうようなことをアンラ・マンユは主張する。
「取り消しなさい、マユ。さすがに失礼よ」
「やだやだやだやだ! アフラ・マヅダは美人じゃなきゃやだー! 腕も細いほうがいいし! 身長は高くていいけどッ!」
「…………」
駄々をこねて腕を振るアンラ・マンユ。
女子高生になってからの彼女はすっかりボキャ貧であったが、悪ではあってもわがままになりきれなかった彼女の、この生きかたは本人にとっても理想的であった。
そして日本という国において、女子高生はカーストのトップだ。わがままは基本何でも許される。
口論はまだ続く。
「もういいよッ。どうせこの宇宙が消えたらまた宇宙が生まれて、そこに私達は同じ立場で生まれて、また戦って……それの繰り返しなんだからさあ」
「マユ……」
「もういい。だからもう……殺して。松田はそれが正しいと思ってるんでしょ」
「……今回は、私のほうが敗色濃厚だったのよ。貴方が諦めていいの?」
「だって意味ないもん、勝ったって。来世がアンラ・マンユの支配する悪の宇宙だったとして、そこに今の私とあんたはいないんだもん」
アンラ・マンユは背を丸め、震え声で告げる。
「……そこまで、この姿にこだわりがあるというの?」
「あるよ! だって、何千年もかけて、よーやくこんな、可愛い見た目で生まれられたんだからさあ!」
「…………」
「人間がさあ、自分達で文化を進歩させてくれてさあ……私達も創造できない、可愛いとしかいいよーがないキャラとか、泣ける映画とか、作ってくれてさあ。それに善も悪もなくてさ……やっと私、解放されたんだって。そんな状況でさあ、あんたと会えてさあ」
「…………」
「可愛い服着て、可愛いメイクして、可愛いお話読んで、自分より可愛い相手が一番のライバルで、その人を好きになれて……やっと私達の命もいい感じなったと思ったのに、あんたは……あんたは……」
「マユ……?」
「善とか悪とか、もうこだわんなくてもいいじゃんかー! どうして私と一緒に生きてくれないのさあ!」
アンラ・マンユは号泣していた。
その涙の意味に、ようやくアフラ・マヅダは気づく。
「一緒に生きるわ」
「ほら。結局そうやって……」
アンラ・マンユは鼻水をすすりながら、我が耳を疑う。
「……えっ?」
アフラ・マヅダは全裸を隠そうともせず、堂々と立っている。
腰に手をあてるその姿は、光明神の名に恥じない――いや、恥ずかしいだろうが、威厳のあるものだった。
「一緒に生きる。アンラ・マンユと、私はこの人生を大切に生きたい」
「へっ……な……」
「何度も言わせないで。貴方と私はずっと一緒って、子どものころに約束したでしょ?」
「な……だ、だってお姉ちゃん、アフラ・マヅダとして私を倒す気だったんじゃ……」
「……そんなつもり、なかった。記憶は取り戻したけれど、貴方との戦いなんてはじめないつもりだった」
アンラ・マンユは愕然としていた。
アフラ・マヅダの思考が、あまりにも自分の想像とかけ離れていたからだ。
「だ……だって……あんた、急に私を捨てて、教師になんかなんて、私に嫌がらせを……」
「やっぱり誤解していたのね。どうして教師になるとマユを裏切ったことになるの? 私はマユを守るために、教師になったのよ」
「そんな、まさか……だって無理矢理、勉強させようとしてくるし」
「そうでもしないと、マユは勉強しないでしょ。私はずっと一緒にいるつもり。でも、だからって、人並の成績ぐらい残しておかないと……」
「お、おかないと?」
「……良いお嫁さんにはなれないでしょ」
アフラ・マヅダは、赤面していた。
「お……お嫁さんになるって約束……覚えててくれたの?」
「覚えてるどころか、その言葉は私の希望よ。アフラ・マヅダとしての記憶が目覚めてからも、私の行動原理はそれがすべて」
「…………!」
「だから。もし何かの機会で、私が死ぬことになっても……消えることになっても。貴方には、普通の人間として生きられる術ぐらいは身に着けてほしかった」
「き、消えるって。一緒にいるつもりだったんでしょ!?」
「私は、ね。けど、同時に私は神。この宇宙が――大いなる意思が私の選択を認めないのなら、私が消されることだってあり得る」
アフラ・マヅダは自分を皮肉るように笑っている。
僕のことを彼女は知らないはずだが、しかし本能的に己の在り様には勘づいているらしい。
「……そんな、こと……」
「それでも……素敵だと思ったの。貴方だけでも、女の子として幸せに生きる道があるなら。貴方を立派な大人に育てることにも、価値があると思った」
満ち足りな表情でアフラ・マヅダは述べる。
「なんで言ってくれなかったの? 教えてくれれば、私だって……!」
「……怒らないで聞いてくれる?」
「う……理由によるし」
「そうね……じゃあ、教える。私、伝わってると勝手に思ってた」
「は……?」
「……あの約束があったから。私がやりたいこと、貴方への想い。全部伝わってるんだって、思い込んでた」
「なんかある度に怒ってたじゃん、私! 見ててわかんなかったの!?」
「そうね。ただそれは……」
「それはッ!?」
「怒ってる貴方も可愛いから、その度にドキドキしちゃって頭が回らなかったわ」
アフラ・マヅダは真顔で告げた。
「変態じゃんッ!」
「知らなかったの?」
「知ってはいたけど、想像以上じゃんッ。てか何これ? もしかして私達お互いに誤解してただけ!? アフラ・マヅダとアンラ・マンユの宿命からは逃げられないから戦うって、相手が思い込んでいると思い込んでたってことッ!?」
「……そう、みたいね」
二人は見つめ合いながら、肩を落とす。
「くだらねー!」
アンラ・マンユは空に――すでに空という概念は消滅しているが、頭上に向かって叫び、そして大の字で銀河に倒れ込んだ。
「好きでいてくれたんじゃん……一緒にいるつもりでいてくれたんじゃん。くだらねー、私。もー完全に暗黒神受け入れてたのに」
「貴方だけが悪いんじゃない。私の言葉が足りなかったのは確か」
アフラ・マヅダは優しく微笑み、アンラ・マンユの傍らに座り込む。
「私っていつもそうね。光の神のくせに、伝えるのが下手くそ」
「それこそ光とか関係ないし。はあ……そっか、よく考えたら、昔から私もこうだよね」
「……?」
「あんたが世界を創造して、私が嫉妬したとき。あのときもちゃんと話し合ったら……ここまでこじれなかったのかも」
「どうかしら。少なくともあのときの私達は、可愛くなかったわ」
「…………」
「この時代に生まれてきて、思うの。お互いにこの姿で生まれなかったら、こんな風に、一緒に生きたいって思えなかったのかもって」
「今どき危なくない、その考えかた。ルッキズムって言うんでしょ」
「それとは少し違うと思うわ。何故って、無限の中から切り取るのならば可愛いのは普遍的な女子高生×女性教師という概念とそれを宿す事象自体であって個別の外見の話ではないから」
「わかりづら……それにやっぱめちゃくちゃ変態じゃん……」
「光と善と変態は矛盾しないのよ。女子高生のマユを私は愛しているし、マユが女子高生じゃなくなったとしてもその瞬間を内包して存在し続けるマユを私は愛してる」
「言い切るのもどうかと思うけど……ふふ、そっか。じゃあ、私達は本当に、この時代に生まれるために頑張ってきたのかな」
「そうだと思う。宇宙は崩壊してしまったけれど」
「……しゃーないよ、それは。人間に許してもらおうとも思わないし……」
「そうね……私達が恋するんだから、宇宙のひとつやふたつぐらい壊れても……」
「いや、さすがにあんたはそれ言っちゃだめ」
アンラ・マンユは白く小さな指先で、アフラ・マヅダの唇を塞ぐ。
「むぐぐ……こういうときに暗黒神はずるいわね」
「へへ。でもま、お姉ちゃんだって同じ想いでしょ? 私達を生んだ世界は……」
「ええ。再び生まれてくるべき。私達が二人で認めた世界ならば、それも可能でしょう」
「うん。じゃ、やろっか。世界の癒やし」
「やりましょう。善も悪も混沌に混じる、可愛い癒やし」
アンラ・マンユが宙に手を伸ばす。その体が光に包まれる。
アフラ・マヅダが宙に手を伸ばす。その体が光に包まれる。
フラショー・クルティとは、アフラ・マヅダとアンラ・マンユの戦争がもたらす、世界の終末からの回復を意味する。
そして、宇宙は新生する。
これまではアンラ・マンユが勝てば悪の世界が生まれ、アフラ・マヅダが勝てば善の世界が生まれたのだが。
今、二人は手を伸ばしながら、両手を繋ぎ合っていた。
これを奇跡と呼ばずして何と呼ぼう。
複雑な過程は省略するが、新たなるビッグバンを経て、滅びたはずの宇宙は全てまるっと、あっさり復活した。
二人が破壊した太陽系も、地球も。
二人が一緒に過ごした町も、人々も。
最後の戦いが起こるその直前の状態に復元された。
それは、これまでにない新生であり、再生だった。
このことは、ツァラトゥストラの聖典にも描かれていない。
つまり今、この瞬間に、神話が書き換えられたことになる。
神が、可愛い者として生まれた。
ただそれだけのことで宇宙は変わった。
新しく懐かしい世界。
その片隅にある学校の屋上で、誤解だらけだったアンラ・マンユとアフラ・マヅダが制服と白衣で手を繋ぎ、町を見渡している。
「ずっと一緒だよ、お姉ちゃん」
「もちろんよ、私の花嫁さん」
その尊い様を見ながら、私は隔絶宇宙で微笑む。
決して外に出られない特異点に在る自分に、誇りすら抱いて。
アフラ・マヅダとアンラ・マンユを生み出してから、ようやく満足できる展開が生まれた。
全くもって手間を取らせる二人だが、これも君達人間が、文化を守ってくれたからこそだ。
その象徴たる一枚の可愛らしいイラストが、アフラ・マヅダとアンラ・マンユの幸せを定義してくれた。
そう、僕はあのイラストを参考に、現在のアフラ・マヅダとアンラ・マンユを生み直したのだ。
生まれるべくして生まれたイラストに、神が追いついたとも言えるだろう。
このように善も悪も、よりよい表現も、人間によって更新されるべきなのだと僕は思う。
最後に。
誰も興味はないだろうが、一応僕の名前だけは伝えておこう。
僕の名前は、ズルワーン=アカラナ。あるいはアイオーン。
時間、あるいは永劫を意味する神である。
アフラ・マヅダとアンラ・マンユの生みの親であり、勝者に世界を創造する権利を与えた者だが、二人に僕のことを知らせることは今後もない。
何故って?
ここまで来て君は、まだそんなわかりきったことを聞きたいのだろうか。
推しカップルは、壁として観察するに限るだろう。
完
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