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未来へ生きるための英語

進んでいる道がわからなくなった時は

日常生活で鬱になった場合、何もできない時間をとにかく無意味に過ごすことが多い。
だから、何かしないと生きている実感が湧かなくなってしまう。

そんな時には単語帳を開いてひたすら例文を読んでいる。

受験勉強の時に比べたら、圧倒的に勉強量は足りていないけれど、それでも半歩でも未来へつながるようなことをやっていかないと不安になってしまう。

きっと未来に役立つと信じて、。

もしかしたら、間違っているのかもしれないけれど、信じないとやっていられない。

それに、少しつづではあるけれど長文がスラスラと発音できるようになっている気がする。

もう20回くらい周回しているパートも気付けば増えてきて、なんとなく、楽しさが実感できつつある。
この調子で行けば話せるようになるのかな?と少しだけ期待しても良いような感じがする。

でも、なかなか毎日決まった時間に練習することができないのが悩みだ。

もっと時間を決めて、ルーティーン化した方が良いことはわかっているけれど、それでもまだ、心と体が追いついていない。

今はまだ、気分でこなしている部分が大きい。楽しさで、そして段々と発音できるようになっている感覚を掴みつつ、モチベーションを保っている。

たまに、自分が話している音を録音して聞いてみるけれど、やっぱり原音のネイティブな発音と違うように聞こえる。

発音記号はマスターしたはずなのに、日本語っぽく聞こえてしまうのはなぜだろう?

ネイティブに発音するのはかなり難しいと改めて思う。

それでも、絶対にネイティブに発音できるようになったら、さぞ、気持ちよくてモチベーションが今よりもグンと上がりそうだから諦めない。

日本語英語なんていうどこにいっても使えない言語だけは学びたくない。
もっと続けよう。世界中のみんなが話すことができて自分に話せないわけない。

誰だって話せるようになるに決まってる。無理と思うからできないんだ。
先入観に捉われていてはいつまで経っても成長しない。

学生の頃とは全く違う

今、英語を学んでいて、一番いいと思えることは高校や大学に受かるために英語を学ぶといった動機なく、勉強できるところがいい。
学生の頃は「頑張っているけれど、みんな頑張ってるし」とか、「これで話せるようになるわけない」とか「何であの子が授業で発言もしないのに英語の成績がいいんだ?」とかそんな不毛なことを思っていたけれど、今は違う。
大人になってからの学習というのは自ら能動的に学習できているから苦痛という感じはかなり少ない。それに教材も勉強方法も選択できるので自分なりの方法を試すことができる。

試して合わないと思ったら、また次の勉強方法を試すこともできるし、さらに工夫することもできる。

大人になってからは自分が興味のあることだけを自由な方法で学べる楽しさが実感できる。

まるで幼少期の頃の好奇心のままに生きてた時代に戻ったような感覚になる。
そう思うと義務教育や偏差値教育というのはなんだったんだろうと思う。結局、大学まで出て、うつになって無職で英語の勉強なんて、、いや、こういう人生もありと思うしかない。
だって今、生きているんだから。

とにかく学ぶ楽しさを取り戻すことができたのは大きい。

英語に限らず、ありとあらゆることをこのモチベーションでこなしていこうと思う。


”学校は生き方を教えてくれないばかりか好奇心も奪い去る”


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