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#青写真 シロクマ文芸部 3667字


 青写真を描いてみたいと思った。あなたのじゃなく、あくまで〝自分自身の青写真〟をだ。純粋で、綺麗で、しんかよった青写真。未来予想図と言い換えてもいいのかもしれない。それは奥山にひっそり流れる冬の川のように清冽せいれつであってほしいと思う。

 真白い雪が降り積もる中、凍らず途切れず透明な水がとうとう流れる豊かな清流であってほしい。そこは奥山の全ての命が生まれ育まれる場所。

 一匹の白オオカミが獲物を捕えた。きっと彼は奥山の主。彼は荒い息をしずめるために冷たい水をめた。冷たい川水かわみずは霊気を湛えていた。白オオカミは清冽せいれつな川の霊気をまとい犬神となり山に消えた。

 そんなふうにわたしの奥底に流れる川は他者の命を潤す清流であってほしい。わたしの描く青写真はそうであってほしい。





 設計コンペを近く控えたわたしはアトリエにいた。

 暖房を切ったアトリエの空気はとても澄んでいて、遠く走る夜間高速の音がまるで埃のようにちりちりとわたしのSTAEDTLERステッドラーへ降り積もるような夜だった。わたしは独りドラフター(製図台)に向かっていた。わたしが引く線の音が幾度となく空気を震わせ薄まり消えた。この乾いた音だけがいつもわたしの心を鎮めてくれた。

 「いいドラフトマンは一本一本の線におのれの熱を込める。それはおのずと音が違う」

 大学を出てドラフトマンとなってから師匠に拾ってもらうまでどこのアトリエでも役に立たなかった出来の悪いわたしには、線の持つ強さも、線に込められた熱情も、線を引く音の違いも、なにも分かっていなかった。

 でも、今は分かる気がする。

 わたしの引く線にはこれまでないくらい熱がこもっていた。音が違う。そう感じた。線を引く手に迷いがないのだ。アトリエ最後の仕事で、やっと師匠の言ってくれた言葉の意味が分かった自分が情けなくて涙が出そうになった。でも泣かない。そう言ってくれた師匠はもういない。だからせめて悔いも後悔も悔し涙すら、一本の線に込めて。




 どこのアトリエでもCAD(Computer Aided Design)設計が主流である現在、手描き図面はエスキース(素描、考案を表す用語)程度で、本格的な設計製図は3Dが構築できて部材管理やAI利用まで汎用性の高いデジタル設計製図に切り替わっていた。

 ドラフトマン(自ら設計せず建築士のデザインを図面に手描きで描き起こす作業を専門とする者)を抱えているアトリエ(建築設計事務所)ほうが珍しいのだ。ドラフトマンが活躍する時代は、少なくとも日本においては終わっていた。

 そしてわたしの仕事もこのコンペで終わり。そもそも未熟で若い女のドラフトマンなんて誰も求めちゃいない。このアトリエでもドラフトマンとしてでなく営業のバイトとしてなら契約を継続してもいいと言われた。

 ふざけんな。

 このアトリエは、師匠の描くドラフト線が作ったんだろ。一流のドラフトマンが、熱のこもった線を、一本一本描いてきたからここまで大きくなったんだろ。

 わたしは契約継続を蹴った。そしてこの設計コンペに手描き図面で挑戦することを伝えた。

 無謀だとわかっている。でも師匠の言ったドラフトマンが一本一本熱を込めて描いた設計図面、その荒々しくも清々しい、人の手で引く線の美しさを伝えたい。そうしてわたしはこうやって深夜、誰もいないアトリエで線を引き続けているのだ。

 所長には馬鹿だと言われた。
 同僚には身体を心配された。

 過剰な業務を終えて寝る間を惜しんでドラフトするわたしはきっと恐ろしい顔をしていたのだと思う。辛くはなかった。むしろあふれ出てくる設計アイデアを書き起こす喜びのほうが勝っていた。

 睡眠をとらなければ鈍くなる頭が煩わしくなっていた。食事を取らなければ目眩を起こす身体が忌まわしかった。生理はすぐに止まった。一本の線にわたしの人生の全てを乗せた。

 ある時、所長に呼ばれた。

 「きみは死ぬ気なのか。毎晩アトリエにこもって睡眠も食事も取らずに製図に向かって。設計も見た。見ざるを得なかった。それほど美しい設計だった。だがもうコンペはやめてくれ。きみほどのドラフトマン、いや、素晴らしい〝設計者〟をむざむざ死なせたくない」

 所長が頭を下げて懇願する様子を見て同僚たちは涙して喜んだ。みんながわたしのことを心配していたし、わたしのコンペ設計の後を追って、それぞれ新しいコンペに挑戦を始めていた。

 〝設計者〟という言葉が心の中でこだました。一介のドラフトマンが設計者としての力を認められたのだ。

 だがわたしは悔しかった。わたしの熱と人生を込めた一本の線より、拙い設計デザインが認められたことが堪らなく悔しかった。ただ泣くだけのわたしを所長は優しく抱きしめた。

 「今まで済まなかった。〝時代遅れのドラフトマン〟の真似事ばかりさせて。きみに潜在する設計力と力強さを見た気がした。手描きで設計するのはさぞ辛かったろう。アトリエにある設備はいくらでも使っていい。手描き製図の過剰な業務から解放されて、きみの設計者としての力を存分に発揮してくれ」

 同僚のすすり泣きと拍手に吐き気を催したわたしは所長に抱き支えられながらそのまま意識を失った。




 病院を退院したわたしは設計コンペの案の手直しに追われていた。

 新たなデザインが急に浮かんだのだ。その美しい曲線を設計に取り入れれば、部材をより軽く、より少ない部品数で、設計意図をより明確に示す建築的ランドマークとなる。そして何より手描き線の美しさと、川の流れのように清冽な製図へと設計を昇華するだろう。

 深夜のアトリエに残るのはわたしだけだった。わたしはより美しい線を求め続けた。冬の奥山であっても途切れることのない川のように清冽せいれつな手描き線を。

 アトリエの所長は、手描き製図にこだわるわたしに「やはりきみは時代遅れのドラフトマンをきどる未熟者だった」と切り捨てた。同僚たちは「同情したわたしたちが馬鹿だった。好きに生きて好きに死ねばいい」と見放した。手描きの線は、変わらず美しく乾いた音をさせていた。

 わたしに残されたのは埃の積もったドラフター(製図台)と、STAEDTLERステッドラーの製図ペンだけだった。でも、それで十分だった。美しい線を描くことだけがわたしの命を繋いでいた。

 なにをするにしても中途半端だったわたしにドラフトマンとしての誇りが芽生え始めていた。きっと師匠も最後の仕事、最後の一本を描き切るまでドラフトマンの誇りを持ってペンを走らせていたのだろう。今だから言うけど勝手に死ぬなよ師匠のばか。

 深夜高速の音が消えた。

 ふと力強く線を引く素早い音がわたしの耳に聞こえた気がした。振り返るとそこにはタバコをくゆらせながら線を引く亡き師匠の姿があった。

 灰を落として図面を汚して一緒に夜通し線を引き直した夜もあった。その度にタバコをやめてほしいと喧嘩になった。でも「いい線描けてるか」と笑ってくれるとそんな夜も辛くなかった。師匠はわたしを見ていつものように笑ってくれた。

 いい線描けてるか。
 いいえ、まだあなたには及びません。
 そんことないさ。
 なにを根拠に。
 いい音、してるからさ。
 そうやって、あなたはいつも。

 師匠の咥えタバコの灰が崩れて落ちた。灰は師匠の手元の図面を焦がして汚した。師匠は汚れた図面を見て子供のように落ち込んだ。タバコの煙とケント紙の焦げた匂いがアトリエに漂った。わたしは言った。

 「師匠。わたしはあなたのように美しい線が引けるようになりましたか。一流のドラフトマンとして人を感動させる仕事ができるようになりましたか。わたしが引く線の音はあなたのように力強い音が出るようになりましたか。あなたが灰で汚した図面を、今からそちらに行って、お直しを手伝わせていただいてよろしいでしょうか」

 わたしの問いに師匠は製図椅子から立ち上がって言った。「来ちゃだめだ」と。少し困った顔をして。



 高速道路を走る大型車の音でわたしは目覚めた。いつの間にか眠っていたようだった。懐かしい夢を見ていたような気がして周りを見回すとアトリエに差し込む朝日が使い古したドラフター(製図台)とSTAEDTLERステッドラーの製図ペンを照らしていた。朝がやってきたのだ。

 そうだ。あの曲線は?

 昨晩、何度も引いては消した曲線が、製図に美しくそこにあった。それは師匠のように力強く、素早い、迷いのない線だった。

 「きれい、とても」

 自分で描いたと思えないほどの美しさにわたしは息を飲んだ。まるで師匠が蘇って描いてくれたような線だった。

 まさかね。わたしはそう思い直して仕上がった手描き設計図面をコンペ先に郵送する準備に取り掛かったが、ふと眼を落とすとまるでタバコの灰を落としたような大きな汚れを見つけた。

 やっぱりね。
 いちいち余計なお世話なんだよ。
 コンペ間に合わなくなっちゃったじゃん。

 わたしは朝日に向かって吠えた。

 「製図中くらいタバコやめろよ、ばかやろー!」



[おわり]
#シロクマ文芸部
#青写真

 

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