思考も散らかしたら片付けよう

人々がすなるnoteといふものを私もしてみむとてするなり。

こんな書き出しでnoteを書き始めた人はきっとごまんといるだろう。
ああ嫌だ、私はどこにでもいるありふれた心理士。
ありふれた心理士よりちょっと出来が悪いくらいかもしれない。


エッセイというものをほとんど読んだことがない。
2冊だけ、江國香織さんと東畑開人さん。それもごく最近。
でもその2冊が幸いとてもおもしろくて、楽しくて、私もなんか書いてみたいぞ、そんな気を起させた。
実はnoteも読んだことが無い。だから使い方がこれで合っているのかもわからない。
だけどなんだか寛大な雰囲気のあるサイト?アプリ?だから、きっと大丈夫だろう。
こんなありふれたnoteにnote様が何か問題を見出す訳もない。


昔から何度となく日記らしきものに挑戦してきたものだが、続いたことは無い。
きっとこのnoteも続かない。
でも何度でも始めてみるところが私のよいところなのだ。


交換日記も誰が止めたのかわからないけれどそう長くは続かなかった。
友人グループで作ったブログサイトもポエムみたいなことを書いて、それ以降続かなかった。
自分で始めてみたブログや日記というものも半年と続かなかったし、一番苦痛だったのは部活動での日誌だった。
3日坊主の名誉にかけて言わせてもらうが、1週間と続かずにやめてやった。
でもコーチや顧問は、うやむやにしても何度でも、時々ふと日誌のことを思い出すのだ。
だから何度でもやめてやった。
あんなものに意味はない、いや、あるかも。
意味のある人とない人がいるのかも。


何度でも始めてみるところが私のよいところだと言った。
3日坊主も、3日坊主を繰り返せばいいんだという言葉を聞いた時、世の中素晴らしいことをおっしゃる人はたくさんいるもんだと思った。
仕事も3日行ったら2日休みたい。
いや本音を言えば3日行ったら3日休みたい。
仕事3日坊主、休み3日坊主。
それを繰り返す。それが人間としてのあるべき姿。


エッセイを読んでいて思ったのは、ひとつひとつになんかいい感じの教訓までいかないが、オチがあるものらしい。当然か。

本当にまとめられない。
ただ書き連ねるしかできない。
何が言いたかったというのもない。

そんな私でも1歳から飽きずに続けていることは、安心毛布にくるまって寝る事。安心毛布をこねること。
安心毛布(あんしんもうふ、英: security blanket)とは、人が物などに執着している状態を指す。一般で言う「お気に入り」や「愛着」がこれにあたる。漫画『ピーナッツ』に登場するライナス・ヴァン・ペルトがいつも肌身離さず毛布を持っていることにより「ライナスの毛布」とも呼ばれる(Wikipediaより抜粋)。
安心毛布、安心毛布、私の「はなこぺ」。
鼻にこすりつけてコペコペになってしまうからと親に名付けられた「はなこぺ」。
ぼろぼろになりすぎて2枚に分かれつつある「はなこぺ」。
「はなこぺ」についてはまたどこかで書きたい。

書いていて思ったが、「はなこぺ」に関しては継続ではなく執着だ。
でも何かに執着するから、何かが継続されるのかな。

というところまで考えたところでこの文章を書くのも飽きたので、ここまで。
私の思考拡散力がよく伝わる文章だった。

拡散させたら収束させる、それがプロなのだとよおくわかった。

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