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映画『Maestro』ー私達は色彩のある社会を生きているか?

名指揮者レナード・バーンスタインの音楽や人生については、すでに多くのクラシックファンには知られていることもあるし、この映画自体が何かバーンスタインの新しい側面を見せてくれるという訳ではない。でもやっぱりこの映画は一見、もしくは多分音楽を楽しむためにもう一度以上見る価値は十分にあった。

映像の編集と音楽の使い方が見事だ。それだけ制作として名を連ねるスピルバーグやスコセッシも、ブラッドリー・クーパーが次世代のアメリカ映画を牽引していく存在としてその才能を認めているということだろう。クーパーが演じる25歳の青年から70代までのバーンスタインの姿には、ほぼ違和感がない。特殊メイクの為せる技だけではなく、老いてきたときの姿勢、目線、話し方(少しバーンスタインの口調を強調しすぎている感じもするけど)は、クーパーの名演でなくては再現できない。

映画の構成として、レナードとその妻フェリシアが出会って結婚し家庭を築き上げていく1950年代頃は白黒の映像で、レナードが同性愛傾向を隠さず着々と音楽家としてキャリアを築き上げていく時期はカラー映像で見せるところなどは、白黒の映像=従来の保守的な社会とカラー映像=ダイバーシティがその後に息吹く社会の対立させているように思えた。白黒で描かれていた世界で幸せを感じていたいフェリシアと、様々な個性を認める社会で自分の思うままに生きるレナードの対立は、マーラーの交響曲第二番『復活』とともに終わりを告げるが、それがフェリシアの闘病の幕開けでもある。

バーンスタインがこの世を去った1990年には、まだ同性婚を認める国もなかったし、ダイバーシティという言葉も浸透していなかった。もしこのバーンスタイン夫妻がこの世に生まれるのが遅かったら、二人が経験した苦悩はなかったのだろうか?そんな疑問が見終わった後に湧いた。

ちなみに、『復活』の再現は本当に見事だったので、できれば映画館でも見てみたい。こちらの動画は歌詞に日本語訳がついていていい。Netflixでは歌詞には訳がついていなかったから。





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