【シ序1】シスターン篇序章①
ーーーーエクナと云う名の島がある。
リアド大陸の西方に浮かぶ紫の群島。その一翼を成す諸島群だ。エクナ島を中心に、大小３つの島から形成されている。
まずは最大の版図と肥沃な大地を誇るロベール島。その豊かな実りを巡り、大小様々な国が興り、争い、滅びを繰り返す戦乱の島としても知られている。
南方に位置するはベルリオース島。ただでさえ小さな島なのに、一面肥沃な平原に覆われたロベールと異なり変化に富んだ地形が特徴だ。荒野や砂漠、山地もあり、お世辞にも農業生産力が高いとは云えない。その代わり、様々な技術の発達した島だ。
最後に北方のシスターン。一年の殆どを雪と氷に覆われた極地であり、生存するだけでも苦難の島だ。農業生産は殆ど期待出来ず、食糧生産の大半を豊かな寒流を活かした漁業に依存している。
財政力・軍事力ともに極めて脆弱だが、この島には白の月の時代の遺跡が数多く発見されており、それらを保存・研究するために集まった魔術師たちにより、諸島群唯一の大規模な魔術師団が組織されている。
師団と政府が協力することで遺跡を観光資源化し、観光産業がこの国の極めて重要な収入源となっている。
そんなシスターン島の南端に位置する港街リシュト。海上交易の中心地として、島の中では比較的栄えたこの街から、新たなる英雄譚は始まるーーーー。
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リシュトの街の治安維持を担うガヤン神殿。その建物の一室に今、７人の男女が集っていた。神殿からのとある依頼に応募してきた、あるいは招かれた者たちだ。
ーー男の名はガイアー。ここリシュトのとある工務店に勤める大工であり、ジェスタ信者だ。シスターン島独自の職業である<守護兵>に強い憧れを抱き、その足掛かりとして今回の依頼に応募してきた。
ーー男女の魔術師。男の名はギルス。女の名はチェリー。ふたりは同じ師匠に師事した兄妹弟子だ。
チェリーはリシュト在住であるため、魔術の専門家としてガヤン神殿から様々な依頼を受けることがある。今回の件もその一環だ。
ギルスはロベール出身で、普段は各地を旅している。今回はたまたま妹弟子の許に立ち寄った際、ガヤン神殿からの依頼があったため同行してくれたのだ。
ーー男の名はバート。リシュトの裏タマット神殿に所属する盗賊で、ガイアーをアニキと慕う弟分だ。今回は工務店の親方に頼まれてガイアーの忘れ物を届けに行ったところ、ガイアーに訳も判らず連れて来られ、意図せず参加している。
ーー男たちの名はアドとサム。一卵性双生児の漁師の兄弟だ。ガヤン神殿からリャノ神殿への協力要請に応じ、派遣されてきた。シスターンの漁師は、皆屈強にして勇敢なる海の戦士だ。
スキンヘッドに、筋骨隆々の肉体美を惜し気もなく晒す褌一丁の姿だ。ふたりとも全く同じ容姿をしており見分けがつかない。それにしてもこの極地で、寒くないのだろうか？
リシュトのリャノ神殿はシスターン漁業協同組合の総本部であり、神殿長は同時に組合長をも兼ねている。つまりシスターンの漁師たちの総元締めだ。
更に彼は、エクナを含めた４島に於けるリャノ神殿の最高司祭でもある。この諸島群には各地に、八大神それぞれの神殿の最高司祭が点在しているのだ。
ーーそして、そんな６人の男女を観察している最後の男。７人目の人物。
彼の名はアルフレッド。一見すると吟遊詩人風の出で立ちをしているが、これでもガヤン信者である。
他の６人と違い、彼だけはエクナ地方に関わりのない旅人だ。彼は大陸、トルアドネス帝国の出身者なのだ。
彼は帝国でも上流貴族の一員だ。彼の一族は建国戦争でジェム家とともに闘い、結果現在は優遇されている。
一族は皆ガヤン信者で、神殿に関わる職に就いている。主に行政執行官だが、犯罪捜査官も中には居る。全員がガヤン信仰を誇りとし、アルフレッドにも当然のこととしてその教義を強制してきた。
だが、彼の望みは違う。彼は、吟遊詩人になりたいのだ。
法や契約のように人を縛る言葉ではなく、人を楽しませ、時に感動させ、時に教訓を示すような、物語としての言葉を発したいのだ。
それは紛れもなく、シャストア神の教義そのものだ。
だがそのことに一族は猛反対し、当主である彼の父親は激怒した。そも帝国では赤の月信仰は禁じられている。アルフレッドは、一族の恥とまで云われた。
自分の在り方を全否定されたアルフレッドは祖国と家族に失望し愛想を尽かした。そして帝国を出奔し、ここ紫の群島に航ったのだ。まだ見ぬ冒険譚と、そしてシャストア神への入信を求めて。
ガヤン神殿の依頼に応募したのも、そこに冒険の予感を感じたからだ。それに、旅の資金はあって困るものではない。
シャストア神に入信するためには、ひょっとしたら土産話としての冒険譚や、あるいはいくばくかの寄進が必要になるかも知れないではないか。備えておくことは、悪いことではあるまい。
アルフレッドが他の６人を観察しているのも、彼らの背後に在るだろう『物語』を想像してのことだ。
ーーーーと。アルフレッドら７人が待機している会議室らしき部屋の扉が開き、担当官とおぼしきガヤン信者が部屋に入ってくる。
彼はひととおり室内の人物を見渡すと。
｢皆様。お呼び立てしておきながらお待たせしてしまい大変申し訳ございません。私が今回の依頼を担当致します、ガヤン神官のヨルゴスと申します｣
と、まずは謝罪し、自己紹介した。
｢社交辞令はいい。依頼の内容を訊かせてくれないか｣
と、ギルス。
｢失礼致しました。では早速、依頼内容の説明に入らせていただきたいと存じます。皆様は、数日前よりここリシュト港の沖合に停泊している不審船については、既にご存じでいらっしゃいますでしょうか？｣
ヨルゴスの質問に、リシュト在住のチェリーやガイアーとバート、アドとサムは当然とばかりに頷く。だが、シスターンに来たばかりのギルスやアルフレッドはぴんと来ない。
｢簡単に説明致しますと、数日前、リシュト港の沖合に突如、国籍不明の船舶が出現しました。目的・武装ともに不明のその船は、リャノ神殿からの再三に亘る交信にも応答することなく、また、甲板上に乗組員の姿を確認することも出来ません。他国の軍船か情報収集船か、海賊船かあるいは漂着した遭難船か、はたまた伝説に語られる幽霊船か。その正体を解明するため、ガヤン信者、リャノ信者、そしてタマットの傭兵から成る第一次調査隊が結成され、派遣されました。不審船出現の翌日のことです｣
｢で、どうなった？｣
ヨルゴス神官の説明に、ギルスが質問する。
｢第一次調査隊員との通信が途絶えました。そして、誰一人帰ってきません｣
俯きながら、答えるヨルゴス。
｢なるほどな……｣
後頭部を掻きながら、呟くギルス。
｢そこで今回の依頼です。皆様には第二次調査隊として船に向かっていただきたい。依頼内容は大きく分けて３つです。優先度の高い順に申し上げますと、第一に先行した第一次調査隊員の消息・安否確認。これについては後ほど、似顔絵入りの詳細な名簿をお配りします。第二に、可能であれば第一次調査隊員の救助。第三に、更に可能であれば当初の目的である不審船の調査です｣
ヨルゴスが、依頼内容を説明する。
｢あるいは戦闘も起こり得るかも知れません。調査隊員が誰も戻ってこないことから考えても、船には何らかの危険の存在が予想されます。そこで改めて確認です。ここに集まった方々は、全員参加と云うことでよろしいでしょうか？｣
ヨルゴスの最終確認に、チェリーとアド・サム兄弟が頷く。３人はどうやら、依頼の内容を最初から想定していたようだ。
｢オレは勿論参加だ！｣
｢チェリーが参加すると云うなら、俺も同行しよう｣
｢私も参加します｣
ガイアー、ギルス、アルフレッドも、参加の意を示す。
｢……あの～。オイラはガイアーのアニキの付き添いでついてきただけなんスけど……｣
と、消極的な返答をするのはバートだ。
｢何云ってる？ 探索任務だぞ！ お前の技能が必要になるじゃないか！ 付き合え！｣
と、強引に誘うガイアーのアニキ。
｢そうですね。見たところ他に盗賊系の技能を持っていそうな方もいらっしゃいません。同行してくださると、私どもとしてはとても助かるのですが……｣
と、ヨルゴス神官も追従する。
｢ほら、ガヤンの人もこう云ってるぞ。心配しなくてもお前のことはオレが守ってやるよ。だから安心しろ｣
｢ホントですぜ？ 頼りにしてますよ？ アニキ｣
ガイアーの安請け合いに、しぶしぶ参加を了承するバート。
｢では、全員参加と云うことでよろしいですね？ 感謝致します｣
そう云って、頭を下げるヨルゴス神官。
｢船に乗り込むのはこの７人だけか？｣
とのギルスの確認に。
｢いえ。僭越ながら私ヨルゴスも、調査隊長として参加させていただきたく存じます。なので全部で８名ですね｣
と、自身も参加の意を示すヨルゴス神官。
｢あんたも一緒に来るのか？｣
とのガイアーの問。
｢皆様だけを危険な場所へ送り込み、我々だけ安全な後方に居る訳には参りませんからね。と、云う訳で簡単な自己紹介も兼ねて、皆様の技能などをお伺いしてもよろしいでしょうか？ 作戦立案の参考などにさせていただきたいのですが……｣
とのヨルゴスの提案に。
｢俺はギルス。妹弟子のチェリーともども、見ての通りの魔術師だ。多彩な魔術が使える。もしも神殿の方で魔力石を用意してもらえるなら、そうとう役に立つと思うぜ｣
｢では秘蔵の魔力石をお二人分、貸し出させていただきましょう｣
ギルスの要望に、即応するヨルゴス。
｢オレはガイアー。ジェスタの入信者だ。武器を使った直接戦闘が得意だ。今回は、ジェスタ・アックスを持っていく｣
｢オイラはバート。タマット入信者の盗賊っス。鍵開けから罠外し、隠され物の捜索まで、一通りのことが出来るんで、探索任務では出来ることが多いと思います。ただ、戦闘はてんで苦手です｣
ガイアー、続いてバートが自己紹介する。アドとサムの兄弟は台詞は無く、ただ笑顔を浮かべながら筋肉を強調するポーズを色々と決めている。まあ、肉弾戦が得意なのは間違いないだろう。
｢最後はあんただな、吟遊詩人。得意なのは魔法か？｣
ガイアーがアルフレッドに問う。
｢魔法もですが、私は剣が使えます。ガイアーさんほどではないと思いますが、直接戦闘もそこそこ可能です。申し遅れましたが、私はアルフレッドです｣
と、詩人の風体には不似合いな、腰に提げた剣を見せながら名乗るアルフレッド。
｢ありがとうございます皆様。では出発は本日正午、埠頭に集合と云うことで｣
とのヨルゴス神官の言葉で、場は一旦解散となったーーーー。
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正午。リシュト港埠頭ーーーー。
探索の準備を整えた８人が、集合していた。
｢皆様揃いましたね。では早速出発致しましょう｣
ヨルゴス神官の号令の下、アドとサムがリャノ神殿の用意した小型船へと皆を案内する。操舵するのは勿論、このふたりだ。
全員の乗船を確認すると、不審船へ向け港を出航する。ちなみに不審船は港からじゅうぶん目視できる距離にあるため、迷うことはない。
ほどなくして、小型船を不審船に横付けする。中々大きな船だ。
甲板へとロープを投げて引っ掛け、ロープを頼りに船体を昇っていく。全員が甲板上に揃ったところで、早速探索開始だ。
まずは甲板上を隅々まで探索する。港から望遠で確認していたため大方の予想はついていたが、甲板上には何者の姿もない。不審船の乗組員も、第一次調査隊のメンバーもだ。
船室へ降りる階段を発見した一行は、慎重に船の内部へと入っていく。
最初に出たのは大きな部屋だ。あちこちに争った形跡があり、そして３人の異様な遺体を発見した。
ヨルゴスとギルスが遺体を詳しく調べる。遺体はからからに干からびていた。持ち物から、辛うじて３人ともに第一次調査隊のメンバーであることが判明した。
｢予想はしていたが……。やはり第一次調査隊は何者かの襲撃を受けたようですね。一体、何があったんだろう？｣
と、ヨルゴス神官。
｢《脱水(デハイドレイト)》の魔術で殺されたか、あるいは体液を吸い尽くされたか……｣
ギルスが、可能性を検証する。
｢吸血鬼(ヴァンパイア)……でしょうか？｣
アルフレッドが、読み漁った英雄譚の中に登場した、伝説級の種族に言及する。もしも本当に敵が吸血鬼であるなら、この８人では戦力的に心許ない。
と、アドが遺体の傍らにしゃがみ込み。
｢これを見てくれ、兄弟(ブラザー)｣
と、筋肉を強調するポーズを取りながら双子の兄弟に声を掛ける。
｢気付いたか、兄弟(ブラザー)｣
やはり筋肉を強調するポーズを取りながら、サムが応じる。
｢何です？｣
興味を惹かれたアルフレッドが問い掛けると、アドは遺体の一人の首筋を指差す。そこには、独特な形状の傷が付いていた。
｢何だ？ 咬み痕……ですか？｣
直感的にアルフレッドはそう思った。それにしても変わった形だ。少なくとも、吸血鬼の犬歯の痕ではあるまい。
｢その通りだ。良く判ったな兄弟(ブラザー)アルフレッド。これは怖らく、妖獣ガンテの咬み痕だ。以前に見たことがある｣
大胸筋を盛り上げるポーズをしながら、アドが答える。
｢妖獣ガンテ？｣
聞き慣れない名前を、アルフレッドが繰り返す。これまでに読んだ英雄譚には出てこなかった名前だ。
｢ヒトデのような形状をした、直径約10メルーほどの巨大な海の魔物だ。他の生き物の生き血を啜り生きている。とりわけ人間の生き血がお好みだ。知能が高く怪力で、生命力・食欲ともに旺盛だ。闘える者の居ない小漁村などは、こいつ一匹のために全滅することもある｣
と、見事な広背筋を披露しながらサムがアルフレッドに説明する。
｢ガンテは基本的には群れない。餌の奪い合いになるからだ。尤もこいつは一匹でも強敵だがな。だから、複数のガンテに囲まれたりしたらそうとうにヤバい｣
アドが、上腕二頭筋を隆起させながら云う。
｢それを踏まえたうえで、曲がりなりにも戦闘訓練を受けた者が少なくとも３人、全員餌食になっているところから鑑みて、この船には複数のガンテが巣喰っていると考えた方が良いぞ。兄弟(ブラザー)アルフレッド｣
サムが全身の筋肉を魅せながら、物騒なことを云う。
現在、彼らが居る部屋には複数の扉がある。つまり、分岐だ。
｢この船は広い。手分けして探索を、と考えていましたが……｣
部屋をぐるりと見渡し、ヨルゴス神官が不安そうに云うと。
｢よした方が良いな。全員で移動するべきだ。兄弟(ブラザー)ヨルゴス｣
筋肉紳士の忠告に従い、全員で探索行を進めることとなった。