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【エ序1】エクナ篇序章①

ーーーーエクナと云う名の島がある。

リアド大陸の西方に浮かぶ紫の群島。その一翼を成す諸島群だ。エクナ島を中心に、大小3つの島から形成されている。

まずは最大の版図と肥沃な大地を誇るロベール島。その豊かな実りを巡り、大小様々な国が興り、争い、滅びを繰り返す戦乱の島としても知られている。

次に南方のベルリオース。ただでさえ小さな島なのに、一面肥沃な平原に覆われたロベールと異なり変化に富んだ地形が特徴だ。荒野や砂漠、山地もあり、お世辞にも農業生産力が高いとは云えない。その代わり、様々な技術の発達した島だ。

北方に位置するはシスターン島。一年の殆どを雪と氷に覆われた極地であり、生存するだけでも苦難の島だ。農業生産は殆ど期待出来ず、食糧生産の大半を豊かな寒流を活かした漁業に依存している。

財政力・軍事力ともに極めて脆弱だが、この島には白の月の時代の遺跡が数多く発見されており、それらを保存・研究するために集まった魔術師たちにより、諸島群唯一の大規模な魔術師団が組織されている。

師団と政府が協力することで遺跡を観光資源化し、観光産業が稀少宝石の生産・加工と並ぶこの国の極めて重要な収入源となっている。

最後に諸島群の中央に位置するエクナ島。面積は他の3島に比すると遥かに小さな都市国家だが、3国に対し永世中立を宣言したことで、国際都市としての特異な地位を獲得した。

その中立性ゆえ諸島群の各神殿を統べる最高司祭の多くが拠を構えており、また国家間の会議や条約締結等の舞台にも選ばれる。

先般の十年戦争に於いては、政治不干渉を旨とする八大最高司祭が停戦を主導すると云う異例の事態に発展したが、最高司祭らの立会いの許、終戦条約が結ばれたのもここエクナであった。

3国の衝突の緩衝役として、各国家間の航路はすべてエクナ島を経由することが定められ、それゆえエクナは諸島群のあらゆる情報と物資の集積する交易の中心地として、大きな発展を遂げることとなった。

また、火山島ゆえの特性を活かした温泉施設の整備にも注力し、観光産業に於いても大きな成功を収めた。

そんなエクナに庶民が抱くのは、観光地・リゾート地と云った印象が強いだろう。

だがそれはあくまで中央都市の話だ。エクナ島とて辺境地域に眼を向ければ、農業や手工業を生業とする一般民が暮らす街や村が点在している。

少女が暮らす農村も、そうしたうちのひとつだ。

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少女の名はマリア。何の変哲もない農家の一人娘だ。両親は小規模ながらも農業を営んでおり、豊かではないが自給自足を実現している。

彼女は明日、15歳の誕生日を迎える。この世界に於ける成人年齢だ。

例年、誕生日には両親がささやかながら誕生会を催してくれる。そして誕生会には毎年必ず参加し、マリアを祝ってくれる客人が居る。

アザリー小母さんと、イザベラ小母さんである。

マリアの両親は若かりし頃、冒険者であった。ふたりは結婚を機に冒険者稼業を引退して農村に定住し、やがてマリアが生まれた。アザリーとイザベラは、両親の冒険者時代の仲間、と云うことらしい。

アザリーとイザベラは実の姉妹で、今も神殿の命で各地を飛び回る現役の冒険者とのことだ。

ふたりはマリアのことを実の娘のように可愛がってくれて、誕生日以外にも年に数回は訪れてくれる。

マリアがもっと幼い頃は、色々なお話を語って聞かせてくれた。やがてマリアの成長とともに、様々な知識や技能を教えてくれるようになった。

近年では、アザリーはサリカ信者の魔法を、イザベラはアルリアナ蹴打術(ダルケス)を教えてくれている。さながら不定期に訪れる家庭教師のようだ。

本来であれば成人し、サリカ神殿の幼年教導所を卒業すると同時に、自身の信仰を本格的に選択することとなる。

だがマリアは既に、サリカ入信者とアルリアナ入信者の地位を取得していた。どうやらアザリー小母さんとイザベラ小母さんには、そうした権限があるらしい。

このまま両信仰を平行して続けてゆくのか、それともいずれかの信仰を選択して生きてゆくのか。

それはマリア自身が決めて良いと、アザリー小母さんイザベラ小母さんから云われている。ゆっくり考え、後悔の無い選択をするようにと。

魔法と体術。どうやらマリアには、どちらの素質もあるらしい。彼女自身はあまりぴんと来ていないが。

それにしても、アザリー小母さんもイザベラ小母さんも、どうして私にここまで親切にしてくれるのだろう? 親友の娘、と云うことだけで、ここまでしてくれるものなのだろうか?

ふたりは結婚しておらず、子どもも居ない。あるいはそのことが、関係しているのかも知れない。

何にしても、明日は久し振りにふたりに逢うことができる。とても楽しみだ。話したいことが、沢山あるのだ。

この時のマリアは信じて疑っていなかった。明日も、毎年と同じような楽しい誕生日が待っていると。この穏やかな日々が、このまま明日も続いてゆくと。

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「明日の誕生会が終わったら、大切な話がある」

寝台に入る前、いつになく真剣な面持ちでおとうさんが云った。何のお話? と訊いても、明日話すの一点張りで詳しいことは教えて貰えなかったけれど。

大切な話ってなんだろう? そんなとりとめの無い思考に耽けてゆくうちに、いつしか私は、眠りに落ちていた。

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<悪魔>教団・<破滅の預言者>。

かつて栄華を誇った古代エクナ魔法王国を滅ぼし、のちに封印された強大なる<悪魔>。<破滅の預言者>は、かの<悪魔>を封印から解放するために結成された組織である。

かの<悪魔>を復活させるため、教団は様々な活動を行ってきた。永きに亘る封印によって<悪魔>の力は衰弱している。復活のためには、<悪魔>自身にも力を取り戻して貰う必要がある。

社会全体に<源人の子ら>同士の不和が蔓延すれば、それは<悪魔>どもの活性化に繋がる。そしてそのための最適な手段とは<源人の子ら>同士の戦争を惹き起こすことである。

<破滅の預言者>は社会の裏側で暗躍した。そう、明確な原因が判らないまま開戦した十年戦争。かの戦争を惹起したのは、他ならぬ<破滅の預言者>の陰謀であった。

だが、<源人の子ら>とて<悪魔>に良いように玩弄されたままでいるほど愚かではない。戦争の背後に蠢く企みに、気付いた者たちが居た。

それは5人の冒険者たちだった。すなわち、サリカ高司祭アザリー、アルリアナ高司祭イザベラ、騎士クラウス、ドワーフ職人ドントー、そして魔術師レクォーナである。

彼女らは<悪魔>に翻弄されたこの莫迦げた戦争を止めるため奔走した。そしてとうとう、本来なら政治不介入を旨とする八大神の最高司祭たちを動かし、各国を終戦交渉のテーブルに着かせるに至った。

一方で彼女ら5人は<破滅の預言者>の刺客たちと十年以上に亘り闘い続けた。そして首領を始めとする幹部構成員の殆どを葬ることに成功した。

今なお生き残り、逃亡を続けている幹部は2人。<破滅の預言者>は、事実上壊滅したと云って良い。

アザリーたちは残り2人の幹部を斃すべく、今も闘いを続けているのだ。

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それは、全くの偶然だった。

暫しの間潜伏しようと訪れたエクナ島の僻地。老人はそこで、見付けてしまった。

自分たちの仇敵にとっての、決定的かつ致命的な弱点を。闘いの趨勢を、大きく覆す可能性を秘めた少女を。

<破滅の預言者>が長年、捜し続けた人物を。

老人の名はレモルファス。<破滅の預言者>に残された2人の幹部のうちの1人。邪術師にして魔法技術者である。

技術者であるがゆえ、彼は戦闘能力を殆ど持たない。だがそのことを以て、彼の幹部たる地位を否定する者は組織の中に1人も居なかった。彼を侮る者は、1人も居なかった。

それは、彼の開発・運用する技術が、組織の根幹を支え続けたからである。組織に対する彼の貢献を、認めぬ者は1人も居なかった。

そんな彼が『少女』を発見してしまったのは、やはり黒の月の采配だったのだろうか。決して逃せないこの好機をものにするため、彼は自らの護衛団にして攻撃部隊でもある、最強の部下3人を喚び寄せた。

レモルファスが最も頼りにするその3人は、今、彼の眼前で跪いている。

中央に跪くは鉄製の部分鎧(パーシャル・メイル)を身に着け腰に剣を提げた、中肉中背短髪の壮年の男だ。名を<鉄色>と云う。この護衛団の団長を任されている。

左に跪くは革鎧(ライト・レザー)を身に纏った禿頭(スキンヘッド)の男だ。<黒>、と呼ばれている。

右に控えるはローブ姿の巨漢だ。身長が高いだけでなく肥満体型のため、本当に大きく見える。名を<緋色>と云う。

「例の少女を発見した。我らの存在にはまだ気付かれておらぬ。傷付けることなく、少女を生け捕りにしたい。阻む者あらば殺して構わぬ。力を貸してくれるか?」

レモルファスが部下たちに依頼すると。

「仰せのままに。我らが主よ」

中央の<鉄色>が返答し、全員が深く頭を垂れる。

レモルファスはその答に満足そうに頷くと。

「襲撃は本日深夜に行おうと思う。皆、準備を怠らないでくれ」

「はっ!!」

かくて、運命が少女に忍び寄るーーーー。

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その日の深夜ーーーー。

ゆさゆさと、自分の躰が揺さぶられる感覚を覚え、マリアは眼を醒ました。

「う…………ん…………?」

半分寝惚けた頭が状況をうまく認識させない。躰を揺すって自分を起こしたのは、どうやら父のようだった。

「おとう……さん?」

まだ真夜中のようだ。と云うのも寝室が真っ暗だからだ。では何故自分を起こしたのが父だと判別できたのかと云うと、マリアの眼は不思議と暗闇でも見通すことができるからだ。生まれた時からそうだった。

何故こんな真夜中に起こしたのか? 何故部屋の灯りを点けていないのか? いくつもの疑問が渦を巻き、質問しようとしたマリアを、だがしかし先手を打って制する父。

父は唇の前に人差し指を立て、「静かに」と動作だけで伝えてきた。そしてうんと小さな声で。

「すぐに寝間着を着替えなさい。でも灯りを点けてはいけないよ」

寝惚け眼を擦りながら、云われた通り外出着に着替えるマリア。着替え終わると、父に居間へと連れて来られた。

居間では母が待っていた。母は革鎧(ライト・レザー)を身に着け、腰帯には一対のバトル・ファンを差していた。

その物々しい様子に、急速に脳が覚醒するマリア。よくよく見ると父もまた、革鎧(ライト・レザー)に左腕には小楯(スモール・シールド)、腰には小剣(ショート・ソード)と云う出で立ちだ。

「なに……? どうなっているの……?」

覚醒の次は混乱するマリア。そんな彼女を父は長椅子(ソファー)のところまで連れて来ると「座りなさい」と促す。

向かい合って座るマリアと両親。と、父が静かに口を開く。

「本当は明日誕生会の後に話そうと思っていた大切な話。明日は無理そうだから、今話すよ」

どう云うこと……? 明日は無理そうって……?

「落ち着いて良く聞きなさいマリア。……私たち夫婦は、お前の血を分けた実の両親ではない」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

……………………………………………………え?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

「もちろん、私たちがお前の親として過ごしてきた15年の歳月に偽りは無い。私たちが実の親に負けないくらいお前を愛していることも、変わることのない事実だ」

混乱する頭の中に、父の話がうまく入ってこない。ただひとつ、ふたりが自分を「愛している」事実だけは、静かに受け止めることができた。

「でも、それでも私たちは、お前の実の親ではないんだよ」

「でも…………じゃあ…………私を産んだ親は……?」

「アザリー小母さんを憶えているかい?」

勿論憶えている。毎年誕生会には必ず参加してお祝いしてくれたし、それ以外にもちょくちょく逢いに来てくれた、両親の親友。私のことも、まるで実の娘のように愛してくれた。でもなんで今、アザリー小母さんの話を……?

…………え?

『実の娘のように愛してくれた』?

ーーーーああ、そうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

「アザリーこそが、お前の本当の母親なんだ」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

ーーーーやはり、そう云うことなのか。

「でも、なんでーーーー」

アザリー小母さんは私を捨てたの? と訊こうとして、気付いた。

彼女は私を捨てていない。捨てた子どもに、これほど頻繁に逢いに来る親は居ない。

愛していない、と云うのも違う。彼女は私に実の母娘のように愛情を注いでくれていた。

当然だ。実の母娘なのだから。

「いったいどうして、こんな…………?」

マリアはもう、何を訊ねて良いのかさえ判らない。

そんなマリアに、父は、ゆっくりと語り出す。

「アザリーはね、邪悪な敵と闘い続けていたんだ。そいつらは強大な<悪魔>を復活させ、エクナ諸島全域を、いや下手すると世界そのものを滅ぼそうとしている。アザリーは、それを阻止しようと仲間たちとともに闘っているんだ」

「邪悪な……敵……?」

「そうだ。そしてその敵がもしもマリア、お前の存在を知ったら間違いなくお前の命を、身柄を狙ってくる。何故ならお前はアザリーにとって世界で唯一、この世界そのものよりも大切な存在だからだ」

そう云って父はマリアの手を、両手でそっと包み込むように握ってくる。

「『アザリーの娘』である限り、お前に平穏な生活は訪れない。アザリーはね、お前に闘いとは無縁の平穏な人生を送って欲しかったんだよ」

「私たちもね、元々はアザリーとともに闘う仲間だったの。当時恋人同士だった私たちは、お互いいつ命を落とすか判らないからこそ結婚を決意したの。そうしたらアザリーが、私たち2人に戦場を離れるよう勧めてきたの。そしてマリア、あなたを託してきたのよ。あなたの親になって、あなたの幸福な人生を守って欲しい、ってね」

と、母もまた語る。

アザリー小母さんが、私の平凡で平穏な人生を守るため、私と赤の他人になる道を選んだことは理解した。でも、それじゃあ……。

「何故それを今、私に話しているの……?」

マリアが、根本的な疑問を口にする。

「敵がとうとうここを嗅ぎ付けたからだ。空白期間(ブランク)のある私たちにも感じ取れるくらい強力な気配が3つ、徐々にこの家を包囲しつつある。お前のことが、敵に知られてしまったのだろう」

そう云って父と母は、マリアを台所へと連れて行く。そして床下収納の蓋を開け、階段を地下へと降りて行く。

地下収納室の食料棚(パントリー)を父が動かすと、その先に地下通路が現れた。

「ここを通れば、敵に気付かれずに家の外へ脱出することができる。ただしあまり遠くへは続いていないから気を付けて。通路を出たらとにかく逃げて、ガヤン神殿を目指すんだ。良いね?」

そう云って父と母はマリアの返事も待たず、階段を上がると彼女を下に残したまま、収納室の蓋を閉めてしまう。

「おとうさん……、おかあさん……」

マリアも状況は理解できているから大きな声は出せない。だが両親を置いて行くことなどできず、蓋の隙間から居間の様子を窺っている。

ーーーーと。

玄関の戸がゆっくりと開き、暗闇の中、3人の人影が音も立てずに侵入してくるのだったーーーー。

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