ラク家事とモンテッソーリ
子どもの教育でモンテッソーリの本を参考にすることがあるんですが、
子どもを一人前として尊重する
何かを教える時は、宇宙人に地球での生活の仕方を紹介するつもりで
子どもが自分でできるようになるのを手伝う
ていうスタンスが好きです。
で、最初はモンテッソーリ流の部屋作り(子どもが何をしても大丈夫な環境を整える)ってなんだか子どものためにわざわざするすごく特殊なことに感じてたんですけど、最近、稲垣えみ子さんの『家事か、地獄か』を読んで断捨離してみたら、大人も子どもも片付けがラクになったり、家電を無くしてアナログでやった方が子どもにもできることが増えたりと、そもそも子どもにできないことが多い複雑化しすぎた生活環境の方が特殊だったのではと思いました。
例えば最近、洗濯機を使わないで手洗いを始めたら(あと乾燥機もなくしたら)、前は洗濯機に服を入れる、しかやれることがなかったのが、バケツに服と水と洗剤を入れる、もみ洗いする、すすぐ、干すなどができるようになって、本人も嬉しそうです。私も子どもが手伝ってくれると、ワンオペで家事を頑張ってる孤独感もないし、子どもの成長を応援できてるという満足感があります。
掃除も、娘は掃除機だと割と軽量モデルのものでも持てないし、そもそも音が嫌い。けれどフローリングワイパーなら私が始めるとすぐやりたがります。最近はおもちゃのキッチンにスプレーして拭き掃除をするのにハマっています。
稲垣さんが著書で、認知症になったお母さんが複雑化した家事や家電に苦しめられた体験を語っていて、子どもにも言えるなと思いました。複雑な暮らしが子どもをいつまでも未熟にしてしまうし、自己肯定感も育たないのかなと。稲垣さんが本の中で、自分の世話を自分でできるということが自己肯定感につながると書いてるんですが、すごくしっくりきて、私自身専業主婦になってから社会的に「無職」になってずっとモヤモヤしていて、やたら手芸とか何か特別な趣味を探して手を広げて(もちらんそれはそれで楽しいけれど)、そこにアイデンティティーを求めようとしていたけれど、最近アナログで家事をするのが楽しくて、代わりに手芸を手放しても平気で、特別なことができなくてもいいって思えてきました。
だから子どもに自信とか自己肯定感をなんてよく聞いても、絵が上手いとかそういうとこばかり褒めるのは見当違いだったなって思います。特別なことができるとか人より優れてるとかじゃなくて、自分のことが自分でできるのが自信になる。
体力温存のために家電を積極的に導入してた時期もありますが、これからはシンプルに暮らす、子どもにもできることを意識して取捨選択していきたいな思います。特に料理に関しては悩み中(レンジなしでせいろを使う生活に憧れるけど、子どもにもできるならレンジ?とか)
追記: こう書きつつ今はまだ断捨離の途中でむしろ疲れ気味で余裕なくて子どもに当たったりしてしまいます…休み休みやります…
追記: 断捨離がひと段落しました。新しく活動をすることになったので、今後の方針は、時短が最優先、そのため子どもにどんどん任せるのは今まで通りやるとして、アナログやオーガニックな生活にはこだわりすぎず、メンテナンス含めてトータルで考え中です。
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