小さい頃に培った価値観は多分そう簡単には変われない

私今年22歳になる現在大学四年生なわけなのですが、こんな私にも幼少期というものがありました。とはいえほとんど何も覚えちゃいませんが。
私の両親は共働きで、2人とも所謂サビ残だらけの地方公務員です。あの頃は、早朝保育で朝の7時には園に預けられ、延長保育で夜7時にお迎えが来ていたので、私の生活の大体が保育園でした。

それなのに何故か保育園で足並み揃えて習った数字や平仮名は皆よりよく出来ていたらしいし、随分早い段階から本が読めていたらしいのです。一体いつ私の母は私にそんなことを仕込んだんだろうか。風呂と寝る時間くらいしか一緒にいた記憶はありません。多分純粋に記憶が無いだけなんでしょうけど。

あと可能性としては、私には年の離れた2人の兄と1人の姉がおり、私が言葉を発する頃には上の3人は小学校に上がっていたため、きっと本を読み聞かせてくれたり相手をしてくれたのでしょう。記憶ないけど。
それにお風呂場やトイレに平仮名やら世界地図やらがはられていたような気がしないでもありません。私が5つの頃に家を建て直したのでもうそんなものも今の家には残っていないのですが。

そんな曖昧な私の幼少期の記憶にも、働く母がかっこいいという尊敬だけは抱いていた自覚が未だにあります。

話は変わりますが皆様、おままごとって知ってますか?

ままごと飯事[1])とは、幼児遊びの一種。おままごとともいう。分類上はごっこ遊びの一種と考えられており、身の回り人間によって営まれる家庭を模した遊びである。参加する人を、お父さんお母さん赤ちゃんペットなど家族に見立てた役を振り分ける。そして、家の炊事食事洗濯買物・接客等を模倣する。

Wikipedia

私もよくままごとに参加していました。女の子のおままごとってやっぱりママ役が人気なのです(少なくとも私の保育園ではそうでした)。おままごとのママはお家にいて、赤ちゃんやペットのお世話をして、砂で団子を作って、パパがお仕事として摘んできた雑草で食事を作ります。頑張って記憶を辿ってみたところ、私も絵本やアニメで知った【そういうママ】を演じることが多かったと思います。でも私にとっての「母」はそうではなかったのです。

私は保育園が好きで、小学生が夏休みの間も母には仕事があるので上の兄弟に任すよりはと保育園に行かされていましたが、毎日割とルンルンで通っていたと思います。普通は母と別れたくないでしょうが、私的には働く母が好きだったので文句もなかったのでしょう。絵本やアニメとは違う、私だけの特別な母と思っていたのかもしれません。保育園の先生だってほとんどが女性だったのに、私にとって働く母は私の母だけだったのでしょうね。

小学校にあがり、もう少し物事が理解できるようになった時、母は特別では無いことを知りましたが、それでも母は私にとってかっこいい人物であることは変わりなく、将来私もバリバリに働いてやるんだとそう思うようになりました。

その気持ちは無事現在まで持ち続け、私も将来は働きながら子育てをしたいと思うこの頃です。実際に私が就職するまではあと2年半ほどかかる訳なのですが、その数年間も、専業主婦になりたいとは思っていないことでしょう。

私は私の歩んできた人生において、私の母の【母】としての像にとても満足しているのであのようになりたいのだと思います。

現在の日本では片親働きではなかなか満足のいくような生活ができない家が多くなってきていると聞きます。それにより共働きの家庭が、又は片親の家庭が、専業主婦(夫)の家庭と比べ子供へ丁寧な教育ができていないが故に差を実感しているなどの記事も目にする機会が多いです。でも実際私は親の教育が良かったのか、兄姉が私を手塩にかけてくれたおかげか、または性格の問題か、無事こうして所謂成功している部類として育っていますし、問題ないかなと思う次第です。まぁ自分が育児に直面したら迷うことだらけで、あの一手を取っていればこの子はあぁ育ったんじゃないかと思う日が来るのかもしれません(きっと私はこの子はこう言う子だわとそうしか思わないでしょうが)。それでもいつかふと自分の子供が、私に育てられた事を良かったと思ってくれる育児が出来たらいいなと、小児に関するCBTの問題を見ながら思う私です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?