逃げるは恥だが役に立つ

みくりさんが可愛すぎた。

無事4本目になりましたね。これで3日坊主とは言わせまい。

あ、そういえばこのアカウントで友人のnoteにいいねをしてしまったばっかりにこのアカウントバレたみたいですね。まぁ気にすまい。


んで本題。

皆さん逃げた事ありますか?私は毎日逃げています。レポートの締め切りやら定期考査、最近ではCBTと呼ばれる進級試験のようなものからも逃走中です。しかしこういうものは残念ながら私が逃げようと私に追いつき、私を薙ぎ倒して過ぎ去っていってしまいます。そういうものではなく、自らの意思で逃げ切れる事象から逃げた事、ありますか?

私は一度だけあります。


それは人生初のバイトからです。私は大学進学と共にコロナ禍にぶち込まれ、一年の秋頃からようやく飲食店でバイトを始めました。その頃は飲食店も時短営業で、人もあまり来ず、始めた当時は優しい先輩方に可愛がられながら楽しく過ごしていたのですが、半年ほど経って学年が変わると先輩方はだんだん学業や就活が忙しくこなくなっていったり、人がどんどん来店するようになり、てんやわんやになっていきました。その頃から所謂『御局様』が幅を効かせるようになってきて、私のようにコロナ後に入ったスタッフに強くあたるようになっていきました。2年の秋頃になると、キッチンの優秀なバイト達がどんどん諸事情で辞めていき、新人は御局様の恐ろしさにさっさと辞めていき、人手不足となっていきました。それにより加速するお局の不機嫌。ついに当たる新人がみんな辞めてしまい、いよいよ私がターゲットとなりました。

あ、ここから重い話です。

そういうのにトラウマある人読まない方がいいよ。

私実は中学でも男の子達からの攻撃対象にされていました。暴力は受けてないから口撃かな。それでも友達もいたし学校の外に居場所があったので大して気にもしてなかったんです。お前らから嫌われたって私の世界は進むんだからって。実際問題奴らに何をされたって言われたって、実害はなかったのです。だって教師がいれば授業は受けられるし、友達もいるからハブなんてものもなかったし。

それなのに、御局様からの攻撃にはコテンパンにやられました。


なぜなのか。


思い返せばその頃は大学がオンライン授業から対面へと切り替わり、一年ですっかり鈍った体を引きずりながらに大学へ登校し、しかも周囲の出席番号が皆男性の私には友人も大しておらず、体力メンタル共にぶち殺されていたのだと思います。また当時付き合っていた人がメンヘラと化し鬱陶しくなっていた頃でした。色々重なったとはいえ、なんにしろ人を徹底的にターゲットとして口撃してくる御局様が原因で私は無事メンタルブレイク。
冬頃にはバイトだと思うと朝から吐き気に襲われるようになりました。曲がりなりにも医療を学ぶ学生として、これの症状に覚えがありました。そう

逆流性食道炎


あー…やばいなぁ。まぁそのうち良くなるやろ…
私のよくないところです。医療従事者になろうとしている割には、病院が嫌いなのです。小さい頃から基礎疾患で週一で通院していた私、病院って時間取られるし薬は飲まなくちゃだし、しかも逆流性食道炎となれば、待っているのは間違いなく『胃カメラ』
飲んだことはありませんでしたがキツイのは知っている。いやだ。行きとうない。

その頃新しくお付き合いする人ができました。彼に心配され病院を勧められるもまぁまだ吐き気くらいだし。喉元まで戻ってはくるけど吐いてないし。まだ行けるまだいける…としばらく続けて3年生へと進級しました。

3年生となると実習も本格化。毎日が忙しく、それに加えてなんと私の先輩全員が退社して私がシフトリーダーへ。それにより御局様の態度が大幅に悪化。私の業務連絡にうんともすんとも言いやしない。だから伝わってるのかもわからない。なのにこっちの返事が小さければ聞こえてんのかと怒鳴ってくる。その他にもエピソードはたっぷりあるんだけど長いから省くけど、その当時私が思ってたことは、

人の振り見て我が振り直せって知ってる?

私は大人だからいい子にしてよう。

そんなこと思ってた。

なのに。

一ヶ月経って魔のゴールデンウィークが到来。私は実家で用事があって帰省していました。この頃はもう稼ぎ時に出勤できないのが悪いと言うより、良かったと思うようになりました。
しかしゴールデンウィーク明けに出勤するとキッチンの方から御局様の声が。なにやら聞こえてくる話を意訳すると
「春休みにも帰省してたくせにまにまた帰省した人間がいるせいで大変だった。そんな頻度で帰省して何をするのか」
とのこと。このおばさん、直接言うのではなく自分の子分との会話で聞こえるよように言ってくるのだ。タチが悪い。この瞬間私の中でダムが決壊して、辞める決心をした。したはいいものの。いつ言おうか悩む羽目になった。

ある夜勤のタイミング


店長と二人きりになれたのでその時に店長に辞めることを伝えた。今までも店長には御局様とシフト被るから嫌だとやんわりと休日の日中のシフトを出さないでいることを了承してもらっていたが今回ばかりは無理だった。ただ残念なことに店長は今辞めたいと言われてもお局様のせいで新人が辞めまくり人手不足だし、はいそうですかとは行かないと断られてしまった。でも私にはもう無理だった。ここまで来たら強行突破だ。

病院嫌いの私は病院にに行くことを決めた。ともかく穏便にさっさと辞めよう。そのためにはとりあえず……

診断書がいる。

ようやく病院に行く気になった私はともかく心療内科へ予約をした。診察室で先生が優しくかけてくれる言葉に涙目になりながら、今までのストレスを話した。頑張りすぎてるから今すぐにでもやめてきなさいと快く診断書を書いてくれた。そのババァに会わないのが君のためだって言う言葉に、自分は間違ってないんだなぁって認められたみたいで、号泣しながら、血液検査をされた。尿検査も終えて1度帰宅、その日の夜も出勤だったのでとりあえず店長に診断書を渡した。本来働ける状態では無いが、シフトを出している分は全うしたいと今月いっぱいで辞めると伝えた。店長としては後進が育つまではと粘られ、6月の第1週までと引き受けた。

ここからは私の闘病生活がスタート


数日後血液検査の結果やエコーやらにより、恐らく逆流性食道炎や胃潰瘍、そして膵炎が疑われた。もう少し大きな病院へかかるべきだと言われ、待っていました胃カメラの登場です。鎮静剤を用いて涙と嗚咽でぐっちゃぐっちゃになりながら検査を終え、無事、逆流性食道炎、胃炎、膵炎と診断された。満身創痍だねぇと笑われながら、もっと早くに辞めればよかったなぁとか、でもやっとあのババアから解放かぁとか、そんなことを思いつつ

これだけきつい思いをして、逃げれば恥だが役に立つって、ほんとだなって実感した。

最近の不登校とか、新卒社会人が・・・とかちょこちょこ見るけど、逃げられる人は偉いなと思うんだ。逃げきれずに死ぬほうがよっぽどバカげてる。逃げきれない人は、別の道があることを逃げるまで実は見えてなかったりするのだと、この経験を経て感じたりしている。転校とか、通信とか、転職だとか。世の中案外逃げ道はそこらにある。ドラクエのように戦う、逃げるが選べたっていいんだと思う。あの頃の私には逃げるの選択肢が見えていなかった。そのせいで未だに胃の負担に弱くなったりしているのだ。

世の中いつだってどこにだって逃げるの選択肢はそこにある。忘れないで生きて行きたい。


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