気分的という文化(カルチャー)

気分的という文化(カルチャー)、について述べてみる。

昔の封建制度は崩れ去り、速度が命と言った速攻主義も消えつつある。その上において、お客様第一主義も壊れ、我々は自動レジなど、機械を相手に四苦八苦の状態だ。

この先どうなっていくのか、人間と人間との関わりについても。それは、素早く返事を出すだとか、綺麗な文章を学びましょうとか、そういう概念も、崩壊するだろう。自分のタイミングで、綺麗でなくとも伝われば良い、という会話が、進むのではないか。

こういう今の現状において、どのような文化(カルチャー)が台頭しているのだろう。

それは、一言で言えば、気分的、というものではないだろうか。

何かに迷ったりした時に、何となくこんな気がする、といった、気分の問題が、非常に重要な気がする。一種の勘でもあり、また、見通しでもある。自分はこれからも、純文学の小説を書こうと思ってはいるが、現実生活では、もう、気分的という文化(カルチャー)、に縋ろうと思っている。

そのほうが、何となく、楽しそうじゃん、と自分で自分をいなせば、物事も明るくなりそうだし。

そんな訳で、純文学小説家を標榜する自分は、現実では、気分的に生きようと思う、という、結論に至った次第だ。

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