埴谷雄高、文章を書く上での【影響論】

埴谷雄高、文章を書く上での【影響論】

自分は一時から、文章を書く上で、埴谷雄高に絶えず影響を受けて来た。その影響の及ぼした領域は、小説家達の中にも、様々に有ると思って居る。文章を読んでいると、確かに、埴谷雄高は、様々に影響を後世に与えて来た。自分も、その影響によって、救われた一人である。その長々とした文章には、至極の、長編を書く時の或る種のヒントの様なものが有り、それを影響され、また、こちらから搾取することによって、自己が文章を書く時に、例えば後数行書きたいなと思った場合、埴谷雄高の文章を思い浮かべれば、即座に、その方法論に依拠した脳内において、文章が生み出されるのだ。これは、何度も埴谷雄高の文章を読んだから、出来る技であると言って良いだろう。

しかし同時に、後世の作家たちに、その様な影響を与えることの出来た埴谷雄高という人物は、本当にすごいな、と思わざるを得ないのである。例えば、川上未映子が、文學界で或る時、埴谷雄高の名前を挙げていた(このことは驚きと同時に、川上未映子が何故あんなにも文章を続けて書いて行けるのか、という疑問の一解決になったのだが)、ことでも、埴谷雄高の影響が、改めて川上未映子の文章を読んでみると、或る影響が見られるのである。多分に、その影響を受けた小説家は、川上未映子だけではないはずだし、端的に言って、埴谷雄高や小林秀雄は、美文でもある。

この美文であるということもまた、小説家にそのヒントを与え、影響を与えたと思っている。小林秀雄を挙げたのは、小林秀雄も、長文が書け、後世に影響を与えたからであるが、批評家に影響を与えたのが小林秀雄なら、今回の表題となっている、埴谷雄高、文章を書く上での【影響論】、における命題として、小説家に影響を与えたのが、埴谷雄高なのである。驚くべきことに、この2人は、これだけの文学的執筆をしながらも、自殺などせず、かなり長生きしている。何か、自由に書いて、文章を削ったりせずに、思うが侭に書いているから、そうなるのだろうが、つまり、長生きには執筆にストレスを抱えてはいけないということも、我々に教えてくれている気がする。そして、埴谷雄高に影響を受けた自分は、自由に文章を書くことで、執筆が楽になったので、埴谷雄高、文章を書く上での【影響論】、として、述べてみた次第だ。

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