文章を書く時の形式についてー考察ー

文章を書く時の形式についてー考察ー

文章を書く、という行為は、昔は象形文字などから始まり、やがて、言葉の発達とともに、文というものが現出したと思われるが、今はそう言った、文章を書くことの歴史についていうのではない。もう、日本において、古事記や日本書紀、万葉集などが出来始めた時から、その文章には形式というものがあったはずだ。形式は、現代の日本語に辿り着くまで、進化/変化、して来たし、その紆余曲折の中で、衰退した言葉、注目された言葉などがあり、厳選されるかたちで、現在、文章に言葉が使われている。

そして、今述べたいのは、昨今の、文章を書く時の形式について、である。一般に、小説家の多くが、自己の形式というものを持っており、例えば、100人作家がいたら、100通りの形式が存在するだろう。当たり前の事を、当たり前に言う程、時間はない。ただ、この形式というものが、どうも自己の意図から反して、何か一つの人格の様に備わって居る様に思えてならない。しかもその人格とは、無意識に通底する自己では変化させられない、強制された形式、だとしか考えられない。

これは、恐らく教育というものが下地になっており、学生時代を経て、そこまで習った授業や、テストや宿題、育った環境によって、形而上/観念、に住み着くもの、それが文章を書く時の形式に関連して居る様に思われる。それらが、社会という枠組みの中で、活用され、消費され、やがて形而上/観念、の量分を失った時、その人にとっての形而下/ストーリー、が始まる様な気がするのである。作家の文章とは、今述べたようなことを敷衍した上で、強制されて形式となっている、その様に思う訳である。この、形而下/ストーリー、を得るためには、形而上/観念、を失わねばならないのである。

芥川龍之介を例に取れば、芥川自身が発狂を感じたのは、形而上/観念の消滅のことだった。それを知らずに、恐怖によって、自殺の一因となった。小林秀雄の場合は、文章の形式が、破壊されたところに、新しい形式を見た。形而下/ストーリー、を知っていたから、長生きして、あの大長編『本居宣長』を書くことが出来たのだ。こういった、文章を書く時の形式は、作家に置いて、様々に作用している。時に頼り、時に取り憑かれ、時に喪失し、時に素晴らしい文章を創り上げる、この形式というものの偉大さを、常日頃、作家は、意識的にも無意識的にも、感じ取っているはずである。形式が壊れた時には、また新たな形式を探せば良い。発狂の先にある文章を読んでみたい、書いてみたい、それは、形而上/観念、の破壊に耐えた者だけに許される、新しい世界の文章を書く時の形式であると思われる。

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