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【エッセイ】もう会えなくなるとはどういうことなのか?命を想う土曜日





土曜は夫が仕事で、4歳の娘と2人の時間だ。
あいにくの雨で外に出ることも出来ず、今日は部屋の片付けをする日と決めた。


掃除が苦手な私は、平日の働いている時間の方がはるかにラクだなと思いながら、嫌々ながらに手を進める。

私の家は近所のママ友から児童館と呼ばれるほどにおもちゃが多かった。一人娘で、両家にとって初孫、いとこが1人もいないという状況はおもちゃが集まるには条件が揃い過ぎていた。

そして、片付け断捨離が苦手な私とそのおもちゃの多さの相性は最悪だった。

娘のお人形ごっこの相手をしながら、掃除の手を進めるが、一向に片付かないおもちゃ、食べ散らかされたお菓子の破片、増えるコップを眺めながら、つい現実逃避をする。

目の前のこの娘がまだお腹の中にいるの時、父方の祖父母の家を片付けに行った日のことを思い出した。


祖母は、私が中学2年生の時に亡くなった。祖母が大好きだった祖父も後を追うように数年後に亡くなった。

その後も私の両親は何度か祖父母の家に通い家を維持し続けたが、ついにその家のある土地が別の人の手に渡ることとなった。

そのため、片付けの手伝いがてら、最後の思い出に家を見に行くため、私もついていったのだった。

もう10数年訪れていなかった祖父母の家に久しぶりに訪れ、門をくぐると懐かしい記憶が蘇った。

テレビのチャンネル数の少ない祖母の家で、たった一つの知育玩具が唯一の好奇心の矛先だった。

この10数年でかなり古びた家とはうらはらに木の素材で出来たその玩具は色褪せもしてない昔のままの形で、その当時も新品のように感じられた。
ワックスがキラキラと光るその姿は大人になった妊婦の好奇心もくすぐった。まるで、この家の主かのように感じられた。

きっと高いんだろうなぁと漠然に思ったことを覚えている

幼少期の記憶にうつつを抜かしつつ祖父母の家の片付けを進めていると、
つわりのせいか、だんだん体調がしんどくなって、ふと風当たりのいい縁側で、座り込んだ。

縁側を抜けると庭が広がっていて、またも幼少期の記憶の世界へ引き摺り込まれる

まだ小学生くらいの頃、兄弟の中で歳の離れてる私は1人、縁側と庭の間にある石段で、雑草を拳ほどの石ですりつぶしながら色水を作っていた。

雑草で作る色水は全部薄緑色をしていて変わり映えしなかった。

本当はお花を使っていろんな色の色水を作りたかったが、お花は綺麗に手入れされていて、花壇に並べられていた。

普段、自分の家でも母から花壇の花は抜かないように厳しく言われていて、

この時も花壇のお花を使おうとは全く考えておらず、緑色の色水を何種類も作っていた。

しかし、それを見てか、祖父が花壇のお花に手を出し、

「ちょっと失礼」 
と言ってお花をちぎって、私に渡したのだ。

花壇の花をちぎるという当時の私からするととんでもなくいけないことを、
父と母よりももっともっと年上の「大人」の祖父がやってのけた。

しかも「ちょっと失礼」なんて軽い言葉で
その悪行はチャラになったのだ。

大人はその時の私にとって正しい行動だけを選択しているように見えていた。
誰よりも大人の祖父がとんでもないことをしてるその状況が、あまりにおかしく私は大爆笑したのを覚えてる。

そんな思い出に浸りながら祖父母の家を片付ける私は、祖父母に会いたくなった。

もう会えなくなった命を想いながら、お腹の中のこれから会う命をさする。

そして、この今から会う命と私の命もいずれ会えなくなることを知っている。

止めることのできない大きな時間の流れ、宇宙の老化の中で、
なんとか思考を巡らせ、考えることで抗おうとしていた。
それはとてもちっぽけな足掻きなのだろう。

悪阻という自身の中の宇宙さえも逆らえず苦しんでた私には、どうすることもできないと体の不調を感じるたびに思い知らされた。


そんなことを思い出していたら、
涙が止まらなくなり目の前の娘に「ママ早くお片付けして」と呆れられたのだった。

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