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トラウマがトラウマでなくなった日


心理学でよく話題にのぼる
『トラウマ』の話。


私にとってのトラウマは
女の子同士の人間関係
にありました。


小学校3年生と6年生
中学校1年生のときに
クラスの女の子たちから仲間はずれにされ
毎日わざと聞こえるように
悪口を言われていた。


昨日まで一緒にお弁当を食べたり
一緒に帰っていたはずだったのに
急にひとりぼっちになったあの日。


私の脳内には
「どうせ私は愛されないんだ」
そんな思い込みがガッツリと
インストールされたんです。


こんな厄介な記憶があるもんだから
大学生になっても
社会人になっても
同じようなシチュエーションに出くわすと
身体が反射的に固まった。


「あ、あの時の感覚だ」


そう頭では分かっていても
脳の自動防御機能が
私の心をぎゅーっと締め付けていたんですよね。


それが今では
同じような状況になっても
特に何も思わなくなりました


ダンスの練習が終わって
仲間たちがサッサと帰ってしまって
体育館に自分一人が取り残されても
前ほど悲しくもならない。


「ああ、私の世界で起こっていることだ💡」
くらいに思えるようになったんです。


この要らない思い込みを
手放すことができたのには
ある"理由"があります。


それは
自分の"中心"を他人に明け渡さなくていい
に気づけたから。


もっと言うと
他の誰かに愛を求めなくても
心のいちばん深いところで
自分の世界を愛せるようになったから
です。


この思い込みを手放す前は
『女の子の友達に好かれないと
自分には価値がない』
って思ってたし


それの裏側で
『女の子たちに嫌われてはいけない』
とも思ってた。


だから
同世代の子たちが集まって
グループになっていると
わざとそこから外れてみたり
わざと一人になったりして


最初から嫌われないように
防御線を張っていたんですよ。


「私、あななたちに興味ないから」
みたいなね(笑)
でも本当の本心では
自分の心の不足感を埋めるために
女の子たちからの愛情を渇望してた。


誰かと仲良くなろうとか
友達に愛を向けることを望んでいるのに
嫌われることが怖いばっかりに
遠くから指を咥えてたんですよね。




でも、そんな拗れた愛のねじれが
やっとやっと、元に戻った。
それは、自分の心の中心を
他の誰かに明け渡さなくていいと気づけたから。


今まで私は
自分の"価値"の基準を
「誰かに愛されること」
に置いていたんですよ。


友達がいること
パートナーがいること
趣味の仲間がいること


それに価値を置いていたから
ひとりぼっちの自分を許せなかった。
愛されない自分には価値がないから
ひとりぼっちでいることが
惨めで哀れでたまらなかった。


でも、本当は
そんなことは全然なくて。


自分が自分をいちばんに愛していて
いつだって自分がそばにいるなら
他の誰かに愛を求めなくていいんです


私が私の世界を
どんな時も信じているからね。


これに気づけたとき、初めて
「どうせ私は愛されるって思っていい」
と許可が出せた。


そうなれば
私の世界に怖いものがなくなった
ひとりでいたとしても
安心しきった状態で
自分の世界を信頼することが
できるようになったんですよね!


この感覚、ちょっと深い話すぎて
ここで書くのがまとまらない(笑)


世界からの無条件の愛と信頼。
これを体感できたら
世界はくるっとひっくり返るはず。


ぜひあなたにも
この場所から世界を見てみてほしいな。


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