突然両親が同時に立てなくなった! 

介護主婦なんて自分のことを名乗ってましたが
本当の介護ってこんなもんじゃなかった。

ごめんなさい
そう言いたくなるほどの恐怖体験をしてしまったのでした。

突然母が頭が痛いと言い出しました。
本当に割れそうに痛いなら怖い病気だから大きい病院へ行こう

そういうと、そこまでじゃないからいつものY病院に連れて行って、

母の大好きなY病院は私が大嫌いな病院です。

近所でも評判が悪く、ネットの口コミは酷評だらけで☆1だったりしてます。患者はネットを見ない世代、70代以上のみ。

その病院で頭痛を訴えると、うちは内科だから整形外科へいけ、と言われたと母が言いながら車に帰ってきました。

(のちに先生は脳神経外科へ行くように言った、ということがわかりました)

Y病院はいい加減だなぁ

そう思いつつ、痛み止めをもらったと母は嬉しそうです。
もしかして、Y先生がイケオジだから好きなのかな。

65歳くらいのY先生は、昔のキムタクのようなロン毛で細身でジーンズをはいています。


洗濯、買い物、料理、振込、病院の送迎、薬の管理、が私の主な仕事でした。

要介護の父の着替え、トイレ介助などの直接的な世話は母がやっていました。

頭痛の翌日の夜中の1時

うめくような声で目が覚めました。

おーい、おーい、という父の声がします。

1階に降りると、リビングに入るドアの前で父が倒れていました。

普段立てなくなるのは、ベッドから起きるときと、トイレに座る時のどちらかだったので(寝室のベッドの横にトイレがあるので、寝室からでることはない)、

変だなと思って聞くと、

「お父さんはいいから、お母さんが起きれないから助けてあげてくれ」

寝室をあけると、母が、父の介護ベッドの‘下‘に転がっていました

もう

この感じ、殺人現場でしかありません

母を起こそうとしますが

どうすることもできないのです

ベッドの下から引き出すことしかできません。

人を起こすなんて簡単だと思うのに、本当にできないもんなんですよね。

プロだと私よりも一回り以上年上の女性でも、起こすことができますね。

トイレに行きたいと言われても、まるで起こすことができないのです。

おむつをして、なんとか寝かしました。

♯7119に電話すると

緊急を要するとおもうので、救急車を要請してください

そう言われ、

救急車を呼ぶことにしました。

でも、父を何とかしなければ。

父をベッドに戻すことができないのです。

母のことがショックで父まで一切立てなくなってしまったのでした。

父は要介護3で、介護保険でケアマネージャーがついており、こういうときのために緊急24時間介護サービスに登録している。

電話1本で駆けつけてくれるのだ。毎月の基本料と、都度の訪問料がかかる。
スタッフに来てもらい、父をなんとか床から立ち上げてもらい、トイレに行かせ、ベッドに戻してもらう。

救急車を呼ぶ。

父には、もう寝ててもらうことにした。

何かあったらその緊急サービスを呼べるよう、ベルを枕元に置き、出発。

母には熱があり、救急病院で対応してくれるところを探すのに2時間かかり、
やっとみつかりその場でPCR。陰性と出てから検査が始まり、終わったのは6時間後だった。

医者に呼ばれていくと、検査に異常がなく、お母様の治療の方針が見つからないため、入院できません。と言われる。

え?一切立てないのに、原因がわからないから帰すって??

車椅子でしか動けないのにどうするの?

看護師も医者も下を向くだけ。

「車までおのせしますから」

車椅子で車まで運び、看護師さんが車椅子から車に移乗してくれた。

私一人で、車から家の中までどうするの???

父が歩けないときにお友達に車椅子をもらったので、車椅子はあるのだが、家の中まで車椅子で入れるすべがない。玄関が思い切り段差があるのだ。

3時間ほどのところに住んでいる下の姉が、今から行く、と仕事を抜けて来てくれることになった。

2人で車から車いすに移乗させ、

玄関まで運び、一旦玄関で母をおろし、車椅子を室内にあげ、乗せ直し、布団まで運んだ。

母は要介護が認定されてもいなくて、ベッドすらないのだ。直の布団に寝せたらもう立たせられない。

ピンチ過ぎる。

休日だがケアマネに電話して、すぐに入れる施設を紹介してもらった。

一番早くて翌日に入れられる施設を見つけてくれた。

とりあえず、一晩、私一人でこの全く立てないのに、おむつには排泄できない2人の面倒をみなくてはならない。

姉は仕事に戻らなくてはならず、帰って行った。

緊急介護サービスは父にしか使えない。

母がおしっこという。

早くもピンチだ。

泣きながらおまるのような室内便座に座らせようとするが、力が入らず

頭を支える力がなく、便座に自らおでこをぶつけてしまい、泣き出す母。

それを見て私をなじる父。

泣きたいのはこっちだ。

どうしようもなく、おむつにしてくれと頼むが、出来ないと泣く母。

布団の上で洗面器をお尻に押し込み、ようやく成功。

父のことは介護サービスで何とかなった。

朝、有料老人ホームの人が迎えに来たが、ホームの人も、介護ベッドからではなく、布団からの立てない人の介助は大変だそうで、

3人は必要ということで、運転手と介護スタッフと私の3人でのせることになった。

車椅子を室内まで運び、布団をまるめ、ぎりぎりまで寄せる。

車椅子ごと玄関から運び出し、ようやく乗せたときには真冬なのに汗だくになっていた。

ピンチって本当にあるんだな、と今までの人生の甘さに気づいた私だった。

この有料老人ホームが一人1泊3万円。2人で一日6万円。
露天風呂付ホテルに泊ると思えば、、と思いつつも
なんとか1,2週間以内にしかるべき施設を見つけなくては。

そこから人生で一番忙しい日々が始まった。

預けた初日は、明け方のトイレ騒ぎからたった1滴の水を飲むことすらなく、夜22時になっていた。

二日目はお茶くらいは飲めたが、食事はできず。

三日目のお昼にようやくご飯を食べられた。

2キロ痩せていた(今は戻っているw)。

おかげで、
「僕がケアマネして最速記録です。普通こんなこと短期間でできません。特に老々介護の場合、介護する側も動けないので遅くなっちゃうんですよね」
とケアマネさんが言うスピードで、手続きが完了し、

母は7日で、父は9日で老健に入れることができた。
老健は病院と施設の間のようなもので、最長3か月。
金額はそれぞれ月に25~30万くらいだ。

身体が立てなくなると同時に認知症も悪化したような2人。

あとはお金との闘いになるのか。よくわからないけど、
とりあえず一番大きな波を超えたところ。

介護の書類はとてつもなく多く、大変だったがその中で、満60歳以上の高齢者、という記述があり、え?私ももう少しじゃん。
介護する側なのに、もうすぐ高齢者という事実。

こんなにパンクでファンキーな私が高齢者?

おそろしい。

子供には絶対に迷惑かけたくない。
ゾッとするのであった。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

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