見出し画像

『潮騒』(原作:三島由紀夫 1964年4月29日公開)を観て


『潮騒』

『潮騒』、多くの皆さんが知る三島由紀夫作品である。三島ファンの皆さん、私ごときが、三島由紀夫の作品について語るのもおこがましい上に、これから始まる稚拙な感想をお許しください。

潮騒と言えば、私の時代では、三浦友和と山口百恵ということなんでしょうけど、あえて、浜田光男と吉永小百合の潮騒を観ることにした。私は、三島由紀夫について、良く知っているわけではなく、文学者の三島由紀夫というより、愛国者、政治活動家、市ヶ谷駐屯地での割腹自殺、東大教養学部での全共闘主催の討論(この映画は、3回見た)と何かと押しが強いイメージである。(私は三島由紀夫について詳細に調べたことはなく、どういう人かあまり分かっていないということ)

潮騒を観て思ったのは、上記の私が持つイメージからは想像出来ない、若者の純粋な恋愛物語だったのねということ。知っている人にとっては今更私の感想なんて読む意味もないってことかも知れないけれど、私がこの映画を観て何をどう思ったのか、ちょっと聞いてあげようという奇特な人(あなた)に読んでいただければありがたい。

潮騒の舞台は、伊勢湾に浮かぶ歌島(現在、神島)である。10年ぐらい前になるが、鳥羽から伊良湖に渡るフェリーに乗った際に途中で「右手に見えますのは、潮騒の舞台となった神島でございます」というアナウンスが流れ見たことがあったが、その時は、「そうなんだ」という程度で特に強い興味を持つものではなかった。今、この映画を観たあとであれば、映画の映像イメージを持って興味深くみれただろうなと思って、ちょっと残念だ。

ストーリーは、複雑なことはなく、主役は、新治・浜田光男と初江・吉永小百合で、新治のプロフィールとしては、この島で育った18才、母ひとり、弟ひとり、貧しい漁師の若者、初江は、村の有力者で金持ちの家で、頑固もののおじいさん・照吉の孫で、養女に出されていたが、島に呼び戻されて、島では、漁師の手伝いと海女をしている。ふたりは、漁の後に船を陸揚げしているときに出会う、その日は、給料日で、新治は、給料もらい、知人の家にお魚を持って行く、知人の家で給料を落としたことに気づき、浜に戻って給料を探しているところに初江がやってきて、それを拾って、家に届けたことを新治に教えてあげるところからお互いに恋愛感情が芽生える。

その後、島の監的哨跡(かんてきしょうあと:旧陸軍が伊良湖岬から撃つ大砲の試射弾の弾着観測をしたコンクリート製の施設跡)で偶然出会ったり、嵐の日に監的哨跡で会う約束をしたりと、お互い惹かれていく。嵐の日に監的哨跡で会った際には、濡れた服を乾かすために、お互い脱いで裸になる、新治が初江に迫るものの、初江は結婚するまではダメと断る。

監的哨跡から帰るところを千代子(東京から帰省中の新治のことが好きな女性)に見られ二人が監的哨跡で裸で寝ていたと川本安夫(初江のお爺さん照吉が初江と結婚させようとしてる男)にチクり、安夫はそのことを島の人たちに流し、悪い噂になり、照吉が初江に新治に会うことを禁じる。

ある嵐の日に照吉の船が繋ぎ止められていたワイヤーが切れ、船が沖に流された、その時、照吉が若い漁師に誰か船に泳いでいき、船をつなぎとめるように怒声を発するが、誰も行くものがいない、その中にいた新治が怒声に対し、逆に怒りを感じ、嵐のなか、海に飛び込み船に辿り着き、船は救われる

このことにより、新治は照吉から初江との結婚を許されることになり、このドラマは終わる(簡略して書いており、物語を知っている人にとってはいろいろと言いたいことがあるかもしれないけれど、そこは、申し訳ありません)

三島由紀夫について調べてみると、日本、海外問わず、多くの人が三島由紀夫、三島由紀夫作品の深層を人それぞれ独特の表現で分析、評価をされている(私には、ほぼ理解不能)。『潮騒』にも賛否両論あるようだ。普通にこの映画を観ると、あまり見どころがない、単純なお話に感じるであろう。しかし、三島由紀夫が『日本の美』を書きたいということで書いた作品とのことで、そういう目で見てみると、映画の中に多くの日本の風俗としての美しさが表現されていると思った。

ふたりの恋愛の中での美しさは、まず、監的哨跡で新治が初江に迫ったときに結婚するまではダメと断って、結婚するまでは処女であろうとする姿(美行)、照吉から初江が新治と会うなと言われたときに、手紙で新治とやり取りをする健気さ(美挙)、また、その手紙(美辞)のやり取りの運び屋(美技)の役割をする漁師仲間との信頼関係。この映画の中では、新治の母親がいい味を出している。というのは、初江が新治と会えないときに、新治に何事もなかったことを新治に確認し、何事もなかったことを照吉のところに怒鳴り込みに行く家族愛(美談)、こんな母親はいない、また、母親の海女仲間は、母親の味方をして、悪い噂を止めるように若者に言ってあげるという助舟を出してあげる連帯感(美俗)。

新治は照吉から初江に会うことを禁止されているにもかかわらず、照吉の船を救い(美事)、最後の場面で、千代子は、自責の念に駆られて自分の母親に二人の悪い噂の原因は自分が作ったので二人がうまく行くようにと手紙を送り(美徳)、千代子の母親は、照吉のところに二人のことを許すように頼みに行く。最初の場面であったお金を拾って家まで届ける行為(美行)、途中で水汲み場に行く途中で吉永小百合が島の伝統的な歌を歌うシーン(美声)など美の表現は満載である

ふたりの恋愛を通し、島のすべての人たちの心、文化、生活、そして、島そのもの(美景)、それらのすべての美しさが表現されたものと受け止めた。三島由紀夫の作品について知っているわけではないが、人生の後半の激しいイメージとのギャップを感じさせてくれた作品だった。これだけの美を感じることが出来た私の美感もまあまあかも知れない。

では、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?