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少し残念だった藤田真央さんのリサイタル

2023年10月21日
SUNTORYHall

Programは前半がChopinのポロネーズ1番から7番まで。
後半はリストのロ短調ソナタ。

今回のリサイタル、聴く方にも芸術性と体力と知力が求められるものすごいProgramだと思いながらとても楽しみに出かけた。

真央さんのことは大好きである。
彼は間違いなく今世紀を代表する日本人ピアニストとして既に歴史の1ページにその名を刻んだと思っている。
彼を聴くのは勿論始めてではなくこれまで幾度となく聴いてきており、いつも申し分のない素晴らしい最高級の演奏に大満足という日々ばかり、今回はその上での自分の思いを書きます。

Chopinのポロネーズを全曲通して一気に弾くことの意味は何ですか?真央さん。

御本人がある所で数年前に「このプログラムをやりたいと話したら事務所が没にしてきた」とお話しされていたのを聞いており、恐らくは今回ようやく真央さんのやりたかった事が実現した…とコンセプトはそのように受け止めました。
まあそれはそれでよろしいかと思います。
リストのソナタの件についてもその時にお話しされており、ファンなら既に存じている逸話でこのプログラムが組まれたことは理解できます。

さてコンサートです。
まずは一曲目の出だしからの強弱記号を全く違う音量で始めたことに驚きながらプログラムは進んでゆきました。
曲間の間はほぼ無いまま、前の曲が終わればすぐに次を弾き出す仕様の今回。
しかし聴いていくと曲の色合いがどのポロネーズも同じで変化に乏しい…。
そして次の曲への準備をこちらができていないのに勝手に進んでいってしまう演奏は、例えるなら『デートをしていたとして、何でもかんでも自分本意に決めて相手の意見は聞かない人』と一緒に過ごしているみたいだわ、というように感じながらプログラムは六曲目、いわゆる"英雄ポロネーズ"になりました。
藤田さんは今更言うまでもないですが、もちろんものすごいテクニックと表現力をお持ちで大変良く弾けてらっしゃるのです。
ですがこの六曲目、どうしてなのか気概が伝わって来なく、フワッとしているしなんとなく一本調子のような…こころにググッと迫るような演奏ではありませんでした。

そして一番残念だったのは、六曲目のポロネーズのあと、少しだけでも間を取れば良いのにそのまま七曲目の幻想ポロネーズへ突入してしまったことです。

ここで私は完全に藤田真央さんから置いて行かれた…と思いました。
しかたなく追いかけながら幻想ポロネーズをお聴きしましたが…
ポロネーズは私も勉強しているので特に幻想ポロネーズに関しては幾度も弾いてきており私にもそれなりの表現があります。
そこを超えてこそ藤田さんだと思ったのですが、今回は違ったようでした。
さすがに飛ばし過ぎたせいなのでしょうか、幻想ポロネーズの途中まできて、もしかしたら疲れたのではないですか?
一番最後も盛り上がりに欠けてましたよねぇ…というような演奏になったように感じました。
おそらく御本人も感じていたのだと推測します。
なんとなく不満足のような表情でお辞儀をしていましたので。
何も感じない大半の聴衆の方々は大絶賛の拍手でしたが…。

別の日、違う会場で聴いたある方の感想に『齢以上のものは出せないこともあるのだと感じた』と少なくともその方はそのように感じた、と書かれており、そして協奏曲は何曲も聴いてそれはオーケストラと一緒であるし素晴らしい事が多く記憶しているがリサイタルは違う、と、やはり会場で自分だけ置いていかれたような気分になったと書かれており、読ませて頂いた時に感じた事が一緒で、年齢については今回の違和感はこういう事も含まれていたのかもしれないと納得した次第でした。
リサイタルはその演奏家の素の部分があからさまに出るから恐ろしいのです。
そしてその年齢での演奏で勿論充分なのですが、年齢以上のものが出せた時、人々の心に響くのではないでしょうか。

昨年シモン・ネーリングさんの幻想ポロネーズを聴いた時は細部まで練りに練った演奏に脱帽で、何故この人が前回のChopinコンクールのファイナリストになれなかったのかと、ただただ残念の極みだと思ったことを思い出しました。

こんな気分で聴いたせいなのかは定かではありませんが、後半のリストのソナタ、こちらも何十人何百人という人の演奏を聴き、自分も弾いてきたからなのか、今回が最高の演奏という感想には至りませんでした。
様々な箇所、モチーフでまだ工夫しなければならないでしょう?というように私は感じ、そして今回の事で彼を聴きに行くのはしばらくお休みしようと決断。
思えばモーツァルトの神童のような美しい演奏、反対にラフマニノフやチャイコフスキーの大型の協奏曲をダイナミックにしかし繊細に弾く彼に期待しすぎた自分が悪かったのである。

配信などWEB上で聴く機会はあると思うので、会場に足を運ぶのはプログラムを吟味して数年後また聴いてみたいかな、それまでに近い年齢層の海外のピアニスト達からも何かしら吸収してもらえればと、私は偉そうに思っている。

私は『そのアーティストだからいつも素晴らしい、大絶賛』というのはありえないと思っていつも白紙の状態でコンサートホールへ足を運んでいます。

Chopinという作曲家を弾きこなすのは本当に大変である。

【備忘録として】