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三重県の正法寺山荘に行ってきました。

昨日はおばあちゃんが午後退院なのでその前に、伊勢関氏の正法寺山荘に行ってきました。行く機会を狙っていたスポットの一つです(そんなんばっかりですが😅

山荘跡を見下ろすポジションにある案内板。

正法寺山荘は室町時代に北勢地帯一帯にかけて勢力を伸ばした、関氏の寺兼別荘でしたが、後に信長の北勢侵攻に伴って城砦化されたとされます。
詰城があったともされる羽黒山がある西以外の三方が川で守られ、特に北と南は崖になっていて、地形的に優れてるし、土塁、石積みなどよくのこっています。

山荘の西側にそびえる羽黒山。羽黒権現が鎮座します。巨岩がいっぱいのパワースポットらしいです。

(これは城砦化した際につくられたんかな?)という堀切もあります。

山荘跡の南側には堀切が二本。


関氏は本家から関の五家‥神戸城の神戸氏、国府城の国府氏、亀山城の本家、鹿伏兎城の鹿伏兎氏、峯城の峯氏‥と分家してそれぞれ勢力を誇りました。しかし、信長の北勢侵攻により徐々に降り、勢力を失っていきます。神戸氏は抵抗も強固で、織田家三男信孝が、養子に送り込まれていますが、他もそれぞれドラマがあって面白いです。
私は国府城は行ったことがないんですが、峯城、鹿伏兎城はとても面白い山城で、また行きたいな。

関宿の街並み。関氏が宿場町や城下町の基を作ったそうです。

さて、山荘を築いた関盛貞が風流を愛する武将さんだったようで、連歌師宗長は幾度か訪れ、他にも文化人が訪れた記録が残っているようです。

瓦葺きの門、4棟の建物があり、山荘として使われたとされる中央土壇。


広い山荘跡にはサクラの木がたくさんあり、現在はサクラの名所となっています。
サクラが咲いた公園を見下ろすルートから山荘に入る形になっており、初っ端から心に浮遊感が。

山荘に入る前から素敵すぎます。


散りはじめてはいますが、古城感と散るサクラが儚く、井戸跡、礎石跡もよく残っていて連歌会が今にもはじまりそう‥

石組み排水路に土塁に礎石跡。


井戸跡もいくつかあります。お茶を立てたのかな。


東側は腰曲輪もあって、兵を駐屯させることもできそう。


よくわからないけど、切なく、キュン死しそうでした。切ない事なんてないのにね💔

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