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うちのこ。名前は「ぐー」②

前回はいぬのオナラの話で終わってしまった。今回は「ぐー」の犬となりを書こうと思います。人間の世界では、「三つ子の魂百まで」ということわざがあるように幼い頃の性格は歳を取っても変わらないょ。とよく云われる。犬はどうなんだ。犬にも適用する諺なんんだろうか。だとしたら、「グー」の性格は、うちに来て三年の間に形成されたのだ。

一歳になる頃、近所にはたくさんの犬たちがいた。土佐犬、ゴールデン、スタンダードプードル、フレンチブル、柴犬、コーギー、ミニチュアダックス、チワワ、シュナウザー、ピットブル・・。書いてみると犬王国だ。そういう時代だった。

そんな中「ぐー」は年少組で新入り。まずは挨拶だろうと出逢ういぬに丁寧に挨拶していた。この丁寧に、というところに性質が現れていた。あるこは激しい、引くくらいに激しい挨拶の仕方もあり、個々に性質が垣間見れる光景だった。

どんなに大きな犬にも自ら挨拶へと近寄る。この公園ではみんながリードを外し自由に走り回っている。どこから見ても犬王国だ。わたしは側で見守るのだが内心ひやひやしていた。そんな心配もよそに、ふらーーっと皆さんに挨拶に回ってるのだ。意外と難なく済ませていた。「クンクン、初めまして。よろしくです。」

あらゆる犬種が混じり合う中で青春時代を過ごした「ぐー」の性格は、至ってマイペースということが判明した。どんな時も気の向くまま、自由なのだ。時には女のこの取り合いで、がうーーっとなるがそう激しくはなく、相手をよく観察していた。いち抜けたーー。とふらふら枝なんかくわえてその場を去っていた。しばらくすると違うこを追いかけていた。切り替えが、いい。いいのかな。

人間も犬たちも、楽しい散歩の時間を共有していた時代でした。小さい身体だったが生涯このかた、一度も「きゃいーーん」と鳴くことはなかった。最後の最後まで男前の犬としか言いようがない。この頃、私と「ぐー」の散歩の仕方は他の方々とは少し違っていた。みんなが集合する公園Cに到着するまでに、二つの公園を通過する。まずA公園に着くとリードを外す→わぁぁーーっと「ぐー」は走り出す。その後を私はゆっくり付いて行く。→その頃、「ぐー」は既にB公園に着。一度私は呼び返す。「ぐーー、待ってーーちょっと来てーー」すると、「なんなん、なんなん」と戻って来てくれる。だが、水泳の折り返しターンのように私がタッチするとまた最速で先を急ぐのだ。

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私が公園Cに着く頃には、もうすでに、お気に入りのこを追いかけている。あのヘラヘラした表情で。この上ない幸せそうな表情で。私を置いてけぼりに急ぐ理由が「ぐー」には確かにあったんだ。ほぼ毎日。

いぬの3才から5才くらいまで、やんちゃな青春時代だ。この頃公園ではひとつ厄介なことが毎日の勃発していたのだ。一日一わんこが草むらからウ○チをベッタリと身体につけ出でくるという、奇妙なくちゃい問題が。昨日あのこで今日はうちのこやーーん。とっつかまえる事すら躊躇してしまう臭さとの戦い。毎日のように誰かが公園の水道でじゃぶじゃぶ洗われていたのを思い出す。はい。うちのこも何度か経験済みでした。この年代にしか見られない行動、光景だった。謎のままです。

当たり前だが、犬を飼い始めると外では「いぬ」に目が行く。誰かが言ってた。

人間は見たいものが目に入るのだと。でもね、いまも「いぬ」に目がいくよ。それが「グー」ではなくても、「いぬ」を私はまだまだ見ていたいんだと思う。そんなことを考える水曜日です。

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