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宝塚までのディスタンス ②明日海りおさん篇

七海ひろきさんを愛する友だちとの交友をきっかけに、わたしは宝塚と出会いました。それはバレエスクールと中学高校時代以来の"再会"ではありません。"初めての出会い"だったのです。

2019年3月24日、七海ひろきさん退団。
ともだちは燃え尽きながらもいろいろと教えてくれていました。宝塚との精神的な距離は近くなりました。とはいってもわたしはまだ様子を見ています。
というより、その頃好きだったジャンルに差し迫っているイベントのほうに心と身体を集中させる必要があったのです。生きがいの本丸はそちらでした。2019年夏にかけてはそちらで生きて、そちらで狂っていました。熱い夏でした。その話は別に書いたのでここでは割愛します。

光陰飛んで2019年9月。
もはや恋。もはや運命。と言える宝塚との出会いが来ました。

明日海りおさんです。

①花組公演『A Fairy Tale -青い薔薇の精-』『シャルム!』(2019年9月17日)

明日海りおさんの名前は聞いていたけれど、『ポーの一族』を友だちが観劇に行っていた時は宝塚への凝り固まったいろいろに羽交い締めにされててハードルが高かったし、『MESSIAH』も『CASANOVA』も行けなかった。『A Fairy Tale -青い薔薇の精-』もチケットが取れなかったのですが、わたしが退団だと騒いでいたら、新聞社主催の貸切公演に母が応募してくれて、S席2枚のチケットが手に入ったのです。母上ありがとう。前から16列のセンター。本当にありがとう。

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宝塚歌劇花組公演、明日海りおさんサヨナラ公演🌟

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明日海りおさん演じる青い薔薇の精が登場した瞬間、「青い薔薇の精は実在する!」と心奪われ、完璧な美しさに目を奪われ、所作と声と台詞と目の演技に心を掴まれました。

この世のものとは思えない美しさ、声、エリュの悲しみの表現が心に刺さって離れません。神々しい。
この世のものではない、なのにリアル。
神々しさとリアリティが共存する超越的な存在感に圧倒されました。
柚香光さんと並ぶと時空が歪むようでした。エリュという存在の痛みも悲しみも切実に感じて心揺さぶられる素晴らしい舞台でした。

先に観た友だちに「推しを持つ全てのひとに沁みる舞台」と聞いていた通り、誰かを好きでいることでひとは生きていけるというメッセージに心が震えました。
明日海さんと明日海さんを推してきたファンの方両方にエールを送ってくれる温かくて優しい、愛おしい作品でした。

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ショーの演出の随所に宝塚を去る明日海さんへの愛と哀惜の情があふれていました。柚香光さんとの或るシーンでは切なさと愛おしさに感情の制御ができなくなりました。舞台は光り輝いて美しくて凜々しくて、切なくて。会場のお客さんは嗚咽さえ抑えて凄まじい集中力で全てを見届ける愛溢れる空間でした。

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見た目だけの世界なんてと思っていた宝塚の、まさにその見た目を極め尽くした完璧な世界、見た目だけではなく見た目と精神が完全一致した心技一体美の極致を目の当たりにして、見た目より中身がどうのこうのと言っていた自分の理屈ががらがらと崩れ去ったんです。
それは、好き!とはすぐに言えるようなものではなくて、わたしにとってはこれまで積み重ねてきたものを破壊するような美の暴風でした。あまりの美しさに自分を捨ててひれ伏してしまった。美とは暴力です。

ここはなんだか近寄ってはいけない気がする。崩される。そこで歌劇を買うとかグラフを買うとかの行動には出なくて、わたしは宝塚(明日海さん)への言い知れない畏れを感じ始めました。

SNSに書いた言葉です

こんなにも美しいひとが
もう二度と宝塚の舞台に立つことはないなんて
すさまじい喪失感に襲われてました

「宝塚って幸せ!ロマンス!だけじゃなくて、
寂しさと切なさがずっとあるんですよね」
と友だちは言いました

あらゆるものは「無常」を内包している
だから改めて今を大事にしたいと思います

千載一遇の機会を得て
素晴らしい舞台を拝見できて幸せでした…
これからのご活躍を心からお祈りいたします

一期一会の出会いとして大切な思い出にしよう。
そう思ったのでした。


②CS「タカラヅカ・スカイ・ステージ」に視聴契約して退団前日に『春の雪』を観てしまったわたしは一体

出会いにも時がある。縁をつなぐのも時がある。
何もかもタイミングだったと思うのです。

ちょうどその10日後の2019年9月27日、生きがいの本丸だったジャンルの方が完全消滅、パラレル世界に転換するという事態に突然見舞われました。俗に「927」とよばれる出来事です。わたしにとってはショックだったので意気消沈して過ごしていました。

やがて明日海りおさんの退団の日が迫ってきたことを思い出しました。我に返ってライブビューイングのチケットを取りました。
さらに、タカラヅカ・スカイ・ステージというCSの専門局があって、明日海さんのさよなら特集を放送していると友だちに聞きました。ネット検索でよく画像が出てくる『春の雪』を放送するというのです。入らねば!とスカパーと契約する。1ヶ月間だけ契約して解約すればいいから出費もさほどではないよねという計算もしていました。(しかしそのまま解約せず今に至る)

11月23日だったと思います。放送日がこの日だったのか録画を観たのがこの日だったか定かでは無いけれど、前日でした。
『春の雪』を観ました。

は…

清顕だ。

映画版は違うと思った。
これこそ松枝清顕。

これが明日海りお。

完璧な世界。見た目と精神の完全一致。言文一致。

明日海さんの、居場所を求めつつも異形のような者として生きざるを得ない存在が崇高な魂を宿したまま彼岸と此岸を往還してこの世の果てに引きずり込んでいくお芝居に強く惹かれていきます。

しかも、明日海りおさんの作り出すキスシーンは、相手のことが愛おしくてたまらなくて唇に触れたくなって思わずキスしてしまう思春期のような瑞々しい衝動と切ない恋情を表現するので、ときめきがとまらないのです。
でも、こんなふうにときめきを感じる自分に自分で驚いてしまって、おびえてしまいます。
でもとてつもなく惹かれる。

明日やめてしまうというその日にこのひとを発見してしまった。
わたしはどうなるのか?


③明日海りおさんラストデイ ライブビューイング(2019年11月24日)

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あのようなライブビューイングに今まで行ったことがありません。
あのような、とは、品が良くなごやかなのに明るい悲しみに満ちていて、決して強く訴えるわけでもないけれども、胸に渦巻く思いを両手に捧げ持って透明な涙を流しながら微笑んでいるひとたちのはかなく美しく切ない集い、でした。

七海さん友だちと先輩、お2人のチケットも取って一緒に来てもらいました。席は離れたけど心強い。

華優希さんのシャーロットに感情移入しまくります。わかるわ。何か言ってもからかわれる感じとか、現実と折り合いをつけられずいつまでもすがる感じとか潔癖な嫌悪感とかわかるわ。お父さんの「思い出だけでは生きていけないんだよ」というセリフも今日は刺さりました。涙がぽろぽろ。

ろうそくの炎燃えつきるまで
屋根に積もった雪が解けるまで
朝露が零れ落ち光の中消えるまで
今この時この一瞬を
魔法の粉で止められたら
Time goes on 時はただ流れ
Time goes on あまりに早く
二度と戻ることない
過ぎゆく時の愛しさ

(「This Eternal Moment~消えゆく時 永遠の刻~」より歌詞を一部引用)

エリュこと明日海りおさんが歌うこの歌が切なくて美しく、悲しみが優しく乾いた心にしみこんでいく。琴線に触れるどころか琴線を連弾される感覚で響き渡る切なさと愛おしさのエモーション。ただただこうして涙で心を潤せる場所を作ってくれてありがとう。わたしはこうして過ぎゆくもの全てをいとおしみ悲しみ悼んで見送りたかったのです。その願いを叶えてくれた。

休憩。ふらふら。七海さん友だちも涙、一緒に行ってくれた初見の先輩も涙。先輩が「推しをずっと忘れられない感覚、推しをずっと好きでいていいんだというメッセージとか、刺さりすぎるほどわかる」と言ってくれて、そうですよね!と手を握る。

ショー『シャルム』とさよならショー。
「さよならショー」というものを初めて観て、こんな世界がこの世に存在していたのかと思いました。

①生きているけど去って行くという彼岸と此岸の境界感覚
②悲しんでいい、悲しんで下さいという前提で成り立つショーが新鮮
③心ゆくまで悲しませてくれる一方で楽しませもするバランス演出
④段階を踏んで別れに向かっていくセレモニーとしての秩序性
⑤明日海りおは永遠のトップスターだと劇団が永久保証してくれる安心感
⑥去りゆく明日海りおさんがどこまでも笑顔でかぎりなく美しくて涙が出る

ゆりかごから墓場までという言葉がそのときふっと頭に浮かんだのですが行き届いた安心サポートで思う存分に悲しんだり泣いたり微笑んだりできる「さよならショー」の時間、わたしは涙を流しながら、他では絶対に得ることのできない安らかな幸せを感じていたのです。この世界はこのうえもなく優しい、と思いました。この優しい世界をわたしは渇望していたんだと。

SNSに書いた言葉です。そのときにしか書けない言葉だから貼ります↓

何度も何度も幕を上げて何度も何度もありがとうと言ってくれた
心を尽くし、想いを尽くし、言葉を尽くして、愛を伝えてくれました
遠く離れた場で観てたのに一緒にいる感じがしました
こんなにも愛あふれるお別れがあるんですね
とても悲しくてたまりません
でも愛を受けとりました

別れることの意味をわかってくれて
その悲しみの深さをわかってくれて
悲しみを表せる場をつくってくれて
悲しみをまるごと受けとめてくれた
泣きながら書いてるけど
とてもとても悲しいけど
とてもとても深い愛を受け取りました
悲しむことができることは幸せなことかもしれません


④「宝塚に全てを捧げてきました」

明日海りおさんから受け取ったものは他にもあります。

宝塚の美しさは、華やか・きらびやか・色彩豊かな、この世の極楽かと思うほどの豪華絢爛さにあるといわれています。でもわたしはそれが長年苦手でした。
わたしがぐいっと心の深いところまで掴まれたのは黒燕尾の男役群舞のストイックな美しさでした。

花組と明日海りおさんの『シャルム!』の黒燕尾が美しかった。明日海さんが完璧に美しい。美しいなんてもんじゃない。唯一無二の正解のように正しいと思った。美は正義。ジャンルが消滅したり無秩序なもの・非論理的な世界に疲れ果てていたあのときのわたしは、この絶対的な正義、この論理性に心が救われる気がしました。

洗濯板と言われたことも理があった気がしてきました。確かにそう見えたんだろう。痩せているし、あばら骨が浮き出ていて醜かったのでしょう。たぶん私が背中に力をいれすぎて反り気味だったんだと思う。それを言ったまでのことでしょう。タバコくゆらし先生は口は悪いけど本当のことを言ったんだ。教育者としては確かに言い方はどうかと思う。けどそのひとことでくじけてしまったわたしは甘っちょろかった。もっと身体を柔らかくして、手を大きく使えばそうは見えなかったはずだし、カバーできたんだと気付きました。そこで自分で自分を醜いと思ってしまったんだった。と気付いたのでした。

明日海さんも外見をさんざん言われ続けて、それでもここまでやってきたんだ。全て捧げて、全て削って、完璧な美を手に入れたんだ。でもその完璧な美を捨てていくんだ。このストイックさ、この強さ。わたしにはできないことを成し遂げたひとだ。わたしの洗濯板トラウマが、明日海さんによって見つめ直しをされて、硬直した思いが浄化されていくようでした。

「外見だけで判断されてしまうのが本当に悔しくて。声の出し方やしぐさ、感情表現といった内面の部分で男役と認めてもらえるよう、とにかく芝居を磨くことに打ち込んできた」

明日海りおというひとの生き方に、わたしは浄化されたのでした。

明日海さんに心酔していきます。
過去作品を追うのだ。


しかし明日海さんが退団してしまったことはわかってはいたこととはいえ、完全燃焼しきれないものがありました。すごさを知った翌日、当日に退団してしまったのです。
''世界一遅れてきたファン"
仕事先の辛辣ヅカお兄様にからかわれるのでした。

明日海さん、好きだ!

好きになってはいけないひとを好きになってしまいました。恋愛として成立していないので失恋ではありません。

が!

持って行き場のない想いが自分の中でぐるぐるループして息が出来ないのです。

七海ひろきさん友だちの助けというか知恵袋としての全面サポートを得て、明日海りおさんと繋がるひとを求める旅に出ました。
そこで望海風斗さんに出会うのです。


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