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大島正幸氏レクチャー「つくる美学」

本稿は、2021年8月10日に東京大学建築生産マネジメント寄付講座主催のレクチャーシリーズ「つくるとは、」の第二回「美学」における、大島正幸氏(ようび 代表取締役)による講演(研究・活動紹介)の内容から構成したものになります。

私は今、岡山県西粟倉村という人口1,416人の村で「ようび」という会社を経営しています。95%が森林で『もののけ姫』のような村です。夕方6時以降は人を見ない代わりにヤックルのようなシカを見ます。「ようび」は建築設計事務所であり施工会社でもあります。家具プランニング、デザイン、制作や、コンサルティングという、複合的な業種のある会社です。

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栃木県に生まれて、小学生の頃から図工ばかりしていました。実家は土建屋で、ものづくりが近くにある環境で育ちました。自分にとって「つくる」という表現は、文字を書いたり言葉を話すよりも身近でした。大学を出てから2年間は家具職人の丁稚奉公のような学校に入りました。師匠に付いて技術を学び家具職人になりました。その後、西粟倉村で森をきれいにするような家具をつくりたいと考えて、一人で起業した会社がこの「ようび」です。今は素晴らしい仲間たちに恵まれて、20人ほどで運営をしています。今日は「つくる美学」がテーマなので、私自身の人生、家具職人として、「ようび」の経営者として、素直に話してみたいと思います。

赤ん坊が産声を上げたとき、赤ん坊としての存在が生まれます。私にも8歳の娘がいますが、彼女が産声を上げたときに、娘としてのその存在が生まれたという実感があります。

リアクションは感情をつくります。
例えば友人や部下、上司などに取るリアクションは、必ず自分に対しての感情や、世界に対しての感情をつくると思います。

手は表現をつくることができます。
子どもの頃を思い出すと、粘土をこねくり回すことによって、伝わりづらいものを伝えようと努力した日々を思い出します。

色彩は好奇心を生みます。
私は幼稚園の頃から、とても色が好きで、青、赤、黄、緑の水彩絵の具を持っていつも外に出ていました。花や壁の色、錆びた釘の色を再現する遊びを幼稚園の頃に続けていたと母親から聞いたことがあります。いつもその4色の絵の具をねだっていたそうです。私の好奇心は、きっとその色遊びから来ているのだろうと思っています。

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専門性は意図をつくります。
例えば、家具職人の専門性は「美しい家具」という意図をつくることができます。私は家具や空間のデザインをメインでやっていますが、分からないときは実際に工房に下りて、木の部材に赤ペンを入れて、「じゃあこう削ってみようか」というように、パソコンだけでも手描きだけでもなく、いろいろな表現で職人さんたちと話しをしながら、一緒にものづくりをしています。

結果は、自分をつくる──西粟倉村での活動

植林は森をつくります。
日本では植林の面積のピークが1954年と言われています。森は営みをつくってきました。例えば建築は草や木など、自然から採れるもの、自然に還るものでつくられていました。また、山はエネルギーです。電気がないときは、薪を焚いてご飯をつくったり、暖をとったり、人間の営みをつくってくれました。だから戦後に日本はたくさんの木を植えたんです。

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人工林は畑に似ていて、手入れをしないと荒れます。実際に95%が森林の西粟倉村のうち、86%は人工林です。その人工林は、人が手入れをしないと維持できない。皆さんの足のサイズを思い出してください。身長160 cmの人の足が、身長が10mになるとどうなるかというと、足元がふらつきますね。そんな感じで、人工林が根を生やすときに、過密な状態をどんどん間引きしていくときれいな森になる。ですが、実は木には隣の木より早く高く伸びようとする性質がある。だから、最初は過密的に木を植えます。その結果、手入れをしないとドミノ倒しが起きて災害につながります。なので、木が余剰から適量になるように、木の成長とともに手を入れることが大切です。

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日本の森林率は68.5%です。先進国のなかでは現在第2位の森林大国です。森は水をつくります。この西粟倉村も吉井川の源流ですが、いい森があることで、いい瀬戸内海がつくられます。森が荒れると海の魚がいなくなるとよく言われています。

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森は空気をつくります。
私が西粟倉村に移住したきっかけは「百年の森林構想」に惹かれたからです。この村には50年たった木がたくさんありますが、手入れが十分ではなかった森もあった。その手入れされてない森の木をきちんと使うことで、50年後の「百年の森林」を目指して、市町村合併をせずに村として自立していこうということが、今から12年前ぐらいに起こった「百年の森林構想」です。私は、1脚の椅子をつくることが地域をつくることにつながる。そこにロマンを感じて私は移住を決めました。

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日本の木材の自給率はすごく低いです。たくさん木があるのに使われない木材がたくさんあります。素材は商品をつくります。私たちが住む家も一つの商品です。挑戦は新しい商品をつくります。これは、うちの会社でよく売れている「イトシロウィンザー」という椅子です。

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私はこの村に来る12年前まで、ヒノキの家具が世界的に少ないことを知りませんでした。こちらの地図を見てもらうと明白ですが、青が家具の技術が生まれた地域で、赤の地域にしかヒノキは植生していません。ヒノキが戦後にたくさん植えられたにもかかわらず、そのヒノキを生かす技術は日本では未開拓だったと言えそうです。西洋で生まれた家具技術と素材との間にミスマッチが起きていた。そのため、ヒノキの家具はあまりなかった。私は移住してそれを初めて知って、ヒノキの家具で商品をつくることに挑戦しました。

新しい商品は市場をつくります。
最初に反応したのは世界でした。スイス人のアーティストが、軽くて白くて香りのあるヒノキで西洋式のデザイン家具が日本でつくられたことを評価してくれました。たくさん海外の人が来てくれて、新しい挑戦の新しい商品は新しいマーケットをつくりました。

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西粟倉村にはたくさん木がありましたが、かねてから村の木を切ってきて、森林組合に貯めて、隣町の市場で売るという売り方でした。昭和55年が最も木材が高値で取引された時代でした。この村でも大きな杉の木を2本切ると、子どもの大学の学費までは全部出せると言われていました。しかし現在ではそんなに高くは売れません。そこで僕たちは新しい付加価値をつけるために家具にしました。レクサスとコラボした「ライトニング」という椅子では、丸太価格からみて422,200%の付加価値をつけることに成功しました。これによって小さな森の村に雇用が増えて、企業が増えて、公益や福祉が充実していきました。

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その結果、この村には12年で34もの事業が創出されることになりました。たくさんの雇用が生まれて、みんなが活動しています。今は空き家がありません。私が来た頃は、岡山県内で上から2番目に過疎化する自治体だといわれていましたが、今では下から2番目になりました。とても若返って元気な村になりました。村の歴史上、今が最多の世帯数です。村の木で新築も建てています。何よりうれしいのは子どもが増えたことです。私が来たときは1学年で6人位しかいませんでした。今は1学年16人位の子どもたちがいて、子どもの多い村になってきています。

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このように生まれた雇用はたくさんの共感者を呼びました。「ようび」には年間300人を超えるゲストをはじめ、インターン生、大学生も全国から来てくれています。小さな村の家具や建築をつくる会社にいろんな人が集まってくる。そうしてさまざまな人たちと、互いのものづくりで未来を目指すことができるようになってきました。

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仕事は新しい地域の姿をつくります。
昔は林産地で丸太が安くなったら、観光地にしようとした。温泉を掘って道の駅で食っていこうとした。しかし今では全然バスツアーも来ないので、それも廃れてきた。もう一度、付加価値を高める商品をつくることで、この村らしい林産地に生まれ変わりました。実際にたくさん大きな仕事が増えていきます。

大きな仕事は、新しい自分をつくる

1脚の椅子をつくることで森をきれいにしようとして、地域の子どもや環境が変わっていくと、その噂から大きな仕事がくる。そうすると、大きな仕事は新しい地盤をつくります。南魚沼の「ryugon」という宿は、新潟県南魚沼市のシンボルのような建築に、ファニチャーのディレクターとして関わらせて頂きました。横浜駅の「JR横浜タワー アトリウム」では、家具全般のデザインと制作に関わらせてもらいました。

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村には古いコンクリートの役場がありました。耐震性に問題があったのでつくり直すことになりました。12年前に村に来たときから、いつかつくり直したいと言っていて、それが実現しました。地域の人は、売れなくなった木は負の遺産だから、都会的なガラスやコンクリートでつくったら良いと言う人もいましたが、しかしこの村はふたたび木の可能性が膨らんできていて、村らしく村の木でつくりたいという声が大きくなっていきました。「あわくら会館」という名称で、私たちも関わらせて頂いて5年ぐらいかけて図書館とホールと役場を村の木でつくり直しました。村の子どもたちが集まる場所があり、ベンチャーの人たちがオフィスとして使える場所があり、みんなのリビングのような大きな場所ができました。

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新しい可能性は、出会いをつくります。
たくさんの人がこの村に来ます。私たちはお昼ご飯を一緒に食べていますが、これがとても大事な行為の一つです。コロナ禍が落ち着いたら、またこの昼食にたくさんのゲストが顔をのぞかせてくれたらいいなと思います。

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出会いは、「共につくる」をつくります。
私たちは残念なことに、今から5年前、会社が全焼したことがありました。約8,800万円の負債が出て、私も移住して6年目でお先真っ暗でしたが、自分たちでDIY的に本社をつくるプロジェクトを企画して、延べ600人ぐらいが集まってくれました。実際に私たちの働く会社は、その人たちと一緒に手ノコや手ノミでつくった建物です。スギは日本にたくさんありますが、短く切れば女性でも運べる重さの木材です。私たち日本人にとって身近な素材が身近な森にあって、それを使って一緒に物をつくることができる。つくるという行為は専門的な行為ではないということに、このときに気づきました。

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出会いは「共につくる」をつくる。
共につくった仲間は、同じ時代を生きている友情ができました。僕はこの瞬間、物をつくっていてよかったなと思いましたし、家具職人になってよかったなと思いましたし、「ようび」をつくってよかったなとも思います。

私にとって物をつくることは、自分をつくることに近くて、その過程で家具をつくったり、地域をつくることに関わったり、大学では特任准教授として人をつくることにも関わっている。私にとって「つくる美学」とは、真剣に楽しくつくりながら、美しく生きることなのだと思います。

1脚の椅子をつくることで地域の森がきれいになって、地域の子どもたちが増え、地域の人たちの意識が変わっていきました。10年。時と手間をかけることで出来る事がある。そんな可能性を秘めているのが、つくるということなのだということが伝わったら嬉しいなと思います。

構成:和田隆介(わだ・りゅうすけ)
編集者/1984年静岡県生まれ。2010–2013年新建築社勤務。JA編集部、a+u編集部、住宅特集編集部に在籍。2013年よりフリーランス