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ディスカッション 大島正幸×平野利樹  (司会:河野直)

共通項

大島正幸氏・平野利樹 氏の2名をゲストとして迎えた本レクチャーには、全国各地から約60名の参加者が集まった。参加者にはレクチャーを聞きながら、2者の取組みに「共通すること」を探してもらった。発見した共通項はチャットボックスで投稿してもらい、30余りのキーワードが出揃った(上図参考)。後半は、これらの中から深堀りしてみたい共通項を選定して、ディスカッションを行った。

共通項1.プロセスの連続性

河野:興味深いレクチャーをありがとうございました。それではキーワードをいくつかピックアップしていただいて、議論を深めていければと思います。よろしくお願いします。

大島:気になるのは「プロセスの連続性」ですね。平野さんは情報の欠落や劣化によって何らかに近づいていくことを目指されている。そこでコラージュという手法を採用しているところが気になりました。コラージュによるプロセスの連続性に美学が現れてくるのでしょうか。

平野:そうですね、確かにおっしゃるとおり、コラージュという手法自体が、どこかで終わりや完成を見いだしにくいプロセスです。だからコラージュをしていると、どこで止めてもいいような、どこで止めても未完成なような、そういった気持ちになります。完成すると一つのパッケージに収まってしまう。そして一度パッケージ化されてしまうと、それはもうパッケージとしてしか認識できなくなってしまう。種々多々のものが入っている中身を無視できるような状態になってしまう。その意味で、コラージュによって終わりがないような、オープンエンドなものに近づけたいということはあるのかなと思いました。

大島:家具は素材の木を削ってつくりますが、基本的には一度削ると最初の形には戻せないので、マイナスしかできない。そのときに頭の中にしかないデザインにたいして、実際に木を削っていくことで客観性が見えてくることがあります。「そうか、これにはこんな美しさがあったのか」と気づく。先ほど平野さんがおっしゃったように、考えたアイデアを一度デジタル化することで、主体性から客体性に移動しながらオープンエンドに向かっているような気がしました。

平野 そうですね。3Dスキャンもそうですが、何かをデジタルに変換するときには実際にスキャンをするアクター(この場合だと私)が、出力する時にはCNCミリングや和紙といったアクターが絡みあいながら物が出来上がっていく。そうすることでアクター同士の境界が曖昧になってくるのかなと思います。そこがフィジカルからデジタルに変換していく一つのモチベーションです。フィジカルなものそのままでは完全に私とは異なるものですが、それを3Dスキャンすると、私が3Dスキャンしたプロセスの結果になるので、少し私に近づいてくるような感覚があります。

共通項2. 素材活用

平野: レクチャーの感想になりますが、ヒノキの生息植生域と近代的な家具の技術が確立されたエリアがズレているという指摘は非常に面白いなと思いました。既存の家具では取り扱っていない素材としてヒノキがあるわけで、つまり、近代的な家具で一般的な材とくらべると、ヒノキを使う場合はより多い情報量を取り扱わないといけなくなってくるわけですよね。そのときに、どのようにその情報と向き合っているのかお聞きしたいです。

大島:ありがとうございます。ナラ材が家具のメインの材料で、ヒノキ材はメインではありませんでした。大きく違うのは素材の硬度です。例えばブナナラ材は堅くてヒノキ材は柔らかい。分かりやすく言えば、想像しやすいように例えてみるならば、アルミと鋼です。そうなってくると技術的な進歩が必要です。今までは堅い材のための技術だったものを、柔らかい材にも適用できるようにする必要でしたがありました。同じ木なのに同じプロセスや技法が使えるとは限らない。ではどうやって技術的に乗り越えたかというと、ひたすらに量です。既存の家具のあらゆる接合部の製作を実験的に試しています。どんなパターンがあるかを全部書き出して、それをトライアルしてみる。「どうやらこれは大丈夫そうだ」「これは駄目そうだ」というのを洗い出していきました。ここで大事だったのが、2Dではなく3Dで捉えることでした。2Dだと折れそうだけど、立体的にすると強度を持ったりすることがあります。2D的な図面を、それこそ3D的に捉えることがデザイナーに必要になったんです。ブナナラ材だと簡単にできた。2Dと3Dの移動が、ヒノキはより詳細にしないと商品になりませんでした。
 最近、会社ではデジタル機器をたくさん導入していて、手でしか作れないものと、デジタルでしかできないものを分けようとしています。それは、コンピューターが得意なことと人が得意なことを融合していくってことを目指しています。そこには、ヒノキとブナナラ材の違いのように同じ木でも色や素材、硬度が違うように、まずはそれぞれでできることのより分けをしなきゃいけないので、今はその実験をたくさんやっているという状態です。

平野 面白いですね。ヒノキで家具を作って出来上がったとき、既存の材とは違う美しさや雰囲気のようなものはありますか。

大島:抽象的に言うと、やっぱり気配が「日本ぽい」んですよ。プラスチック製品はあまり気配を感じませんが、紙や草などの自然のものは気配感を強く出すように思います。これはイギリスから来たお客さんからは「ヒノキは日本ぽい気配ですよね」と言われました。なんとなく自分たち日本人に似通った気配を出すので、私も生活で使ってると身近さを感じることは、すごくありますね。まだ、うまくは言えなのんですが……。

平野:そうした気配というのは、接合部をはじめとしたさまざまな試行錯誤や創意工夫の積み重ねの結果として生まれるものなのでしょうか。

大島:プロセスのなかでいくつか重要なポイントはあると思いますが、わかっているのは最後の仕上げの磨く行為ですね。これを機械でやるのと手でやるのでは、手でやったほうがなんとなく温かみを感じる気がします。昔は同じ粒度のサンドペーパーで磨けば、分かるわけないと思っていましたが、事実としてお客さんからそういう反応が返ってきているので、おそらく何かあるのだろうなと思います。最後に手で撫でるという行為はそこに直結しているのかもしれません。デジタル機器で皮膚と同じ柔らかさのペーパーでこすっても同じことは起きないのではないかと思います。

共通項3. デジタルと手仕事の融合

河野:ロンドンビエンナーレでの作品は全てデジタルファブリケーションでも実現可能だと思いますが、なぜあえて手仕事で作業しようと思ったのでしょうか。

平野:そうですね。単純に作業が楽しいということはありますが、やはり手仕事のプロセスを経るからこそ可能になる質があると感じているからでしょうか。CNCで削り出せば1週間でできるものを3カ月かけて手作業でぺたぺた貼ることで現れる質や気配があると思います。特に新しいテクノロジーで何か新しいものを考えるときには、ついついその視点が抜け落ちがちだと思います。例えば、スマートシティでよく言われる話ですが、実際につくられる街と同じバーチャル世界が存在して、そこで交通量などいろいろなものをシミュレーションすると現実世界でも同じようになり、事故が減って完璧な生活が送れるんだと。テクノロジーによって人々の生活は豊かになり完璧なものに近づいていくと、そう考えられがちですが、おそらくそうした議論では、デジタル化できない気配や質のようなものが、実はまだまだフィジカルなもののなかには隠されているという、そういった視点が欠けているように感じます。むしろデジタルテクノロジーを使うからこそ、気配について考えることができるという視点。そのようなデジタルテクノロジーのあり方もあるのではないか。技術至上主義というよりは、技術を使うことで逆に価値観を見出していけるのではないかと。

大島:僕も建築学生だったので、学生時代には建築を見に行ったら写真は撮ってはいけないと教えられたのです。写真を撮ると頭でよく分かった気になるのだけどですが、実は何も分かっていなかったのだと。その場所に座り込んで、手でスケッチして建築をトレースすると、「なんであそこの雨樋軒先はこんなに長いのか」「なるほど、日陰をつくるためこんなデザインになっているのか」といったことが、手を動かしていると分かってくるという経験が大学生の頃ありました。どちらかというと、思考するのは手で、整理するのは頭という実感があります。平野さんもおっしゃるように、手で作業することには、よく分からないものを分かろうとする行為に近いのかもしれません。

共通項4.不確実性を受け入れる

河野:平野さんのお話で、不確実なことが起こることを享受する美学、認める美学といったお話をいただいたと思いますが、一方で大島さんが修行された職人の世界は、完璧なものを目指す世界ではないかと思います。自社の工房を延べ600人でつくるプロジェクトでは、技術のあらゆるレベルを受け入れて、職人だけでは起こらない不確実なことや失敗を享受する勇気が必要だったのではないかと思います。

大島:それはですね、すごく痛みを感じました。毎日が習ってきた正解の真逆のようなものだったので。もともと私自身、家具職人としてスピーディーかつ正確に作業を行えるマシンとして鍛えられてきたわけです。素人がつくるプロセスはむしろ真逆になるので、やってみるといらいらしたり、トラブルもたくさん起きるわけです。ですが、そのときに気付いたのは、恐らく職人の方法でたどり着けるところは、二次元的な静的な世界だと。不確実性はどちらかというと完成のない動的な世界です。あるプロセスのゴールに向かって素早くたどり着くための技術も大事ですが、不確実なプロセスの先には3Dの動的なエンドがあるんじゃないかと思いました。たぶん時間的にもお金的にも物理的にも専門性だけではあの建築はできなかったと思います。不確実性によって、なぜかできてしまったっていう事実がある。おそらく、専門性的なものと不確実性的なものを融合することが重要なのだろうと思います。

平野:専門性と不確実性の両方がないと駄目で、そのバランスの見極めというか、両者の動的なバランスが必要なんだと思います。不確実性を許容し過ぎると、その後に残るものはカオスそのものになる。かといって、専門性だけで一つの確固たる枠組みをつくってしまうと、その枠組みのなかでしか価値が生まれない。つまり、予測可能なものしか生まれないですよね。両者のバランスを取る必要がある。なんらかの枠組みはあるんだけど、それはしっかりとしたものではなくて、その中に不確実性が受け入れられ、その枠組み自体も不確実性によってぐにゃぐにゃと変わっていく。でも不確実性がその枠組みを破って、てんでばらばらに散ってしまうのではない。そこの微妙なバランスが何かを追い求める重要性は、この時代に高まっていると思います。

つくるとは、

河野:ありがとうございます。では質疑は以上にして、このレクチャーのクロージングに入りたいと思います。最後にぜひお二人に聞きしたいのは、あらためて「つくる」とはお二人にとってどんなことでしょうか。

平野:事前に考えて来たのですが、ディスカッションを経て変わってきてしまいました。つくることは、アクターとアクターの相互作用だと思います。自分が全てを決める特権的な存在になるのではなく、他人やものも含めた広い意味での他者とやりとりをして、フィードバックをして、何か新しいものをつくっていくということ。つくるというのは、つまり、他者と交わることだと思いました。

河野 ありがとうございます。では大島さん、いかがでしょうか。

大島 つくるとは、愛することですね。以上です。

河野:ありがとうございます。とてもすてきな言葉でこのレクチャーを締めくくることができました。第2回の「つくるとは、」のレクチャーはこれで終了としたいと思います。ありがとうございました。

レクチャーを終えて

私が大島さんと出会ったのは約10年前でした。互いに創業期で、金も仕事もない頃でした。柔らかい雰囲気の奥に、厳しい鍛錬を経た職人がもつ鋭利なナイフの様なオーラがあって、それが印象的でした。それから10年後、レクチャーの中で彼は、専門家集団として美しい家具や空間を生み出し続ける取り組みだけでなく、素人がそこに介入することで生まれる、不確実で、動的な建築の美しさについても語りました。
一方平野さんと私の出会いは約15年前、京都大学での設計演習でした。ほぼすべての学生が模型と図面でプレゼンをする中で、一つ下の学年の彼だけは3Dモデリングを高度に使いこなし、その頃から、デジタルな建築表現をひとり追求していたことを覚えています。それから15年、レクチャーの中で彼が語ったのは、デジタルと手仕事の世界の往来によって生まれる、不確実性でした。デジタルとフィジカルの変換の中で、情報が抜け落ちたり変質する、その不確実性に、新しい価値、これからの美学があると。
ある分野を極めた先に、それとは相反する様にも見えるものを意図的に受け入れることで、今までにない美しさを探求する。直向きかつ大胆なお二人の展開に、ものをつくる人として生きる覚悟を感じました。(河野直)

大学3年生の頃、学科同期の女の子2人が旅行でハワイに行きました。これは当時、僕を含めた数名の建築学生にとって『海外旅行=建築を見に行く』という固定観念を打ち破る事件でした。さらに暇な数名で『どこなら良いのか』を議論し『インドに自分探し』といったステレオタイプよりも『ハワイ』の方がよっぽど『(彼・)彼女らしい』と考えたりもしました。
大島さん、平野さんのお話を聴いて、同世代の世界観や悩みのようなものを勝手に共感していました。バブルの恩恵を受けず、スクラップビルドは終わったと教わり、どうしたらいいんですかと聞こうものなら、お前は何がしたいんだと聞き返される。ただ“つながった”現代においては、一人単位あるいはその中のレイヤーに切断された『やりたいこと』は元の集団や地域を超えて別のつながりをつくりだすことができます。そのつながりが大島さんは西粟倉でフィジカルに実現していて、平野さんも理論や技術といった面で国内外の様々なところとつながり、そうしたつながりの中で自ら手を動かしてつくることがお二人のアイデンティティになっている。同じ地域に住んでいなくても、完全にわかりあえなくてもつながる中で自分は何を生み出すのか、わりきった実践的な美学をお二方から感じました。ハワイ行きたい。
(権藤智之)

構成:和田隆介(わだ・りゅうすけ)
編集者/1984年静岡県生まれ。2010–2013年新建築社勤務。JA編集部、a+u編集部、住宅特集編集部に在籍。2013年よりフリーランス