大地のエネルギーを信じる

私の住む町は田舎にある。近くのスーパーまでは、どこも車で10分位。市営の乗り合いバスはじいちゃんやばあちゃんしか使わない。夜になれば街頭はあるものの真っ暗で、いつ野生動物に襲われるか分からないのでとても出歩くなんてできない。
米の減反政策で農地は放ったらかし、背の高い草が生え、野生動物の人里進出の足掛かりになっている。
程よい田舎だが、便利でもない。

現代人は大地の恵みを受け取ることを忘れてしまったと感じる。かつての日本人は自然のエネルギーをうまく使って生きていた。雨の多い日本は森林に囲まれ、資源には困らなかった。詰まりすぎた森を間伐し、薪として保管して日々の煮炊きや暖房などなあらゆる燃料としていた。稲作では米だけでなく、籾や糠は野菜の肥料になるし、藁も笠、蓑、草履、草鞋、縄など、使えるものは何でも活用する柔軟さがあった。
大地は崩れても崩れても命を芽吹かせる力がある。
今、使われる頻度が激減したため止められないそのエネルギーを持て余している。代替エネルギーである石油(化石燃料)を外国から買うようになってしまったから。

わざわざ自国にあるエネルギーを棄てて外から買い、溢れるエネルギーを抑えるためまたコストを使う。個人の力だけではどうにもならないという現実もそこにはあるし、何より長年同じ土地で同じ一族が暮らすと、しこりのようなものもできてこよう。

その頃と同じ生活をしようとは思わない。
でも、ふと思った。
今ある技術や道具を活用すれば、ひょっとしたら大地の恵みをもらって生活できるんちゃうやろか?

笑っちゃほどこの発想が太陽乙女座。
知識、自立、工夫、大地、活用。

ちょっとづつ、いろいろチャレンジしていこうと思います。ホントにちょっとづつやで!

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