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問答法って数学と同じかもしれない

友人と週1でオンライン問答法やってて思ったこと。「問答法で答えにたどり着く」って「解き方が複数あるけど答えは同じ数学の問題」に似てる気がする。

最新回で働き方とかについて3時間ほど語った翌日、というかこれを書いている今日、R25でひろゆきさんが言ってる内容が我々の3時間でたどり着いた結論に酷似していた。

私たちだけこんなこと考えて異端なんじゃないかって不安が払拭された一方、人間の思考ゴールってたどり着くとこ同じなんじゃないかって思わされた。1人で思考ループしててもデフレスパイラルするから「自分にはない他人の意見」がほしいと思って始めた問答。多分この「自分にはない」部分って、例えばソシャゲ始めるタイミング的に初期のレアアイテム持ってないとか、ウォーリーが見つけられない時に見る角度変えたら見つかった見たいな感じで、タイミングと視点の問題かもしれない。自分に影分身の術が使えないから他者をWi-Fiの中継ルーターにしてるみたいな。

浅生鴨さんが『面白い! を生み出す妄想術 だから僕は、ググらない。』で言ってたみたく、「これまでこの世になかった完全に新しいものは僕たちに作ることができないし、もし作れたとしても、それは誰にも理解できないから、たぶん相手にしてもらえない」(p.25参照)ってことと同じだ。アイデアもソリューションも同時代でこれまで摂取した情報が近いところにあったら、少なくとも誰かが順番はともかく考えてることっていっぱいあると思う。

私の場合は自分が生きやすくなることを目的とした問答だから、研究や商品のように誰よりも早くアウトプットしなきゃ!認証されなきゃ!のプレッシャーは比較的少ない。根回しというかコネクションの面で努力すれば魔女狩りに遭わないことは救いだ。いじめに遭ったらそのコミュニティを離れればいいし、新たな居場所は見つけたり作ったりできる。

暗いニュースや心が痛い言論飛び交うこんな時期にこの希望が見えてよかった。あとは自分が持つふわっとした途中式たちをきちんと言語化して、答え合わせをできる環境を大事に育てていくだけだ。その途中経過はこのnoteにきちんと残してけたらいいな。


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