【一柳慧】今日行ったコンサートの感想:令和04年(2022年)10月25日(火)【ヴァレーズ】

    指揮:シルヴァン・カンブルラン
ヴァイオリン:成田 達輝
   三味線:本條 秀慈郎
   管絃楽:読売日本交響楽団

ドビュッシー『遊戯』
 Not for me.

一柳慧『ヴァイオリンと三味線の為の二重協奏曲』
 小さな編成、大人しい音楽。伴奏は絃5部と打楽器が4人、管楽器は無し。ヴァイオリンも三絃も激しくソロを掻き鳴らすということはなかった。ヴァイオリンが重音奏法を聞かせてくれると、私は簡単に喜んでしまう。三味線は決して民族的ではなかった。抽象的な音楽の鑑。一柳お得意のミニマル音楽。一柳のアレグロと言えばこれ。今回はヴィオラとチェロが5拍子の反復音形を持続する。不確定性の部分が緊張感と面白さがあった。作曲されたアッチェレランドの盛り上がりが、雅楽の記憶を呼び覚ます。最後は全体がユニゾンで一音の塊となり、クレッシェンドして終わる。老境というか、枯淡というか、一柳慧の作曲人生はこのように閉じられた。

ドビュッシー『イベリア』(管絃楽の為の『映像』から)
 Not for me.

ヴァレーズ『アルカナ』
 5管編成。ばか。打楽器が14人。あほ。錬金術を主題とした標題音楽なのだろうか? 巨大オーケストラの為の破壊的な騒音。バス・クラリネットではなく、コントラバス・クラリネット。コントラファゴットが2人、チューバが2人。低音がとにかく蠢く。かと思いきや、ピッコロが3人いて空気をつんざく。トランペットも5人いて、高音で血管が千切れそう。ヘッケルフォンをまじまじと見た。ヴァイオリンはメロディを指向せず、抽象的な音形を随所に挿入する。ギロが存在感を示す。木魚がポコポコ鳴ると、日本人としてはどうしても葬式を思い起こして笑ってしまう。鞭がパチンと鳴るだけではなく、パチパチと連続で鳴る。それも、パチパチパチン、パチパチンと不規則に連発される。大太鼓が硬めの撥で何度も打つ。小太鼓は切迫して音楽を追い詰め、場を緊張させる。普段明るい性格を付与されることの多いタンバリンが、全く楽しそうではなく病的。最後の盛り上がりでティンパニが撥を3つ持ち、トレモロではなく、連打に次ぐ連打。もはや痙攣。メロディやハーモニーとは無縁な、真に純粋な新しい芸術の為の音楽。素晴らしい。音楽は破滅すべき。
パスカル・ロフェ指揮、フランス国立管絃楽団の演奏(動画)
ピエール・ブーレーズ指揮、ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏(楽譜)