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「順位のない運動会」について私が思うこと。

最近、趣味を通じて知り合った主婦の方から興味深い話を聞いた。

「娘の中学校の運動会やねんけど、校長先生が、
”順位より、一生懸命頑張るその過程が大事やねん”
みたいなこと言って、運動会でも組ごとの順位をつけようとしないねん。
なんかそれっておもろくないと思うねんなー。」

とのこと。

知人の娘さんが通う中学校の運動会では、一応「赤」「青」「黄色」など
クラスによって組分けはするものの、校長先生の意向により(?)最近は
順位をつけていないそうだ。

知人は、その意向に納得できないようで、
「うーん、順位つけへんのやったら、組分けする意味あんのかなぁ。」
「それはなんかちがうと思うねんけど…。」
とモヤモヤした感情を抱いているようだった。

その話を聞いた私も、
「うーん、過程を褒めるのは良いことやけど、それはなんか違う気が…」
とモヤモヤした気持ちになった。

今日は、そのモヤモヤした気持ちを整理し、昨今の義務教育の現場で
行われているらしい「順位のない運動会」について、私なりの意見を書いていこうと思う。

1.順位があるから、「目標」を意識して行動できる。

まず思ったことはこれだ。
運動会に限った話ではなく、人間にとって、何かしらの「目標」をもって
生きることは大切だと思う。

あの車が欲しいから、月々いくら貯金を頑張る。
スポーツで成果を出したいから、毎日トレーニングを頑張る。
かわいい彼女と付き合いたいから、自分磨きを頑張る。

内容はどうでもいい。
こういった目標を持つことで、人は自分自身で考えて行動することができ、
人生そのものを豊かにすることができるのではないか。

運動会の順位は、子どもたちが目標を実現させるために考え、行動するための良いきっかけになるのではと私は考えている。

順位があるから、勝ちたいと思う。
勝ちたいと思うから、どうやったら勝てるかクラスのみんなで考える。
クラスのみんなでコミュニケーションを取れば仲も深まり、協力することの
大切さを知ることができる。

こう考えたら、順位をつけるのも悪くないんじゃないかと私は思うのです。

2.いいじゃないか、恥をかいたって。

かくいう私も、かつては運動会が憂鬱だった。
走るのがとても遅く、走り方が変だと同級生からよく馬鹿にされていたからだ。
もちろん、運動会の徒競走ではいつも最下位。
しかし、それでも運動会で順位をつけてほしくないとは思ったことはない。

大人になって、あの頃を振り返って思うのは、
「あんなふうに恥をかくことも必要だったのかもしれない」
ということ。
社会に出ると、大恥をかくこともたくさんある。
子どものうちからちょっとずつ慣れていたほうが、後々落ち込まずに済むのではないかと感じる。

そして何より、恥をかくことで自分の「不得意なこと」があらわになったほうが自分のためになるような気もする。

私自身、運動会で最下位になったからこそ、
「自分はアスリートとして生きるのは無理なタイプだ」
と悟り、真面目に勉強するようになった。
実際勉強したところで成績は人並みだった為、その選択が正しかったかは今でもよくわからないが、現役で地方公立大には合格できたので(奇跡的に)
とりあえずは良しとする。

恥をかけば免疫もつくし、自分が進むべき道も見えてくる。
運動会で順位がつくことにはこういった効果もあると、個人的には思っている。

3.「負け」を受け入れるとき、思いやりが生まれる。

そして、最後はこれ。
大人と子どもの違いってなんだろうと考えたときに、
「自分の気持ちを時にはグッと堪えて、相手に優しくできる」のが
(精神的に)大人だと言えると私は思った。

クラスメイトの誰かが足が遅くてリレーに勝つことができなかった。
でも、そのクラスメイトを責めるのではなく、自分の勝ちたい気持ちを
グッと堪えて、「いいよ、気にすんなよ。」と言える大人になれるのは、
勝ち負けという概念があってこそだと思う。

「負ける」という悔しい思いの中でも、誰かに優しくできる、
そういった思いやりは、「負け」を受け入れたときにこそ生まれるのでは
ないだろうか。

最後に。

結果よりも、頑張った過程を評価する。
校長の意図自体は悪いものではないと思う。

しかし、運動会での順位が悪かったからといってその生徒の将来に大きな
影響があるとは考えづらいので、あえて順位をつけて、1〜3で書いたような
生徒の「人としての成長」を促す機会を作ったほうがいいと私は個人的に思っている。

この運動会で先生がすべきことは、「順位をつけない」ことではなく、
子どもたちに、

・「どうやったら勝てるのか」を主体的に考えさせ、クラスメイトとの協力
 を促し、
・活躍ができた子にもそうでない子にもそれぞれの長所を見つけてあげ、
 できるだけたくさん褒めて自信をつけさせて、
・たとえ結果が思わしくなくても、他人を責めない「大人の精神」が生徒の
 中で育つように促す。

こういったことだと思う。

今日は、この話を聞いたときに自分の中に湧いたモヤッとした感情を整理し、書き出してみた。

こうやってみると、勝ち負けをつけるというのも案外悪くないと感じられるのではないでしょうか?

長くなりましたが、今日はここまで。

読んでいただき、ありがとうございました。










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