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白い箱

「今日の素敵な商品はこれです」
そう言って博士が渡してくれたのは白い小さな箱だった。
当然ながら、その中には何かが入っていると思う。
「中身は何ですか」
聞いてみたけれど、博士は教えてくれなかった。

中身が分からないままに僕はいつものようにリムジンに乗って出かけた。すぐに寝てしまうからリムジンの中で確認することも出来ない。
リムジンは稲掛けの田んぼのあぜ道に止まり、僕を降ろして走り去った。目的の家までの僅かの距離を歩きながら、小さな箱をくるくる回して開けるための手がかりを見つけようとしたけれど、つるつるした立方体の箱はどこにも継ぎ目がなくて、開けることは不可能な気がした。
これそのものが商品なんだ、と考え直したけれど、何に使うものかが分からない。説明しようがないな、と思っているうちに着いてしまった。
いつもにないドキドキは中身が分からないという不安ばかりではない。玄関の古い引き戸に見覚えがあるように感じるのは気のせいだろうか。
呼び鈴を2度押してみても、中からの応答はなくて、引き戸に手をかけたらスルッスルッと開いた。
「こんにちはぁ」
ついつい大声を出してしまう。
耳を澄ますと、
「どなたぁ」
と消え入りそうな小さな声がして、その後ゴホッゴホッと苦しそうな咳が続く。
僕はバタバタと靴を脱いで上がり込むと、迷うことなく左奥の和室の障子を開けた。
「大丈夫ですか」
いきなり飛び込んできた僕を見て、布団に横になっていたおばあちゃんはちょっと驚き、でもすぐににっこりと微笑んでゆっくりと体を起こそうとする。
「どちらさんですか」
「雑貨屋です」
おばあちゃんの背中を支えた。
「雑貨屋さんですか?」
「はい」
僕の言葉におばあちゃんはなぜか嬉しそうで、そして元気になってひょいと立ち上がった。
え?
「珈琲をいれましょう」
それまで寝ていた人とは思えないほどのしっかりした足取りで、おばあちゃんは台所に立って行き、珈琲をいれ始めた。すぐに香ばしい珈琲の香りが漂い、おばあちゃんと僕は台所のテーブルに向かい合って座った。

僕が戸惑いながらもじもじと差し出した白い箱を、おばあちゃんは満面の笑みで受け取ってくれた。
「まぁ。なんて素敵な、・・」おばあちゃんの言葉はそこで終わった。
なんて素敵な、なんだろう。
僕はその先が聞きたかったけれどおばあちゃんの言葉は続かなかった。雑貨屋の僕が何ですかと聞くわけにはいかない。
「喜んで頂けて嬉しいです」
僕の笑顔は多分少し強張っていたかもしれない。
「はい。嬉しいです。素敵な、・・」
え? 何? その先はやっぱり聞こえなかった。僕にはわからないけれど、おばあちゃんには素敵な何からしい。

「雑貨屋さん」
「はい」
「珈琲のお替りはどうですか」
「はい」

「孫も珈琲が大好きだったんですよ。たっぷりのお砂糖とミルクをいれていました。雑貨屋さんみたいに」
「そうですか。僕もたくさん入れて飲みます。お孫さんはおいくつですか」
「さて、何歳になったでしょうね。一緒にいたのは孫が高校を卒業した時までで、あれから、たくさん経ちました」
「・・・」
「大学に受かって入学金とか授業料とかたくさん納めなければいけないからとお金を渡したら、そのまま出かけたきりです。どこへ行ったんでしょうね」
「どこに行ったんでしょうか」
たっぷりのミルクとお砂糖が入った甘い珈琲を向かいあって、また飲んだ。

おばあちゃんは白い箱を愛おしそうに眺めては
「この白い箱を抱くと、懐かしい孫の事を思い出します。孫が帰ってきたみたいです。そういえば雑貨屋さんはどこか孫に似ています」と言った。
その日の僕の仮面は何だったか、後で確認しないといけないとふっと思ったけれど、おばあちゃんの孫に似ているなら、それで正解だったのだと思った。

「孫は10歳の時に交通事故で両親を一度に亡くしてから、ずっと私と二人きりの生活でした。でも、高校を卒業するとふいと帰らなくなりました」
「・・・」
涙が頬を流れた。

それから、しばらくの間おばあちゃんの思い出話を僕も懐かしく聞いていた。あたかも僕の記憶のような気がしてくる。

立ち去りがたい思いがしたけれど、僕は暇乞いをすることにした。
「おばあちゃん、そろそろ帰ります」
「今日はありがとう。とっても楽しかったわ」

おばあちゃんは玄関まで送ってくれた。

結局、
白い箱の中身はなんだったのか、確認できなかった。
代金を貰うのも忘れてしまった。
まあ、いいか。

おばあちゃんに会えてよかった。

門の前にはすでにリムジンがドアを開けて待っていた。
慌てて、ドタバタとリムジンに乗り込んだ。間に合ってよかったと思っていたら、奥にもう一人の誰かが乗っていた。初めての事でちょっと驚いた。
僕はどう言葉を掛けたらいいのか分からなくて、ただお辞儀をして奥の誰かを確認しようと目を凝らした。
あっ。
今別れたばかりのおばあちゃんが白い箱を大事そうに膝の上に持って、じっと僕を見ている。僕が気付いたとわかると、にこやかに微笑んでぺこりとお辞儀をして言った。
「・・・・て、ありがとう」
えっ。
また、だ。何が、ありがとうって? 
おばあちゃん、聞こえなかったよ。
僕は並んで座ったけれど、聞きたいことがたくさんあったけれど、いつものようにすぐに寝てしまった。

お屋敷に着いて目が覚めたら、やっぱり僕は一人だった。
博士は、教えてくれるかな。

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