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名前なんざぁどうでもええわ(これ、いま流行りの、マルトリートメントじゃないっすか⁉⑳)

どうも、こんにちは。ゴンベーでございます。
 
参院選が終わって、けっこう経ちましたね。
選挙権のある方、投票には行かれましたか?
 
投票の際には、どうやって情報を集めるのでしょう。
最近は、やはりSNSが主流なのでしょうか。
 
ゴンベーは、SNSには距離を置いているものですから、
新聞に載っている各候補の主張などを読みました。
あと、新聞にはさまっていた、候補者の主張をまとめた冊子とか。
 
新聞社が、「憲法改正について」とか、いくつかの項目について
候補者に質問をして、その回答を掲載している、アレですね。
 
その中に、「夫婦別姓についてどう思うか」という項目がありましてね。
 
夫婦別姓に反対する候補者たちの主張は、
「姓が別だと、家族の統一感が損なわれる」とか、
子どもがかわいそう」「子どもかわいくないのか、と思う」
なんてのも、ありました。
 
これを読んで、ゴンベー、ポカンとしてしまいました(゜o゜)
この人たちは、姓が統一されてたら、家庭も統一されてると
思ってるのか?
 って。
 
名字が同じなら、家族として一体であるとでも?
ちゃんちゃらおかし~っすわ( ̄▽ ̄)
 
Z家もね。
名字は全員、同じでしたよ。ゴンベーも含めて。
名字だけは、統一されてました。
 
ですが、機能不全家庭でした。
 
かるくかじった程度の知識なのですが、
機能不全家庭においては、子どもには、
家庭を維持するための役割が振られるのだそうで。
 
ゴンベーの役割は、スケープゴート。
家庭の歪みを押し付けられ、ゴミ箱にされる役です。
 
家庭で起きる嫌なことは、全部その子のせいにすればよいのです。
機嫌が悪けりゃ、その子に八つ当たりすればよいのです。
 
ありとあらゆる負の感情を、その子めがけて、投げ捨てればよいのです。
 
本当の問題からは目を背け、「その子に問題がある」ことにして、
暴力、暴言、罵声、怒声、人格攻撃、人格否定、存在の否定を繰り返す。
「あなたのせいで離婚できない」とかは、その典型でしょうかね。
 
本当の問題を直視してしまったら、「家庭」が崩壊する。
現状維持ができなくなってしまう。
だから、目をそらすための、生贄を用意する。
 
そうすれば、「家庭」という体裁を保っていられる。
ほら、集団って、叩くものがあるとまとまるでしょう?
同じものを一緒に叩く仲間には、一体感が生まれる。
機能不全家庭は、スケープゴートの子どもをみんなで
叩くことで、一体感を得ているのでしょう。
 
まさにゴミ箱。まさに生贄です。
 
さて。
この家庭には、「家族の一体感」とやら、ありますかね。
名字、同じなんですけど。
 
「家族の一体感」を生むのは、統一された名字ではなくて、
親をはじめとした、家庭内の大人たちのあり方、ではないんですかね。
 
自分たちの問題を、自分たちの問題としてきちんと認識し、
互いを尊重しながら解決に導いていく。
そんな家庭を作る勇気と覚悟が、大人たちにあるかどうか、
じゃないんですかね。
 
それと、他にもおもしろいこと言ってますねー。
夫婦別姓に賛成する人たちは、子どもがかわいくないのかって?
 
それ、そのまま返してみたいですね。
あなた方、子どもかわいくないんですか?」って。
 
「かわいがってる」って、言うでしょうね。
でも、それって、要するに、
姓が同じだからかわいい」ってことですよね?
 
姓が違ったら、子どもかわいがれないんですか?
 
それって、ほんとに愛情ですか?
支配欲じゃないの?
 
子どもが自分の付属物である証として、同じ名字が欲しいだけじゃないの?
 
姓が田中だろーと鈴木だろーと佐藤だろーと、
その子はその子。何も変わらないのに。
自分と同じ姓でなきゃ、かわいくないって?
 
「子どもがかわいそう」って言いますが、
その子を「かわいそう」にしてるのは、
誰あろう、その人自身じゃ、ないんすかね。

名字が違う子を、異物扱いして、「かわいそうな子」に仕立ててるのでは?
 
同じ姓を名のる連中に、散々ゴミ箱にされてきたゴンベーにしてみれば、
名字なんざぁ、どうてもいい」っすわ。
 
名字が違っていてもいいから、暴力を浴びない家庭で育ちたかった。
名字が違っていてもいいから、暴言を浴びない家庭で育ちたかった。
 
名字が違っていてもいいから、「あなたは存在していていい」と、
存在を許してもらえる家庭で育ちたかった。

 
別に、宝ものやお姫様のように扱われなくていい。
せめて、ゴミ箱にされない家庭で育ちたかった。
 
もしも、神さまだか何だかが目の前に現れて、
「名字が別々の、愛情にあふれた家庭」と、
「名字が同じの機能不全家庭」と、
どっちかを選ばせてくれるなら、ゴンベーは前者を選びますね。
 
もう一度言いますよ。
「家族の一体感」を生むのは、統一された名字ではなくて、
親をはじめとした、家庭内の大人たちのあり方、
ではないんですかね。

 
名字を同じにすれば、家族の一体感が生まれるというのなら、
この世に、同姓の大人に痛めつけられる子どもは、
存在しないんじゃないですかね。
 
家族の一体感を生むのは、
自分と違うものを持っている相手を、
一人の人間として尊重する姿勢、じゃないんですかね。
それが名字であろうと、価値観であろうと、
互いに違うことを尊重し合えれば、その人たちは、
家族として一体になれるんじゃないですかね。

 
今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。

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