見出し画像

東京の夜景を見て、美しさよりもみじめさを感じるようになった

夏休みは毎日文章をなにかしら書くぞー!と意気込んでから早数日。梅雨明けをして太陽が容赦なく肌を焼くようになってしまい、気圧を理由に日々を消耗することもできなくなった。

というわけで、回顧録にはなるが1日から日記を書き直していこうと思う。

先週、友人と東京の夜景と川崎の工場夜景を観るバスツアーに参加した。コロナのご時世ということもあって満員御礼!とはいかない人数であったが、盛り上がるのにはちょうどいい人数が集まっていた。

東京駅からバスがゆっくりと発車する。
修学旅行でしかお世話になったことのない東京駅を夜に観るのは初めてで、八重洲口とは違って赤レンガの東京駅はこんなにもきれいなのかと感動した。2階建てのバスは屋根がなく、都会の景色を直接目に焼き付けることができた。

新宿の夜景も、初めて見たときは不思議な美しさを感じたはずなのだが、その夜景が日常の背景となってしまった今では煩わしいネオンと、季節で変わるイケメンの看板が目に留まる程度となった。

丸の内や銀座の夜景は煌びやかで、同じブランドのショーウィンドウでも少し色合いが違って見えた。こんなところで働く人たちはいったいどんな暮らしをしているんだろう、なんて妄想を巡らせた。

東京タワー、お台場と都会の光を駆け抜け、川崎の工場夜景に向かう。オイルの臭いが独特なエリアに入ると、ファンタジー世界のような工場夜景が一面に広がっていた。遠目からみる工場夜景はキラキラしていて、そんな光の中立ち昇っていく煙がきれいだった。

工場夜景を観ながらバスガイドさんが誰に言うわけでもなく、ボソリと発した一言がやけに脳裏にこびりついている。

「綺麗なんだけどね、遠くから見ると。近くで見ると汚いから。」

工場夜景の中には、工場だけではなくおそらくそこで働く人たちが暮らす寮のような施設の光も点在していた。工場で働いて、寮に帰って眠りにつく。そんな日々が想像できた。友人は、「なんかこんなところで働いていたら息苦しそう。私だったら嫌だな。」と言っていた。

彼女は同じ人が生活する東京の高層マンションの夜景を観たとき、「こういう暮らしっていいな。私もいつかこうなれるかな。」と言っていた。同じ人が集まって作り出す光でも、人に与える印象は全く違う。同じ「景色」として味わう人の生活の背景は、こんなにも違う。

帰り道、また同じ東京の夜景を観て戻る。何億円なんだろう、と考えてしまう高層マンション群を通り抜ける。子供のころはただ、「綺麗」と感じた景色も、それを作り上げている人間の姿を思い浮かべれる無駄な想像力が備わった今、ただの「景色」として切り取って味わえない自分がいた。

東京の夜景は、美しい。川崎の工場夜景も美しかった。
ただ、東京の夜景は今の私には眩しすぎて、羨ましくて。ちょっぴりみじめになった私はその景色の一部になろうと努力もできないから、また汚いネオンの光に埋もれて安心する。


よろしければサポートをお願いします。 サポートで得たお金は取材費や資料を買うお金にします。 あとは酒に使います