劣る何か、尖る何か

少し、この間出たちょっとした研究成果のことを考えていた。多分、世には出ないだろう。

社会人になって三年、つまり界隈に入って三年なので、自分がぽけーっと電子顕微鏡を覗きながら見つけたモノが、なかなか「センシティブ」なものだということは十分理解できる。さてどうしたものか。しかし業界の中立機関的な立場を自称しているのだし、データに忠実に研究をするというそんな部分を気に入って就職したわけだから、上司にはありのままの結果に考察を付けてポンと出してみた。

後ほど委託元向けの報告書審議会を聴講すると、ちゃんと自分の撮ったものは報告書に採用されていた。上司はマトモだ。審議会でも、若干の注目を集めていた。ただし、どこかの場にこの結果が出ることはないだろう。学会発表に出そうとしても、多分難色を示される。


自分の属する研究所は割と不思議な機関だ。立ち位置は民間と行政の中間にあり、かつ民間寄りといった趣。研究員としては、完全な「研究」をすることもあれば、民間や行政から依頼された「委託事業」を実施することもある。今回の場合、かなり研究寄りの実施内容だけれど、体裁としては委託事業に当たる。

この界隈に足を踏み入れてから、研究って意外と難儀なものだなぁ、と思う。自分は民間ではないから認識のズレがあるかもしれないけれど、研究は基本的にはお金を稼ぐのではなく「食い潰す」仕事だ、という認識で合っていると思う。決してすぐにお金に結び付くものではない。何もない空間から、お金のない場所から研究は生まれない。どこかからお金をもらってくる必要がある。それは科研費のような公的研究資金かもしれないし、民間や行政のようなスポンサーからの委託かもしれない。

今回の場合は民間の大きな団体がスポンサーになっている。研究結果を提出し、スポンサーが渉外のための裏付けデータとして使う。結果はありのままに出すけれど、それがどこかで使われるかどうかは、スポンサー次第。自分が観察中に見つけたモノは、データとしては集めると思うけれど、きっと渉外には使われない。スポンサーを不利にする、というわけではないが、面倒な議論を巻き起こす可能性のあるデータだからだ。スポンサーからお金をもらってる以上、スポンサーが不利になることは出来ない。中立機関の肩書が聞いて呆れるなぁと思わされるが、それが仕事であってそれが研究なのだから仕方ない。

スポンサーにお伺いを立てて自分で学会発表するという手もあるが、多分許可は下りない。仕方ないので、それ以外の部分を使って学会発表することにした。「学会発表することにした」などと軽く言っているけれど、ほとんど経験のない自分にとっては一大イベントだ。え、そんなすんなり決まってしまっていいの?と思うけれど、それが研究者になるということだ。精進しよう。


この場所で何ができるだろう。自分にしかできないこととは何だろう。周囲は本当に優秀な人ばかりだ。国連の会議体での議論にデータを持って行くような人だっている。活動内容があまりにも多岐にわたり、いったいこの人は何人分の研究をしているのだろう…といつも思う。そんな人々と比べたら自分なんてごくごく平凡、あるいは平凡以下なのだけれど。少なくとも今のところは。

別に平凡なのが悪いことだとは思っていない。それは仕方ない。誰にだって出来ないことはある。平凡であることを認めて、平凡なら平凡なりにの戦略を立てて取り組まなければならない、というだけのことだ。平凡であることを認めないことの方がよっぽど悪い、と思う。


テニスと同じ。自分は決して身長が高くない。日本人の平均身長より低いかな、確かに。それは仕方ない。そこで普通のプレーをしようとしたって意味がないと思っている。かえって自分の弱点を目立たせるだけだ。弱点は補うけれど、他に自分の持つ強みをどうやって生かすかということの方がきっと大事。「普通の人」のようなストローク戦に真正面から立ち向かったって負けるに決まってる。サーブは弱い、パワーはない、目は悪い、今時のグリグリのスピンなんて打てない。それでも、やたらと滑るスライス、安定したバックハンド、脚の速さ、タッチの良さがある。自分の良さを生かせる展開になんとか持ち込む。

劣る何かを補うよりは、尖る何かをどこまでも尖らせてしまう、そんな人間だ。

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