漫画を読む習慣がなかった。

漫画を読む習慣がなかった。

小さい頃から、本棚には漫画が一冊も置いていなかったし、本屋に行っても漫画を買うことはあまり推奨されなかった。そういう家だった。ただ、特にそれが苦しいと思ったことはない。当時の反動で、今になってすごく漫画が読みたい!とはならないのだ。ただ自分の生活と他人の普通の生活を見比べた時、漫画を読むという習慣がぽっかりと抜け落ちているなあと感じるくらいのものだ。

小さいころに読んだことのある漫画ってスラムダンクくらいだ。全巻ちゃんと読んだことがあるものスラムダンクくらいだ。祖父母の家の二階、叔父の部屋に置いてあった単行本は全部読んだ。モンキーターンも置いてあったけれど、そちらには特に興味を示さなかった。今の部屋の本棚を見てみたって、漫画は二作品しかない。ソラニンとピンポン。ソラニンは高校二年生の時だったか、アジカンがソラニンを歌うことになり、映画化することになり、という流れで二巻揃えた。当時、部活の同期と映画館まで足を運んだけれど、これは男二人で観に行く作品とは少し違ったなと後で共通の感想を持った。ちなみにその同期とは、今年の春に閃光のハサウェイも観に行った。意外と、映画を一緒に観に行くような仲の友人って少ない。そもそも映画館であまり映画を観ない方だというのもあってか、友人と映画を観に行くのって自分の中では少しハードルが高い。割と気が置けない友人でないと、一緒に映画を観に行くことってない。二回も一緒に映画を観に行ったのは、ソラニンと閃光のハサウェイを観に行った高校の同期と、Qとシン・エヴァを観に行った大学の先輩くらいだ。どちらもテニスでつながっている。そしてどちらも、来週の日曜日にテニスする。仲が良い人達なのだな、自分の中で。



閑話休題。漫画について書いていたのに、映画の話へとズレていってしまった。そんなこんなで、漫画を読むという習慣が全くなかった自分だったけれど、最近よく漫画を読んでいる。といっても紙媒体ではなく、アプリで、だ。無料漫画アプリって、最近嫌になるくらい広告を見かけるけれど、それくらいよく流行ってる。手軽だし、自分もいま4つくらい入れているのかな。継続して読んでいるのは、炎炎ノ消防隊とか不滅のあなたへとか。進撃の巨人も、確か全巻読んだ。どうしてマガジン作品が多いのか、というとそれは最初に入れたアプリがマガポケだったからだけれど、どうしてマガポケを入れたのだっけ。そういえば大学の研究室で、毎週マガジンを買う習慣があり、そこで漫画を読むようになったのだった。大学を卒業してマガジンを買うことはなくなったけれど、当時読んでいた漫画がアプリに移籍するというので続きが気になって、アプリを入れて読み始めたのだった。その漫画は新選組を描いた作品だったのだけれど、アプリに移籍して三話くらいで終了するという、それはそれはもう綺麗な打ち切られようだった。ベクターボールも個人的には好きだったのだけれど、自分がマガジンを買わなくなってすぐ終了してしまった。それはひどい打ち切り方だったらしい。「こいつはうめえ、カニ味だ!」という台詞で締めくくられていたような気がする。他、ベイビーステップも終わり方は綺麗に描いていたけれど、打ちきり感があったような。そう思ってしまうとどんな作品も打ち切りに見えてしまうんだよな。

名作と言われる作品をいくつも読んだ。最近読んだ寄生獣はとても良かった。上手く言い表すには言葉を熟慮する必要があるのけれど、化け物の視点から「人間」を描いて露わにしていた。シャーマンキングも読んだ。昔、アニメがやっていた頃に少し観ていたくらいだけれど、原作の雰囲気と結末が新鮮だった。一度、打ちきりに近い終わり方をしていたことも初めて知った。

この年になって手塚作品にもいくつか触れ、ブラックジャックとか何かの短編集を読んだ。どれも版権の問題なのか、期間限定でしか読めなかったけれど。中でも印象強かったのは七色いんこ。40年以上も前の作品なのに、漫画の面白さは色あせないのだなと、誰もが知る巨匠に畏敬の念を抱かずにはいられなかった。漠然としたカタルシスのようなものだけが残っているけれど、ただ主人公いんこの姿がガンダムのシャア・アズナブルのように自分には映っていた。仮面が隠すものはその正体だけではなく、本心だって隠している、というところは共通している。仮面という小道具そのものにそういう性格があるけれど。


最近読んでいるのは、惡の華。最初は絵柄が馴染まなかったけれど、話数を重ねるほどに急速に上手くなっているように見えるので、それほど気にならない。狂気を孕んだ作品化と思いきや、その実、自分にはどこかに生きづらさを抱える子ども達の話に見える。子供たちの話などと言いながら、その生きづらさを今でも自分が抱え続けているような気がして、他人事には思えない。猟奇的に見えて、どこか弱さを持っているような仲村さんが、誰かと重なって見える。目を逸らしたいような、このまま先を読み続けたいような、どこか離れがたい引力を感じる。そうしてまた無駄に何かを思い出しては、ため息を吐く。

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