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家族写真を撮りながら大切にしたいと思うこと

写真を撮ると言うことは責任が重大だと言うこと

ママのこちょこちょ

ここで書くまでの事でもないかもしれませんが、家族写真を撮ると言うことは、とても大切なライフイベントの一つだと考えています。
毎日来るような場所ではありませんし、良くて年に1回。
七五三の節目にのみ撮影されるご家族様ですと、1〜2回程度の撮影しか、撮影するタイミングは無いわけです。
そう考えるとカメラマンとしてデビューした当初「めっちゃ重い仕事じゃないか…」と胃がキリキリしたものです。

カメラマンになってから随分と年月も経ちましたが、今でもこの部分はあまり変わらず、責任ある大切な時間だと考えています。
その大切な時間の中で、私の役割は2つあるのだと考えています。
一つは、目に見える姿形の記録をすること。
もう一つは、目に見えない、思い出や家族の愛など、概念的な要素をどのようにお客様や第三者の方に写真を通して伝えること。
この2点が私の最大の課題であり、お客様へ対する最低限の約束だと考えています。

姿、形を撮ると言うこと

今しかない仰反る癖も思い出に


格好つけていろんな事を言っていますが、極論姿形を撮ることに大きな難しさありません。笑
ですが一つ難しいことは、どのように撮るのかということだと思います。
私も我が子の子育てをしていながら、いつも思うことは思っている以上に自分の記憶が曖昧になっていってしまっている事です。
初めて話した言葉って何だっけ?うつぶせができるようになったのっていつだっけ?
毎度毎度うわぁ!と感動していた瞬間のはずなのですが、こんな記憶もいつの間にか薄れていってしまうものですね。
そんな曖昧な記憶を鮮明にする写真、つまりは“今”が詰まった記録が、写真の大切な側面だと考えています。

綺麗な写真?素敵な写真?

撮影中泣いてしまい、抱き抱えてもらうシーン。
撮影の合間も愛が溢れるシーンになる


いわゆる綺麗な写真を撮るには、公式があり、それに当て込めるように撮影すると、姿形が綺麗な写真を撮ることができます。
このくらいの距離感で立って、足をこうして、このように開いて、顔を寄せて、ウンヌンカンヌン。
でもその写真を撮る過程で、何とも釈然としないのはなぜだろうと、心底悩む日もありました。
「綺麗なんだけども、何だか素敵じゃないんだよな…」
綺麗と素敵は、似ているのだけれども、違うものだと考えています。


…もしかして“素”が大切なのではないか!!
そう!家族の素が解放される一瞬!!!

前途した綺麗な形は、あくまで公式なわけですから、どこでも通用する汎用性を含んでいます。
ですが同時に、誰でも代わり映えの無い写真になる危険性も持ち合わせています。
そうすると、わざわざカメラマン(人)が撮らなくてもいいし、なんて根本的な問題も出てきてしまいます。
なぜなら、誰が撮っても変わらない写真が撮られるからです。

ちょっとばかし、形が崩れたとしても、ご家族のふっと気が緩んだ瞬間や、お子様が起こしてくれるハプニングなど。

ママとの2ショット写真はたくさん撮ろう!


 本当に全てが思い出なんだなと思うことが多々あります。例えば抱っこがぎこちないことや、お子様に対する遊び方、時間が経てば経つ程素敵な思い出になります。正直その素敵さはいつでも素敵なわけですが、私たちカメラマンができることは、その素敵な現象にちょっとばかしのスパイスを加えることなのだと思う。
それが、光であり、構図であり、写真であるのだと思います。
今日はどんなスパイス加えようか、毎日楽しい悩みがあるのも幸せに感じます。

家族写真は“家族のしおり”を作ること

ころんと、赤ちゃんらしく

私は家族という分厚い本があるとして、その本にはこれまでの歴史が事細かに詰まっています。
5年前のあの出来事はP.243ページに、次に調べたい出来事はP.1208ページに、知り得たい情報はいろんなページに分散しているものだとします。
そうすると、調べごと一つするのも大変ですよね。
家族の写真は毎回現在地の栞を作ることなのだと考えています。
であれば、お互い“いい栞”の方がいいですよね。


撮る方も写る方も、明るい気持ちになれる栞。
そのためにカメラマンとして常に最適でありたいなと、感じるわけです。


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