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心の変化。今、見えてきたもの。
長い髪をばっさり切った。
女の人が髪を切る時って、何か行動を起こそうとする現れだったり、心の変化に自分で後押しする、自分で自分の背中を押す行動のひとつなんだと思う。
短くなった髪が、少し、身体と心を軽くしてくれた気がする…
今年は、喘息発作。
コロナ自粛生活。父の介護。実家の引越し。
と、とにかく盛り沢山だった。
あっという間に、父が亡くなり、母との同居が始まって3ヶ月。
遺品整理、実家の片付け、負の遺産整理(これはまたあとで書く😂)、発達凸凹の息子の進路、息子2の進学と、まだまだ問題山積み中で…
私の頭と心が、なかなか上手く回転しない。
ほんとは、仕事をしたい…。
何かに追われず、何かに没頭したい…。
そんな淡い、思いが交錯する…。
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大好きだった建築の仕事を数年前に離れた。
じっくり、考える仕事だった。
より良いものを調べて、探す。
入り組んだ物を、あーでもない、こーでもないと
一日中考えて、カタチに表していく。
考える事が好きだった、この仕事は、私にあっていたんだろう。充実した、好きな仕事だった。
しかし、喘息持ちには、改善されない喫煙環境に、どうしても身体がついていけなかった。
空気清浄機を何台もおいたって、受動喫煙で苦しんでいるのは伝わらず、モクモクと白い煙の中での仕事は、辞めざる得なかった。
この時はまだ、自分が嫌なこと、困っている事を正直に言い出せなかった。
隠さなくても良かったのに。
(私の特性なんだろうけれど)
相手のことを、どうしても考えてしまう…。
なんのためにだったんだろうか…
言い出した後に、気まずくなるのが嫌だったのか、
今考えたら、言うだけ、言ってみればよかったのに…と思う。笑
その後、短時間の介護のパートを選んだ。
しばらくして、我が子に障害がある事を、他のスタッフに告げると、社長の耳に伝わった。
自分だけ、次の月のシフトがまだ出てない事を不審に思い、上司の元へ行くと…
『家族に障害があるということは、会社にとって大きなリスクだ』
今でこそ、周知されてきて堂々としていられる時代になってきたが、当時はTVやニュースで、盛んに流れていた最中だったこともあり、発達障害を知らない人からのイメージは相当悪いものだったのだろう…。
福祉業界の人からの、まさかの言葉に、呆然としてただ、ただ涙しか出なかった。
私は、この人達の下では働けない…。
この時の私はまた、言い出せないまま、泣く泣く入ったばかりのパートをその日に、辞めて帰った。
それも、今となっては、
『こちらからお断りします❗️』
ぐらい言えば良かったと思う。笑
私には、言い返す自信もなかった。
自分の息子が障害を持っている事を、
この時期、息子の不安定な状態は酷く、
疲弊していた私が、堂々と言い返せる状況でもなかった。
それから…。
息子が障害がある事を理解してもらえる仕事はなんだろうと…
障害者支援の仕事に飛び込んだ。
息子の支援はこれからどうなるんだろう…。
その不安も、自分が体得すれば拭えるかもしれない
そんな思いで、無我夢中で働いていた。
未経験ながらも、今まで、障害のある子を育ててきた事が、仕事につながるなんて、思ってもいないことだったから、充実してやりがいがあり、何より楽しかった。
自分の子にあんなに頭を抱えて悩んでやってきた事が、活かされる場があるなんて…
ところが、数年経ち慣れてきた頃。
急な事業の配置転換により、次々とスタッフが辞めていき、その環境がガラッと変わってしまった。
スタッフ同士の揉め事を毎日目にする事が、何より苦痛でたまらなかった。
自分がミスしたり、注意されるような事なら、改める事もできるだろけど、
私が知らない事で、毎日同じようにスタッフ同士が揉めている話を聞く事は、とても私がでて行って解決するような事ではなかった。
再び、子供達の不安定期と重なって、後ろ髪引かれながらも退社する道を選んだ。
綺麗事に聞こえるかもしれないけど、
揉め事に凄いストレスを感じてしまう自分に、
気づいた。
noteに書き始めて、自分を振り返ると、見えて来るものって、ほんとにあるんだ。
色々な方のnoteを読んで、書き続けることの意味を見つけた気がする。
まとまりもテーマもない、乱文だけど、続けてみようと思います。
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