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⑤『チャンスを探してた日々』
2015年、当時22歳で
「ごまどうふ屋」になりました。
そこに至った経緯を備忘録として綴ります。
これから継ぐひと、もう継いだひと、継ぐことに迷ったり悩んだり、「継ぐ」ことに関わる
いろんなひとに読んでもらえたら幸いです。
スタート地点
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もちろん、値上げをする前に、たくさんの人に相談しました。でもやっぱり「それじゃ、売れない」「私なら、もう買わない」そんな冷たい言葉を、たくさん浴びました。
えいやっと値上げしてしまえば、売れなくなりそうな未来が見えて、このまま何もしなければ疲弊していく未来が見える。
どっちに転んでも良い未来が来ない、そもそも継いでしまったことが間違いだったのか。当時はそう思っていました。
どちらに転んでも辛いけど、値上げをしなければ辛いだけ、値上げをすれば、辛いかもしれないけれど、持ち直す可能性もある。ならば結論は、やはりひとつでした。
今いる大切なお客さんは、もう買ってくれなくなるかもしれません。でも、なんとか作ったキッチンカーがありました。
また新しいお客さんをイチから作ればいい。スタート地点に戻っただけで、なにも、ゲームオーバーにはなったわけではありません。
売上でだいぶ助かっていたスーパーへの卸も、「これじゃ売れない」の一言で取引が終了。他にも「厳しい」と言われ複数店舗との取引が終了しました。
以前のお客さんの多くは、美味しくてたっぷり入ったごま豆腐にお金を払ってくれていたんだと思います。だから、そんなお客さんは離れていきました。
正直結構ツライ状況です。もちろんわかっていたことだけど、いざそうなってみると、やっぱりツライものはツライんです。
でも、わかっていたということは出来ることがあるということで、つまりはキッチンカーの存在です。
イチからお客さんを作る、そのための移動販売です。これまで、卸先の各販売店さんの集客に頼りきり、商品の味,価格以外のところを伝える努力をサボっていました。だからこんな状況を招いています。
もし仮に、もっと対面販売を増やし、作り手の熱量や、材料の説明や、この商品の歴史なんかをあれやこれやと伝えられていたなら、今、ここまでツライ状況ではなかったかもしれません。だから、そんな後悔を、キッチンカーに乗せて走ります。
出店の日々
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それからというもの、出店先を探し、月曜日は「キラキラマーケット」。火曜日は「いっぺこ〜と」。土日は両日イベント出店。その他もろもろ。こんな感じで、最低週4回は出店販売。
兎にも角にも出店です。
対面販売を繰り返すと、毎週買ってくださる方々がいます。毎月出るイベントでは必ず買ってくださる方々がいます。
そんな方々に、売上面でも精神面でも支えられながら、毎週4回、雨の日も風の日も、真夏の日差しの中でも、凍えるような吹雪の中でも、直接伝えて販売することを続けてきました。
買ってもらうための言い訳
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ごま豆腐を買ってもらう、もっと言えば、買い続けてもらう。すごく難しいことですが、じいちゃんのごま豆腐を守り続けるためならば、必須科目です。
そのためには、なんでもいいから理由が必要だと思いました。
可愛いパッケージであること。それが季節ごとに変わること。キッチンカーで売り歩いていること。オリジナルコーヒーを作ってみたこと。絵本のようなリーフレットを作ってみたこと。テーマソングを作ってみたこと。
ドライごま豆腐を試作してみたこと。ごまアイスを試作してみたこと。グアムにごま豆腐を売りに行ったこと。FiNANCiEというサービスを始めてみたこと。「週刊女性」に広告出してみたこと。なんだかうまくいかないことや、失敗したことも、たくさんたくさんありました。
今振り返ってみると、バカ丸出しですが、これでも当時は必死です。なんでもいいからどこかにチャンスは落ちてないものか、と。
姿勢
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そんなこんながありながら、なんでもやってみる姿勢に応援してくださる方が、じわりじわりと増えてきました。
おかげさまで、ようやくごまどうふ屋らしくなってきます。月に3,000個のごま豆腐を自分で作って自分で売っていました。
商品の、価格に対する味とたっぷり感にお金を払ってもらっていたあの頃を懐かしく想いながら、なんでもやってみる今が楽しくて仕方がありません。
学生さんと一緒に「1000人にごまどうふをプレゼントする」プロジェクトを行ったり、それに伴いクラウドファンディングを立ち上げたり。 Twitterで「ぼくとお茶しましょう!」なんて募集をかけてみたり。
でもこうやって、それなんの意味があるの?って聞かれることから何かは生まれるんだと思います。
(...現にいま、学生さんと何かすることが楽しいってことで、新たに学生インターンを受け入れてクラフトコーラを作ってみたり、唯一「お茶したいです!」と手を挙げてくれた方と結婚してカレー屋をやっています...)
それもこれも全て、"なんでもいいからどこかにチャンスは落ちてないものか"と、もがいていたあの頃の姿勢の賜物でした。
この頃、2019年10月。
肌寒くなる一方、巷では2020オリンピックが熱を帯びてきました。その熱に感化されるかのごとく、ぼくの人生も、より一層動き出します。
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お待たせしました、
次回はカレー屋なった経緯を書いてみます。
ここまで読んでくださり、
心から感謝しています。
石本商店 大島史也
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いつもありがとうございます!! 宇宙一のごまどうふ屋になります!!